削っても削っても、追いつかない。1000万以上を治療技術に投資した私が、ある日ぶつかった壁【連載その②】
目次
1. 治療中心の時代へ
みなさんこんにちは。MBA歯科医師の高屋です。
連載①では、私が「治療中心 → 予防管理中心 → 地域に出る → SDH → 地域創生」という4段階で考えを変えていった、という全体のダイジェストを書きました。
第2回からは、一段ずつ、もう少しゆっくり書きます。
今回のテーマは「治療中心の時代」。
歯医者になりたての私が、なぜ治療技術ばかりに夢中になったのか。そして、技術を磨き続けた先で、どうして「これだけでは意味がない」と思うようになったのか。卒後3年目から10年間の、自分の歩みを正直に書きます。
先に結論を書いておきます。私は治療技術の勉強を否定したいのではありません。むしろ、いまも勉強し続けています。ただ、技術には届かない領域がある、という事実を、ある時点で受け入れざるを得なかった。その話です。
2. 卒後3年目、何もわからずスタートラインに立った
歯科医師の国家試験に受かったからといって、すぐに患者さんを治せるわけではありません。卒業時点で身についている臨床力は、本当に基礎中の基礎です。大学はある意味「職業訓練施設」、国家資格は「スタートラインに立つ資格」でしかありません。
「あ、これは本気で勉強しないとダメだ」と気づいたのは、卒後3年目、2014年。最初の研修先で口腔外科の経験を積み、京都市内のクリニックで一般診療を任されるようになって、自分の力不足が痛いほどわかりました。患者さんの目の前で、自分が何をやっているのかわかっていない瞬間がある。あれは本当にしんどかったです。
そこで2014年、JIADS(歯科医師の卒後研修プログラム)で勉強をスタート。翌2015年には、JIADSのペリオコースと補綴コースを受講しました。

模型を、ひたすら削っては相談し、削ってはみてもらう。「ここの形態が違う」「咬合の高さがずれている」「ここのマージン(境目)はもう少し滑らかに」。「縫合がゆるい」など地味で果てしない世界です。でも、こういう細部の積み重ねが治療の質を決めるのだと、初めて肌で理解しました。

3. 国内外で、ひたすら学び続けた10年
そこから、私の臨床留学のような日々が始まります。
JSCO(JIADS大阪の勉強会)に所属し、毎月のように論文を読み込みました。海外のジャーナルを片手に、咬合再構成(こうごうさいこうせい/全体の噛み合わせを作り直す治療)の勉強に没頭する日々。「理想的な治療とは何か」――これが、当時の私の問いでした。寝る前にも論文を開き、移動中にも症例を考えていた時期です。
2016年、ペンシルバニア大学歯周学講座に2〜3週間の短期留学。日本で読んでいた論文の著者が目の前で講義をしてくれる経験は、私の臨床観に決定的な影響を与えています。



2018年にPHIJ(Perio Health Institute Japan)のベーシックコースを受講し、

2019年にはヒューストン研修へ。

DSJ系のスタディグループではインプラント、咬合再構成、咬合診査、ワックスアップ(蝋で歯の形を作る診断作業)を自分の手で繰り返し、別のコースでは総義歯の人工歯排列も朝から晩まで一人で組み立てました。
エビデンスの勉強は、いまも欠かさずやっています。
4. 自己投資、余裕で1000万超え
正直に書きますが、ここまでで使った自己投資は、ざっくり1000万円以上です。授業料、教材費、海外渡航費、器材、書籍、論文購読料、学会参加費。一回のコースで100万円超は珍しくない世界ですし、海外研修になると数十万円すぐ飛びます。10年積み重ねれば、これくらいの数字になる。歯科の世界では、特に珍しい規模ではないと思います。
その甲斐あって、症例を発表できる場も増えました。2024年にはアメリカ歯周病学会(AAP)でも発表しましたし、

2024年、福岡で開催された月輪会でも症例発表をしています。それ以外も、毎年のように学会やスタディグループで発表する機会をいただいている。10年勉強し続けた、ささやかな成果です。

5. 7〜8年経つと、治療した口腔内は壊れ始める
ここから、ちょっとしんどい話になります。
学んだ技術を使って、患者さんに数十万から数百万単位の治療を提供する。フルマウスリハビリ(口腔内全体を作り直す治療)、咬合再構成、インプラントを含む全顎補綴。患者さんは喜んでくれる。私も手応えを感じる。その患者さんは、いまも当院に通ってくれている方が多い。
ところが、治療から7〜8年経った頃から、徐々に壊れ始める。被せ物の境目が虫歯になる。インプラント周囲に骨吸収(骨が減る現象)が起きる。歯周ポケットが深くなる。咬合がずれる。一本やり直し、また一本やり直し。完璧に作ったはずの噛み合わせが、年単位で少しずつ崩れていく。







