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世界中が敵の日は、おばちゃんの賄賂が最強だ

どんなに疲れていても、あの人に会えば笑ってしまう。
社員食堂で、15時ギリギリに滑り込む小さな現実逃避は、月イチの贅沢だった。

あの日、仕事の疲れとイライラと理不尽を全部抱えながら、私は食堂にいた。

社会人になって年数を重ねるほど、休憩時間というものは幻みたいに消えていく。

月に1回行けるかどうかも分からない社員食堂。
普段のお昼は、職場の休憩室でお弁当やコンビニご飯をかきこんで、すぐ仕事に戻る。

でもさ。
もう知るかって思うような、“世界中が敵”の日だって働いていたらやってくる。

そんな日は、私はここへ逃げてきていた。

人で溢れかえる食堂も、閉店ギリギリの時間はいつも静かだ。

小銭をじゃらじゃら入れながら、券売機のボタンを数秒見つめる。
だいたいのメニューは“売り切れ”の赤い文字。

私は、わかめ蕎麦のボタンを押した。

「今日も忙しいの?」
目の前の三角巾をした女性はニコニコしながら聞いてくる。

「忙しいしイライラするし。理不尽だし。だからここに来たんですよ」

束の間の現実逃避。
15分くらいは許して欲しい。だって今休憩時間だし!

ハハハと笑いながら、お蕎麦をよそってくれる。
親しみをこめて、この快活な女性を“おばちゃん”と呼ばせてもらう。

おばちゃんが天ぷらを取り出した。

え、私わかめ蕎麦だから天ぷら頼んでないですよ?

「いいの、いいの。次いつ来てくれるか分かんないんだから! 賄賂賄賂!」

そう言って、頼んだわかめ蕎麦は豪華な天ぷら蕎麦になっていた。

賄賂って。
いっつもおばちゃんはそうやって私を爆笑させる。

月に1回食堂にあらわれるかどうかの私を、“いつも15時ギリギリの子”として覚えていてくれた。

買った食券は、いつも違うメニューに化けるくらい豪華になっていた。

わかめ蕎麦の上にのせられた天ぷらは、もう完全に主役の顔をしている。

「ほら、頑張ってんだから、これくらい持ってきなよ」
そう言いながら、おばちゃんは私のトレイをそっと押し出してくれた。

その一瞬で、張り詰めてたものがゆるむ。
もう眉間にしわ寄せてるのがバカらしくなるくらい、ふっと力が抜けた。

食堂の椅子に座って、湯気の立つお蕎麦をすする。
なんてことのない味なのに、なんでこんなホッとするんだろう。

「今日も頑張ってるね」
「忙しいんでしょ。分かる分かる」
そんな言葉を、何も言ってないのに拾ってくれる。

食堂のおばちゃんは、私が今日どんな気持ちで来たかを一瞬で読み取る天才だ。

別に深い話をしてるわけじゃない。
仕事の愚痴を聞いてもらってるわけでもない。
ただ、閉店間際に駆け込んでくる私を見て、ニコニコしてくれるだけ。

食堂の窓から見える午後の光が、もう夕方の色に変わっていく。
あと数分したら、また現実に戻らなきゃいけない。

でも、いいや。
この15分をしっかり味わおう。

おばちゃんのとびっきりの賄賂の天ぷらと、
「また来なよ」っていうあの笑顔。

時々、ご飯があまったからって、
おにぎりを作ってラップに包んで持たせてくれた日もあった。

忙しい日ほど、誰も味方なんていないと思ってしまう日ほど会いたくなるのは、
あの食堂のおばちゃんだった。

ねえ、おばちゃん、元気にしてる?

あの食堂、老朽化で取り壊しになっちゃったけどさ。
またあの場所を通ったら、真っ先におばちゃんの声が聞こえる気がする。

きっと今でもどこかで、
「はいはい、賄賂ね〜!」なんてニコニコしながら、
誰かの疲れもイライラも吹っ飛ばしてるんでしょう?

そう思うと、すっごい元気出る。

おばちゃんの賄賂に溢れた山盛りのお蕎麦、また食べたいよ。



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