不貞腐れるなんて、私の美学が許さない
「甘え上手になれたら、もっと愛されるのにね」
って、以前言われたことがある。
そのときの私は、なんとなく傷ついたし、
ちょっと反発したかった。
でも今なら、その言葉の意味も、
自分が覚えた違和感も、両方ちょっとわかる気がする。
甘えって、
「お願い」や「頼ること」だけじゃない。
言葉の裏にある空気や、距離のとり方のことも入るんだろう。
きっとその時反発したかったのは、もっと媚びたらいいんじゃない?って意味だったからだ。
媚びと甘えの違いってなんだろう?
媚びって、
“自分を小さくして相手の気を引こうとする行為”だと思う。
ご機嫌をうかがったり、
「好かれるために相手に合わせる」みたいなやり方。
相手に合わせるのは良いけれど、合わせすぎて必要以上に自分が屈まなくちゃいけないなんて私はムリだ。ムリである。
じゃあ甘えは?
“自分を信じたうえで、ちょっとだけ相手に身を委ねること”
媚びには不安とご機嫌うかがいがあって、
甘えには信頼がある。
頼りたいけど私は頼る人を決めてるし、1人で立っていたいから依存なんてしたくない。
媚びるとき、人は相手の反応にすごく敏感になるんじゃないかな。
でも、甘えるときは、
「きっとこの人なら受け止めてくれる」っていう信頼の上での安心感。
だから私は、
誰かに甘えたいと思ったときほど、
自分を、そして相手を大事にしてたいなって思う。
見せつけるんじゃなくて、にじみ出るもの
“女らしさ”って言葉に対して、
どこかずっと、距離を置いてきた。
わざとらしい仕草とか、露出の多い服装とか、
いかにも「私は女です」ってアピールする感じが、どうしても苦手で。
なんだろうか、武器にしていることが苦手なのかもしれない。
だからといってしたことがないか?と聞かれたらそこはノーコメントを貫き通させていただこう。
だってやっぱり峰不二子はかっこいいもん。だいすき。
ああ、オンナらしさは苦手だけど、女性らしさは憧れなのかもな。
武器にできるほどの外見も中身もない私の負け惜しみだろ?
ねえ、今すぐアナタは占い師になれちゃうよ。
そんな今は、
“にじみ出る女性らしさ”っていう人に憧れる。
それは、
声のトーンだったり、
言葉の選び方だったり、
相手を思いやる間だったり。
自分が穏やかでいること、
丁寧に扱うこと、
ちゃんと感謝を伝えること。
そういう積み重ねの先に、
「この人って、なんか素敵だな」って思われる女性らしさがある気がする。
気を引きたくて不貞腐れるのは、いちばん美しくない。
そう、私の美学の辞書にはない。
拗ねるのも、不貞腐れるのも、
本当は「わかってほしい」っていうサイン。
だけどその伝え方が、自分の魅力を損なってしまうのは、とてつもなくもったいない。
私は、
「可愛く見られたい」と思うときほど、
凛としていたい。
愛されたいときほど、
ちゃんと自分の足で立っていたい。
「好きです」って、
まっすぐ伝えられる人でいたい。
媚びない甘えは、きっと、相手の心に静かに届く。
にじみ出る優しさは、ちゃんと誰かの記憶に残る。
私はそんなふうに、
誰かの中で“じんわり残る可愛さと強さ”を目指したい。
だって峰不二子が言ってるじゃない、
“言葉が強い女が強い女じゃないの。
言葉が強いのはただのキツイ女。
強い女っていうのは挫けない女のこと”
って。
好きな人の前で笑ってる私の顔は、
最高に可愛くて、
誰にも奪えない強さを持ってるって信じてる。
笑ってる私が、
最強に可愛いと思える恋しか、しないから。