私はまだ「全部やり直し」までは経験していません。でも、あと10年経ったらどうなるのか、と考えると率直に怖い。特に高齢期に入った患者さんの全顎補綴は、コントロールが難しくなるケースがあります。認知機能、唾液量、手の動き、通院頻度――すべてが少しずつ衰えていく中で、若い頃に作った精緻な補綴を維持するのは、本人にも医療者にも相当な負担です。
あの時の自分はベストを尽くしました。患者さんもその時点で最高の選択肢を選んでくれた。ただ「最高の治療を提供する」ことと、「患者さんの口腔内を生涯守り抜く」ことは、必ずしも一致しない――この事実が、年を追うごとにずしんと重くなってきました。
6. 「理想の治療」って、いったい何だろう
ここで、卒後3年目の問いに戻ります。「理想的な治療とは何か」。
10年学び続けて、ある時期から違和感が膨らんでいきました。
学会やセミナーで紹介される症例は、たいていチャンピオンケースと呼ばれるものです。10年、20年経っても変化なく機能と審美が保たれている、奇跡のような長期予後の症例。「こういう治療を目指すべきだ」と、若手の私は素直に憧れました。
最近はこれにSNSが加わって、状況がさらに加速しています。Instagram、TikTok、YouTube。ピカピカに白く整った前歯、教科書の挿絵のような完璧なオールセラミック、Before / Afterで人生が変わったような笑顔の症例が、毎日のように流れてくる。
技術力としてすごい先生も多いし、撮影力・編集力も含めて本当に勉強されている。否定するつもりはありません。
ただ、あれに憧れるのは、ちょっと危険です。
理由は単純で、SNSに上がっている症例は、ライティング、アングル、彩度、コントラスト、場合によってはレタッチまで、最大限の演出が乗った状態で出てくるからです。前歯の形をわずかに整える程度の加工は、もはや当たり前。さらに当然、うまくいった症例しか載らない。途中で予後が崩れた症例も、患者さんが脱落した症例も、Before / After動画には絶対に出てきません。
これは、SNSのインフルエンサーが、ブランドバッグを抱え、絵に描いたような旅行先で、最高の角度・最高の照明で撮った写真を毎日アップしているのと、構造が全く同じです。生活費に困っている日も、家族と喧嘩した日も、何の予定もない平日の昼間も、SNSには絶対に上がりません。それを見て「自分の人生はみすぼらしい」と凹むのと、同じ罠が歯科医師の側にも仕掛けられている。
社会心理学者フェスティンガーの社会的比較理論が示すように、人は他者と自分を比較することで自己評価を作る生き物です。比較対象が「最大限に演出された他人のベストショット」だけだと、現実の自分の臨床への自己評価は、構造的に歪まざるを得ない。SNS利用と自己肯定感・抑うつの負の相関を示した研究も、心理学領域で複数報告されています(Vogel et al., 2014ほか)。形成外科領域では、加工アプリで盛った自分の顔を理想と思い込む**「Snapchat dysmorphia」がすでに問題化していますが、その歯科版のようなことが、患者さんだけでなく歯科医師の側にも**起きはじめている気がします。
「うわ、すごいな」と思うこと自体は健全です。学べることも多い。ただ、「自分の臨床はこのレベルにないからダメだ」と凹むのは、いま完全に時間の無駄だと、はっきり書いておきたい。インフルエンサーのブランド写真と自分の現実の暮らしを比べて落ち込まないのと、同じ態度でいいんです。
そして、よく考えるとおかしい。学会でもSNSでも、世の中に出てくるのはうまくいった症例だけです。これは、ビジネスの世界で言う**生存者バイアス(Survivorship Bias)**そのもの。コンサル業界で成功事例集ばかりが本になり、失敗事例集はあまり世に出ない構造と同じです。実際、補綴物の長期予後論文の多くは「定期的にメンテに通えている協力的な患者群」に偏っており、スウェーデンのAxelsson & Lindheによる伝説的な30年追跡研究も、継続通院できる特定の集団を見ているわけです。一般診療の現場で誰にでも当てはまる結果ではない。
そして、決定的だったのは、保険診療の範囲内で治療された歯が、何十年も問題なく使われているケースを、私自身が日々目にしていたことです。
20年前に保険のメタルクラウン(金属の被せ物)を入れた患者さんが、いまもメンテナンスで通ってきて、その被せ物に何の問題もない。
極めつけは、祖父(2代目の治代)が40年前に保険診療で入れたクラウンを、いまも使い続けている患者さんがいる、という事実です。
40年前のクラウン。
材質も、接着材料も、形成のテクニックも、いまから見れば古典的なもの。それでも、その歯はその人の口腔内で40年機能している。逆に、最新鋭の精緻な補綴を施したのに、7〜8年で壊れ始める症例もある。
この差は、何だろう?
長く悩みました。技術力の差? 材料の差? 治療計画の差?
最終的にたどり着いた答えは、治療の質の差ではなく、その人のリスクコントロールがうまくできているかどうかの差かなと。
40年前のクラウンを使い続けている患者さんは、おそらくこの40年、毎日丁寧に歯磨きをし、定期的に医院に通い、食習慣に注意を払い、生活全体が安定していたはずです。祖父の腕も確かにあったでしょう。でも、本当にその歯を守ったのは、患者さん自身の40年間のセルフケアと、それを支えた生活環境です。
逆に、最先端の補綴を施しても、患者さんの生活リズムが崩れれば、唾液の質が落ちれば、メンテナンスが途絶えれば、補綴物は容赦なく壊れていく。
私たち歯科医師が手を入れる「治療」という瞬間は、患者さんの口腔内の長い時間軸の中の、ほんの一点に過ぎません。残りのほとんどの時間を支配しているのは、患者さん本人の生活と、それを取り巻く環境なのです。
この事実を受け入れた瞬間、私の中で何かがカチッと切り替わりました。
「完璧な治療を目指す」のではなく、「患者さんが自分の口腔内をコントロールできる状態を、一緒に作る」。

