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インドネシア美術紀行

「いま東南アジアの美術シーンがアツいらしいよ」と家に引き篭もって作品制作をしていた僕を訪ねに来てくれた古い友人が言った。
彼は僕と出会う数日前に僕の大学院の同期にもそんなことを吹き込んでいたそうで、ちょうど何年かかけて国外で作品を発表する機会を伺っていた折だったので、東南アジアで作品を発表するきっかけを作りに3人で現地へ行ってみることにした。
秋からビエンナーレが開催するバンコク(もっと言えば国策で資金投入をして美術マーケットを作っているタイ)の様子は何となく想像出来たので、インドネシアへ。2022年にドイツのカッセルで閉幕したドクメンタ15では、首都のジャカルタを中心に活動するアート・コレクティヴ ルアンルパ(ruangrupa)が芸術監督を務めたりと、かなりの勢いがあることはインターネットの情報からだけでも伝わってくる。

大学時代からの親友が住むベトナムのホーチミンで短い夏休みを存分に楽しみ、バックパッカー時代に行ったことのない国だったので、人生通算28ヶ国目となるインドネシアへ。首都のジャカルタはムスリムの国だけあって、公的な場所で酒が飲めず、街中にモスクがある。ヒジャブを被った女性たちがいる。

National Gallery of Indonesia

ジャカルタのスカルノ・ハッタ国際空港からタクシーに乗ってNational Gallery of Indonesiaへ行った。Dolorosa SinagaとBudi Santosoによる彫刻とアクティビズムの展示が開催されていて、国立のギャラリーで政治的なテーマを全面に扱っていること(扱えること)が、日本人の自分としては衝撃的だった。後から分かったことだが、インドネシアは政治的なモチーフを扱う作家が非常に多く、作品制作を通して社会参画・政治参画しているようにも思えた。
彫刻はインドネシア大虐殺をモチーフにしており、マテリアルのアルミを変形させて死者を顕在させているように思えたが、それが虐殺の加害者であるようにも、被害者であるようにも見え、異なる立場や思想を受け止め、悼む、墓地としてギャラリーの空間が機能しているように思えた。

日程の都合でジャカルタはNational Gallery of Indonesiaしか訪ねることが出来なかったが、TOKYO ART BEATに特集記事が組まれている。

一泊し、ローカル線と高速鉄道に乗ってジャカルタからバンドンへ。

バンドンでは演劇祭が開催されており、この地には演劇を見に来たつもりだった(そもそもの旅の目的だった)が巡り合わせが悪く、一度も演劇を見なかった。
高所にあり、避暑地として賑わうバンドンは夜には20度くらいまで気温が下がり、とても過ごしやすかった。

繁華街であるブラガ通りでは路上でアーティストが絵を描いたり、沢山のパフォーマーが歌ったり踊ったり小演劇をしている。自転車を使って作品制作をしている僕は「ジャカルタからロンドンまでたった12日間でサイクリング旅した」と豪語する上着に沢山の勲章を付けた謎の老人の存在に強く惹かれた。

NuArt Sculpture Park

バンドンへ到着した翌日、インドネシアを代表する彫刻家 Nyoman Nuartaが作った公園へ行ってきた。(イサム・ノグチのモレエ沼公園みたいなイメージ)
美術館として彫刻作品が展示されている建物と公園がシームレスに繋がる空間の中にNyoman Nuartaの作品が至る所に展示されている。
彫刻作品は、残像或いは物体が重力によって垂れている様子が精巧に表現されていて、物体の中に宿る時間の存在を強く感じた。世界から切り離されアーカイブされた作品の時間と自らに流れる現在の時刻が絶えず食い違いながら同じ時を共有する。その齟齬が連続する。壊れた時計が今も時を測る機能を持っているような沢山の矛盾を突きつけられたような気がして、自分が感じている現在時刻の存在が彫刻を前にしていると次第に曖昧になっていく。

インドネシアは芸術大学があるバンドンとジョグジャカルタを中心にアートコミュニティが出来ていて、街の中に沢山コレクティブがいたり、インデペンデンスギャラリーがある。どこへ行ってもウェルカムな雰囲気で気軽に作家やギャラリー主と話せるので、あちこち訪ねてインドネシアのアートシーンを肌感覚で掴むことが出来た。

