【第1話】アカリ28歳、WEBデザイナー「スマホ依存で心が休まらない」
高架下の夜は、いつだって騒がしい。 数分おきに頭上を駆け抜ける電車の轟音が、店の古びたカウンターを小刻みに揺らす。焼き台から立ち上る煙は、換気扇をすり抜けて、路地裏の湿った空気に溶けていく。
俺はいつものように、炭の機嫌を伺っていた。 赤く火照った炭にうちわで風を送ると、火の粉がパチパチと弾ける。 「やきとり寅吉」の暖簾をくぐってくる奴らは、みんな何かしらの「重荷」を背負っている。仕事、金、人間関係。だが、今夜現れたその客が背負っていたのは、それらとは少し毛色の違う、目に見えない「鎖」だった。
「……あ、あの。ここ、いいですか?」
顔を出したのは、一人の若い女性だった。 28歳。都会的な、小綺麗な格好をしているが、その顔は驚くほど土気色だ。何より、その視線が定まらない。 手に握られたスマートフォンが、数秒おきにピカピカと青白い光を放っている。
「おう、空いてるぜ。好きなところに腰を下ろしな」
俺がぶっきらぼうに答えると、彼女は吸い込まれるようにカウンターに座った。 これが、アカリと俺の、最初の出会いだった。
アカリは席に着くなり、カバンを置くよりも先に、スマホをカウンターに置いた。 その仕草は、まるで自分の命綱を、そこに繋ぎ止めているようだった。
「……とりあえず、レモンサワーをお願いします。あと、何かすぐ出るものを」

注文を聞き終え、俺がグラスにレモンサワーを注いでいる間も、彼女の指は止まらない。 シュッ、シュッ、と画面をスワイプしている間、 目は画面に張り付き、口元は固く結ばれている。レモンサワーを差し出しても、彼女はそれに気づかない。通知音が鳴るたびに、彼女の肩が小さくびくりと跳ねる。

「おい、姉ちゃん。まずは一口飲めよ。レモンサワーが泣いてるぜ」
俺が声をかけると、彼女はハッとして顔を上げた。
「すみません……つい、癖で」 そう言って彼女はレモンサワーを一口飲んだがが、味わっている様子はない。ただ、喉を冷やすためだけに流し込んでいる。
「初めて見る顔だな。仕事帰りか?」
俺が問いかけると、アカリは堰を切ったように話し始めた。
「はい。仕事帰りです。実はWEBデザイナーをしていて、仕事上寝ている間以外、ずっと、この画面を見てるんです。 仕事の修正指示はチャットで深夜に届くし、SNSを見れば同業者の『成功しました』っていうキラキラした投稿が溢れてる。 返信が5分遅れただけで、誰かに仕事を奪われるような気がして……。
最近、夜中に目が覚めても、真っ先にスマホを探しちゃうんです。 ニュース、トレンド、他人の意見、炎上の噂。 頭の中に、24時間ずっと、誰かの声が流れ込んできて、自分の考えがどこにあるのか分からなくなっちゃった。 心が、ずっと……ざわざわして、休まらないんです。 ここなら、煙に巻かれて、少しは楽になれるかなって……」
彼女の瞳は、潤んでいるというよりは、乾燥して疲れ果てていた。 その間にも、カウンターの上のスマホがピカッと光る。 アカリの指が、吸い寄せられるように画面に伸びる。
「……ダメだ。これ、病気ですね」
彼女は自分の手を、もう片方の手で押さえつけた。その震えは、炭火の熱でも止まらないようだった。
俺は黙って、焼きたての「ハツ」をアカリの皿に置いた。 「まずは食え。命の味がするうちに、だ」
アカリはおずおずと串を手に取り、一口噛みしめた。 その瞬間、彼女の眉間の皺が、ほんの少しだけ緩んだ。

「……アカリ、と言ったな。あんた、さっき『自分の考えが分からない』って言ったな。 当たり前だ。あんたのその小さな箱の中には、世界中のゴミが詰まってるんだからな」
俺は焼き台の炭を整えながら、言葉を続けた。
「いいか。昭和の頃、俺たちの連絡手段は『黒電話』か『手紙』、あるいは『直接会う』ことだけだった。 不便だったよ。ああ、最高に不便だったさ。 だがな、その『不便』の間にはな、『空白』があったんだ」
「空白……?」
「そうだ。相手を待つ時間。手紙が届くまでの数日間。電車に揺られながら、窓の外をぼーっと眺める時間。 その空白の間に、俺たちは自分の心と対話してたんだよ。 『あいつ、元気かな』とか『明日は何をしようか』とか、自分の頭で、自分の言葉で考えてた。 他人の意見が入ってこない、自分だけの真っ白な時間だ。 だが、今はどうだ? その『空白』ができるたびに、あんたはその箱を覗き込んで、誰かの言葉で隙間を埋めちまう。 自分の心で育てるはずの時間を、他人の情報のゴミ捨て場にしてるんだよ。 あんたはデザイナーだろ? 何かを生み出す商売だ。 真っ白なキャンバスに、他人の落書きがいっぱい詰まってたら、自分の絵なんて描けるわけねぇだろ」
アカリは何かを思ったのか、呆然と俺を見つめていた。
「心が休まらねぇのはな、あんたが『今、ここにいない』からだ。 目は画面の向こうの誰かを見て、耳は通知音を待ってる。 体はこの椅子に座ってるのに、心はどこか遠くの、電波の海を漂ってる。 幽霊と同じだぜ、それは。 幽霊に、焼き鳥の味も、レモンサワーの旨さも分かりゃしねぇ」
アカリは、カウンターの上のスマホを忌々しそうに見つめた。
「どうすればいいんですか……。電源を切るのが、怖いんです。 繋がっていないと、自分が消えてしまいそうで」
俺はニヤリと笑って、熱々の「つくね」を差し出した。