ここから、私の関心は治療技術から予防管理へと、明確にシフトしていきます。
7. 全額自費を受けられる人は、0.1%以下という現実
もうひとつ、書いておかないといけないことがあります。
技術を磨き、症例を積み、学会で発表できるレベルの治療を提供できる歯科医師。これは確かに、技術的にもビジネススキル的にも、上位の歯科医師にしかできない仕事です。
でも、数百万円単位の全額自費治療を受け入れられる患者さんって、どれくらいいると思いますか?
地方で診療している私の肌感覚では、
保険診療だけで完結させたい方が、99.9%
全額自費で数百万単位の治療を受け入れられる方が、0.1%以下
保険診療を軸にしながら、一部だけ自費を組み合わせる方が、現実の大半
地域差・所得差は当然ありますが、田舎の現場の体感はこんな割合です。
「最高の治療」を提供できる歯科医師であっても、それを必要とし、かつ受け入れられる患者さんに出会える機会は、限られている。これは技術力の問題ではなく、社会の構造の問題です。
ちなみに、保険診療を軸に一部自費を組み合わせる形は、交渉学的にもWin-Winの構造になっています。この話は私の専門領域なので、いずれ別の機会に一本きちんと書きます。
8. 治療技術だけでは、届かない領域がある
「リスクコントロール」の話に戻ります。
患者さんが自分の口腔内をうまくコントロールできるかどうか――それが、治療の長期予後を最終的に決める。
ところが、このリスクコントロールができる人とできない人の差は、患者さん本人の努力だけでは説明がつかないことに、私はその後さらに気づいていきます。
毎日丁寧に歯磨きできる時間と気力。バランスの取れた食事を準備できる経済的余裕。定期通院を続けられる仕事の柔軟性。家族や職場でセルフケアを応援してもらえる環境。健康に気を配ろうと思える、明日への希望。
これら全部が、その人の生活背景に大きく依存しています。
通院を続けられる人と、続けられない人。セルフケアを習慣化できる人と、できない人。自費を選べる人と、選べない人。これは技術の問題でも、本人の意志の弱さの問題でもなく、その人が置かれた社会的な条件の問題です。
ここまで来ると、「治療技術を極める」だけでは、私が出会う患者さん全員を救えないことが、はっきりしてきます。もっと上流に介入しないと、口腔内は守りきれない。
その「上流」が何なのかを、私は次の段階で探し始めることになります。
9. おわりに――次回は「予防管理中心へ」
10年間、私は治療技術に必死で取り組みました。1000万以上の自己投資、海外研修、学会発表、毎年の症例検討。これは間違いだったとは思っていません。むしろ、この経験があったからこそ、その先の限界が見えた、と言うべきだと思います。
そして、祖父が40年前に治療した保険のクラウンが、いまも患者さんの口腔内で機能している――この事実が、私の中で何かを書き換えました。技術の差ではなく、その患者さんの40年間のリスクコントロールが、その歯を守ったのだ、と。
次回(連載③)は、予防管理中心へのシフトを書きます。父の代から地域に根付いていたフッ化物の活動を土台にしながら、当院に体系的な予防管理プログラム(MTM)を導入したのは、私が戻ってからの仕事です。父と二人で議論を重ね、医院の主役を「治療」から「予防」へ入れ替えた数年間。**「治してから来てもらう医院」から「ならせない医院」**へ。
この話を、次回じっくり書きます。
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