花のように匂い立つ"あの頃"ー『花様年華 4K』の、咲き乱れない美しさ。
渋谷のBunkamuraル・シネマで
【花様年華 25周年特別版】が上映中だ。

さすが名作。
平日昼から、多くの観客が映画館を訪れていた。
ムードを保つ"緊張感"
お互いのパートナー同士の
不倫に気がついた2人の男女が、
名付けようもない、
切ない関係へと発展していく物語。
終始、感情をくすぐられ
心地よい疲れで映画館を出たわけだが、
この物語の肝は、
花のように"咲き乱れないこと"だったと思う。
探り合いの会話から
お互いが置かれている状況に気がついた2人は、
求めていることをどちらからともなく察し合い、
抑制しながらも接近していく。
しかし、そこから愛が咲き乱れ、
失楽園に堕ちていくのかと思いきや、
この作品のドラマツルギーの優れた点は
"ギリギリをキープ"し続け、
観客の身体を前のめりにさせ続けることにある。
一線を守り続けるチャン夫人。
欲望を抑え続けるチャウ。
この緊張感が、メインテーマである
「Yumeji’s Theme – 夢二のテーマ」と共に
観客の心を揺り動かし、疼かせ続ける。
さらに構成として優れている点は、
テンポを抑制したシーン構成でありながら、
短いカット繋ぎでテンポを作り出し、
冗長な瞬間が一瞬たりとも存在しないことだ。
ゆったりと流れる音楽と、
シーンのテンポ感のギャップ。
"陶酔と焦燥の板挟み"にされる感覚が心地よく、
絶妙にコントロールされながら、
私たちは物語に飲まれていく。

"発散されない"という快楽
しかし、この"構成の妙"はありながら、
それでも観客を魅了している1番の要素は、
やはりマギー・チャンとトニー・レオンの
2人の俳優の色気である。
私としてはここに"監督の変態さ加げ…"
もとい、"倒錯的な美学"を感じずにはいられない。
劇作の一般的な理解として
"いかに主人公をジレンマの中に置くか"
というのが最も重要であるが、
定石ではそのジレンマによるストレスを
時に小さく、時に大きく、
さまざまな形で"発散させながら"
物語を牽引させていくものだと思う。
しかし、この作品は逆である。
"発散されそうで発散されない"のである。
物語に没頭しながら、
観客は「いけ!」「そこだ!」と前のめりになる。
しかし、いかない。
「いけ!頼むから!」と
座席の中で身じろぎするが、
そのエネルギーは"発散されない"のである。
この"発散されない"を、
佇まいで、眼で、首の角度で、
息づかいで魅せている2人の俳優が
何よりも素晴らしい。
ワン・カーウェイ監督の変態的な演出を、
この上ない色気で体現している。
特に序盤から素晴らしく効果的に
細かく計算された目線の使い方。
初対面の瞬間の、ドアから出るチャン夫人が
ほんの一瞬ちらっとチャウを見て歩き去る
あの何気ない一連の動作は出色だ。
見てください、というものではない。
それを撮るためのシーンになっていない。
引きの画でチャウが部屋の外にいると、
ドアが開き、話しながら出てきたチャン夫人は
流れる動きで自然に歩き去る。
その一瞬である。
動く目線の動線に一瞬だけチャウが映る、
というぐらいの自然さで彼を見るのだ。
これが初対面。
まさに完璧なファーストインプレッションだ。
これはぜひ観てみてほしい。
他にも一つ一つを取り上げたくなる
シーンが幾つもあり、
それらが2人の心情、滲み出る色気を
スクリーンから伝えているのだ。

大人の品格が残す"匂い"
貪欲に求め合う恋愛ではない、
"大人の恋愛かくあるべし"
という品格が、そこにはある。
この作劇と、2人の俳優の見事な共演が
本作を唯一無二の作品にしていた。
静かな眼差しのチャウと
表情豊かなチャン夫人。
もぬけの殻になった部屋で呆然とし、
留守中に忍び込んだ部屋で物憂げにする。
チャン夫人の様々な表情からは
大人でありながら少女を秘めた
純粋な女性の浮き沈みが伝わってくる。
この2人の対比は
現代とは少し違うバランスかもしれないが
間違いなく普遍性を内包し、
いつまでも憧れを感じさせる温度感だ。
映画館を出た青空の下で、
4K上映で殊更に美しく表現された
2人の佇まいを瞼の裏で再生しながら、
自分の中にも
"花のように匂い立つ疼き"
が、確かにあった気がした。