「いいか、まずはその箱をカバンの一番奥に放り込め。今すぐだ。 代わりに、このつくねを食え。 目を閉じて、舌の先でタレの甘みを、奥の方で肉の脂を感じろ。鼻から抜ける炭の香りを嗅げ。 指先に伝わる串の熱さを意識しろ。 ……それが、デジタルデトックスの第一歩だ」
「え? 食べるのが、デトックス?」
「そうだ。デジタルってのは、目と耳しか使わねぇ。脳みそだけで生きてるようなもんだ。 だが、人間には『五感』がある。味、匂い、感触。これらは絶対に、その箱の中には入らねぇ。 今、目の前にある『本物』に集中するんだよ。 いいか、アカリ。一日に一時間でいい。その箱を捨てて、自分の五感を動かせ」
俺は指を三本立てた。
「寅吉流、昭和の休み方を教えてやる。
一つ、『空の色を、言葉にせずに見ろ』。 夕焼けが綺麗だと思っても、写真を撮るな。SNSに上げる言葉を探すな。 ただ、『ああ、赤ぇな』と思うだけでいい。言葉にした瞬間に、それは誰かのための情報になっちまう。自分のためだけに、その色を感じろ。
二つ、『熱い湯に浸かって、自分の重さを感じろ』。 風呂にまでスマホを持ち込むな。湯船に浸かって、『ああ、私の体はここに、こうしてあるんだな』って、肉体の重さを確かめるんだ。浮力に身を任せて、脳みそを空っぽにしろ。
三つ、『誰の役にも立たねぇ、無駄な時間を愛せ』。 公園のベンチで蟻の行列を眺める。喫茶店で隣の席のどうでもいい世間話に耳を傾ける。 生産性? 効率? そんなもんは仕事中にだけありゃいい。 無駄な時間こそが、あんたの心の土壌を肥やすんだよ」
アカリは、ゆっくりとつくねを口に運んだ。 目を閉じて、じっくりと味わっている。 その顔から、少しずつ険しさが消え、一人の女性らしい、柔らかい表情が戻ってきた。

「……美味しい。寅吉さん、このタレ、いつもより少し焦げた味がして、あったかい」
「当たり前だ。俺が今、あんたのために焼いたんだからな」
その夜、アカリは最後までスマホを一度も手に取らなかった。 二杯目のレモンサワーを飲み干すと、彼女は少し軽やかな足取りで店を出ていった。
「寅吉さん、ありがとうございました。帰り道、スマホは見ないで、夜風の匂いを嗅ぎながら帰ります」
店から出ていくアカリの背中に、俺は声をかけた。
「おう。明日の朝、スマホを見る前に、まずは窓を開けて空を見ろよ!」
アカリが去った後のカウンター。 電車の音が遠ざかり、静寂が訪れる。 俺は自分のごつごつした手を見つめた。 この手は、スマホを操るには不向きだが、鶏を刺し、炭を操り、誰かの心を少しだけ温めることはできる。
世の中は便利になったが、人間の心は、昔より忙しくなりすぎた。
だからこそ、たまには立ち止まって、火の匂いを嗅いで、湯に浸かって、「今ここにいる自分」を確かめりゃいい。
今夜もまた若けえ衆の一人が、この屋台で、胸のつかえを少し晴らしていった。

【おまけ】寅吉が教える、心を殺さないための3つの「不便」のススメ
「お、最後まで読んでくれたか。あんたも、あの青白い光に少々やられてる口か? あんたの人生は、その数センチの画面の中に全部収まるほど、ちっぽけなもんか? 画面を消してみろ。 そこには、あんたに触れられるのを待っている、本物の世界が広がってるぜ。
最後に、俺からあんたに『あえて不便に生きる』ための秘訣を授けてやる。
1. 「最短ルート」をあえて捨てろ
2. 「紙と鉛筆」を使え
3. 「迷子」になれ
……ま、たまにはその箱を置いて、俺の店にでも来い。 ここには電波は飛んでねぇが、旨い酒と、悩みを聞いて胸のつかえをちっとばかし晴らしてあげることはできるぜ。」
「🏮🏮🏮これを読んで少しでも心が動いたなら、その感想を一言でいい。
あんたの言葉を聞かせてくれ。待ってるぜ・・・🍶」
次回【第2話】ショウタ21歳、大学生「将来、やりたいことが見つからない」

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おぅ、今夜の話が心に沁みたなら、焼き鳥一本分(190円)ほどお捻りを置いていってくれねえか。あんたのその心意気が、次の旨い話を焼き上げるための『炭代』にさせてもらうぜ。よろしくな!