鹿島茂『神田神保町書肆街考』 タイトルと目次から距離を測る読み方【ミニ講義】

昨夜、寝る前に Kindle を開いたら、鹿島茂『神田神保町書肆街考』が目にとまった。紙の本で持っていてもよさそうだが、そのときは「まあ気楽に読み流すつもり」という軽い気持ちで、ワンクリック購入してしまった。
ダウンロードが終わると、Kindle の白い画面に端正なタイトルが現れる。神田神保町、書肆街考。読み慣れた街の名と、どこか古風な響きを持つ「書肆街考」という語が並ぶだけで、こちらの側の記憶が勝手に動き始める。どの古本屋が出てくるのか、この通りは扱われているのか。そんな期待を抱えながら、まずタイトルをしばらく眺める。
そこから私は自然に、いつもの読書の癖を始めていた。本文にいきなり飛び込まず、タイトル、帯、目次の順にゆっくり眺めてから読むのだ。ここでは便宜的に、この手つきを「目次から読む」と呼んでおきたい。
タイトルと目次から距離を測る読み方
本はおおまかに三つの層(細かくは四層)でできている。
いちばん外側:タイトルや帯、カバーのコピーなど、本屋の棚でまず目に入る「表面」
その内側:章立てや目次といった、著者が素材をどう配列したかが透けて見える「設計図」
いちばん奥:実際の本文
さらに奥の深層:著者が言いそびれたか、うまく言い表せなかったこと。読者が読み取ることになる層。
「目次から読む」というのは、この真ん中の層を先にじっくり味わってみる読み方だ。タイトルや帯から受け取った印象と、目次から立ち上がってくる構造とを付き合わせてみる。そのときに生まれる
「思っていたのとちがう」
「ここまで広い話だったのか」
というずれの大きさを、一つの楽しみとして眺めてしまうのである。
鹿島茂『神田神保町書肆街考』のタイトルから、私が最初に描いた像はかなり素朴なものだった。神保町の古本屋街を歩きながら、店ごとの由来や思い出を語っていく散策記。そんなイメージである。ところが、目次を上から下までたどっていくと、その像はすぐに修正を迫られる。
章題を追っていくと、そこには「古書店の街」としての神保町だけでなく、
地名の由来や地形、谷と丘からなる生活圏
蕃書調所や大学の移転史をめぐる教育史
古書店街の形成と、その背後にある出版・流通の仕組み
戦前・戦後の都市計画や学生街の文化
古本ブーム以後のサブカルチャーの気配
といった話題が、それぞれの章に少しずつ配合されていることが見えてくる。神保町という一つの街を歩く本でありながら、時間軸と地図と人物名が交差し、都市史・経済史・文学地理が折り重なった本であるらしい。そんな気配が、目次の段階で濃厚に漂ってくるのだ。
この段階で、私の頭の中には二つの神保町像が並ぶことになる。
タイトルから自然に立ち上がる「古本屋街を案内するエッセイ」としての神保町
目次が示してくる「日本の近代を照らし出す都市史の縮図」としての神保町
「目次から読む」というのは、この二つの像のあいだにある距離をざっくり測ってみる行為でもある。『神田神保町書肆街考』の場合、その距離は思っていたよりもかなり大きそうだ。そう感じたところで、ようやく本文の冒頭にページを送ることにした。
第一章を読み始めてわかること。地理感覚から立ち上がる神保町
実際に本文を読み始めると、この予想はいい意味で裏切られる。
第一章は「神保町という地名」から始まり、著者はまず「エッセイ的にではなく、社会・歴史的に(ソシオ・イストリックに)書いてみようと思う」と宣言する。世界にも類を見ない「古書の街」としての神保町を、産業・経済・教育・飲食・住居といった広いコンテクストの中に置き直し、日本の近代そのものを逆照射してみたい。そんな構想が、冒頭ではっきりと掲げられる。
そのうえで、鹿島は自分が平成十五年から二十一年までの六年間、神田神保町一丁目に住み、毎日のように歩き回った経験から得た「地理感覚」を差し出す。神保町は、かつて「大池」と呼ばれた谷間にあたり、周囲を小高い丘が取り囲む地形をしている。谷と丘の組み合わせによって人びとの生活圏が自然に区切られ、「丘を一つ越えた向こう」はもう別の町として意識される。そんな身体感覚がまず語られる。