Lawangwangi Creative Space

バンドンの中心部から北上した山間に幾つかアートギャラリーがあって、僕らが回った中ではLawangwangi Creative Spaceで観た作品がとりわけ印象的だった。Aziz Al Majidという若手の画家の作品が展示されていて、インターネットミームをテーマに制作している。ジョグジャカルタでも同様の作品を見たが、西洋絵画作品が美術館に置かれていない地域で育った作家にとって最も身近なビジュアルはインターネットをブラウジングしている時に見るイメージやアニメーションで、ものすごくインターナショナルな方向への作品の広がりを感じた。

おそらくAzizがディスプレイに表示し続けたバスキアとネットサーフィンしながら出会ったインターネットミーム群の影響が作品に表れている。
そもそもホワイトキューブは何処の国へ行っても何処の都市へ行っても真っ白な無機質であり、地域の記名性がない空間なので、場所を問わず指先で移動するインターネットの情報塊と非常に親和性が高いのかもしれない。

続いて訪れたジョグジャカルタは今回の旅で最もじっくりギャラリーやアートスペースを周ることが出来た街だった。ちょうどART JOGという年に一度の芸術祭の期間で、オープンしているギャラリーも多かった。作品自体は有象無象で美大の卒業展示のような趣もいくつかあったが、ギャラリーが自主音楽レーベルを作っていたり、スタジオを作ってグラフィックの制作をしていたりと、制作によって生計を立てている人たちと多く交流することが出来た。

Yogyakartaの市内にて

街中には美麗なグラフィックが至る所にある。

アカデミックとアートが結び付いている土地柄からか。ギャラリーにはコマーシャルな作品が少ないという印象を感じた。インドネシアの国民性としてみんなでどこか出掛けたりご飯食べるのが好きだから、個人作家として活動するよりもコレクティブとして活動すると聞いた。実際にスタジオに足を運ぶと分業して制作している。

Tirtodipuran Link Building

数えてみたらジョグジャカルタでは14ヶ所のギャラリーへ行った。その中でもとりわけ作品の質が高く、スケール感があったのがTirtodipuran Link BuildingでA館とB館のふたつのスペースから成る。

A館はインドネシアの歴史をテーマに扱った作品が多かった。

インドネシアの歴史は、古代から中世にかけてヒンドゥー教と仏教の王国が栄え、13世紀以降にイスラム教が広まりました。16世紀からオランダによる植民地支配が続きましたが、第二次世界大戦後、1945年に独立を宣言し、1949年に正式に独立しました。その後、スハルト政権による独裁時代を経て、1998年以降は民主化が進んでいます。

ChatGPTによるインドネシアの歴史の要約

ジャカルタのナショナルギャラリーでの展示、バンドン・ジョグジャカルタの市内のギャラリーに沢山の政治的・歴史的背景を持つ作品が多いのは、こうした政治や宗教の変遷が今もなお作家の生活者としての側面に強い影響を与えているからだろうか。

日本の作家が私小説的作品を制作する傾向があることと、対比して何か語れることがあるかもしれないが今はまだ言葉に出来ない。

B館ではインドネシアのアーティスト J Ariadhitya Pramuhendraの個展が開催されていて、炭で描かれた大型の絵画と天井から雨を模した水が降る空間に安置されたピエタの彫刻が2つのスペースに分かれて展示されていた。

個人的には、絵画作品がとても好みで、光の色彩にレンブラントやフェルメールの影響を感じた。炭で描かれた女性たちと鑑賞者は決して目線が合わず、逆説的に自分が異国の地へ来ており、沢山の風景や生活を通り過ぎてここに来たことを薄ぼんやりと感じながら閉館時刻まで展示空間を彷徨い続けた。

ART JOG

ギャラリーの雰囲気とは打って変わって年に一度の芸術祭ART JOGには政治・宗教をバックグラウンドをテーマにした作品よりも、具体的なコンセプトが強く打ち出された作品が多かった。裏返してみると、それはローカルの色が見えないということに繋がっているのだが、日本やシンガポールの作家の作品も紹介されていて、アジアアートシーンの縮図のようにも感じられた。

日本からは2名の作家が参加していて河原温の作品もあった。




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