そこで引かれてくるのが、永井龍男の回想である。神保町と本郷台・湯島台とのあいだの高低差、九段坂を上り切った先の風景。そうした記述を引用しながら、鹿島は「自分が生まれ育った町」として意識される空間の輪郭を描き出していく。東は駿河台、西は九段坂、北は水道橋、南は皇居のお濠。少年時代の永井が感じていた生活領域の感覚と、自分が六年間歩き回ったときの感覚とが、重ね合わせられていく。
横軸(空間軸)がこうして定まると、次に縦軸(時間軸)が導入される。幕末から明治にかけて、蕃書調所が生まれ、やがて大学へとつながっていく過程で、武家地だった神保町が「文教町」「書店町」へと変身していく。そのきっかけを押さえるために、鹿島は町名の由来にさかのぼる。古代の「神田(みとしろ)」という語の意味、明治初年の町名変更で生まれた「神田美土代町」、旗本・神保長治の屋敷にちなんだ「神保小路」。そうした細部が、次々と導入される。
さらに話は、渋沢栄一の住所へと飛ぶ。湯島から「裏神保小路」へ転居した渋沢の屋敷の規模、明治初年の地図に記された位置、大蔵大丞としての役職、払い下げられた官有地としての土地の値段。伝記資料や地図を突き合わせながら、鹿島は現在の「神保町一丁目七番地」界隈に渋沢の屋敷があったらしいことを丹念に追っていく。小宮山書店や一誠堂書店が並ぶあたり一帯が、かつては五百坪を超える渋沢邸であり、明治六年には現在の物価にして数千万円程度で売買されていた。そんな試算までが登場する。
このように、第一章の導入だけを読んでも、「古本屋街をぶらぶら歩くエッセイ」という最初の予想はすっかり書き換えられてしまう。神保町という街が、
具体的な地形と生活圏の感覚に根ざした場であり、
明治以降の教育・経済・政治の動きと絡み合いながら形を変えてきた場であり、
その変化をたどることで、日本の近代を別の角度から照らし出せる場
として立ち上がってくるからである。
目次を眺めたときに感じた距離は、第一章の冒頭を読むことで、さらに具体的な手触りをもって迫ってくる。こちらが勝手に用意していた「神保町のエッセイ」という箱は、あっさりと破られ、代わりに「神保町を通して日本近代を見る都市史」という、もう少し大きな箱が差し出される。読者としては、その箱のサイズを測りなおしながら、自分の読み方の尺度も少しずつ調整していくことになる。
外される予感を、読書の楽しみとして取っておく
こうして見てみると、「目次から読む」ことの肝は、予想が当たるかどうかではない。むしろ、どこがどの程度外れていくかを楽しむための予備運動だと言っていい。
やり方は単純である。
まずタイトルと帯のことばから、「だいたいこんな本だろう」という像を、頭の中でざっくり作ってみる。
つづいて目次を上から下までたどり、章の並びとキーワードを追いながら、「どんな話題が束になっている本なのか」を確かめる。
そのうえで、自分の最初の予想と、目次から見えてきた本の像との距離を測ってみる。
重要なのは、その距離を「外れた」とがっかりするのではなく、「ここまで外してくるのか」とニヤリとする余裕を、あらかじめ用意しておくことだ。予想が外れれば外れるほど、自分の読書の枠も揺さぶられる。自分がどんな前提でものを読んでいるのか、その前提のほうが露わになるからである。
鹿島茂の神保町本は、私にとってまさにその種の本だった。神保町を歩く本だと思ってページを開くと、いつのまにか「自分が街をどう見てきたか」「本と街との関係をどう考えてきたか」という、自分自身の読書史や都市感覚のほうへと引き寄せられていく。タイトルと目次から測った距離ぶんだけ、読み終えたときに見えている景色が変わっているのを感じる。
次に本を手に取るときは、ぜひ、
タイトル
帯(もしあれば)
目次
を眺めて、「この本はどこまで自分の予想を外してくれるだろう」と、ほんの少しだけ賭けをしてみてほしい。
ページを閉じるころには、その距離のぶんだけ、あなた自身の読書地図にも新しい道が一本増えているはずだ。
