「文句は言うのに、投票はしない」その矛盾が社会を止めている

「どうせ変わらない」と言う前に、あなたは何を放棄しているのか


     「選挙に行くなんて、真面目だね」

──その一言は、褒め言葉ではなく、どこか嘲笑を含んで僕の耳に届きました。

日本ではいつから、
投票に行くことが“意識高い系”や“理想論者の行動”になってしまったのでしょうか。

政治や国に対して文句は言う。
でも、行動はしない。

その矛盾が、当たり前のように見過ごされている社会で、
僕たちは本当に「当事者」として生きていると言えるのでしょうか。

これは、会社の何気ない雑談から始まった小さな違和感の話です。

そして同時に、子どもを持つ一人の父親として、

「未来に対して何を選び、何を放棄するのか」

を自分自身に問い直した記録でもあります。


「真面目だね」と言われた、その瞬間

フォロワーの皆さんもふらっと立ち寄ってくださった方も
こんにちは、こんばんは、おはようございます。
しょーと申します。

今回は

『「文句は言うのに、投票はしない」その矛盾が社会を止めている』

と題しまして、少し強いタイトルではありますが、
20代半ばの若造の僕が感じた
「投票」へ行くことへの周りからの反応の違和感をお話出来たらなと思います。

事の発端は会社で、次の休みに何をする?
という、ありふれた話題で盛り上がっていたときのことでした。

しょーは次の休み何をするの?と聞かれて、僕は

「特に予定は無いですけど
とりあえず、選挙には行きますかね」

そう答えた僕に、40代半ばの先輩がこう返してきたのです。

「選挙に行くなんて、意識高っ!若いのに真面目だね」

という言葉でした。

言葉自体は褒めているように感じます。

しかし、その奥には
「わざわざ投票なんか行く意味あるの?」
というニュアンスが確かに含まれていました。

冗談とも、皮肉とも取れるその一言が、
なぜか僕の心に引っかかり、しばらく離れなかったのです。


文句を言うのに、行かないという矛盾

その先輩は、決して政治に対して無関心な訳ではありません。

むしろ、僕以上に普段から政治への不満をよく口にする人です。

「政治家が悪い」
「政策が現実を見てない」
「この国はもうダメだ」

休憩中にニュースやSNSを見ながら、そんな言葉を何度も聞いてきました。

だからこそ、僕は素直に疑問を抱きました。

――そこまで不満があるのに、なぜ選挙に行かないのだろう。

実際、前回の参議院選挙も衆議院議員総選挙もその先輩は行っておらず
ずっと、疑問に思っていたのでこの機会に思い切って聞いてみることにしました。

すると、返ってきた答えはこうでした。

「俺の1票なんて、何の意味もないよ。どうせ○○が当選するし」

その瞬間、僕の中で何かが静かに崩れた気がしました。


結果が予想できても、行く意味は消えない

正直に言えば、先輩の言葉が全く理解できないわけではありません。

今回の選挙では、○○候補が有利だという空気は確かにあります。

地域柄もありますが、知名度、組織票、実績。
順当にいけば当選する可能性が高い。

実際、こんな記事を書いている僕自身も、
そうなるだろうと思っています。

それでも僕は、「投票に行かない」という結論にはどうしても納得できませんでした。

僕は先輩に、こう伝えました。

「たとえ当選する人が決まっているように見えても、
票差が縮まれば縮まるほど、僕達の声は無視できない声になると思うんです」

大差で勝てば、「自分のやり方は全面的に支持された」と
その政治家は受け取るでしょう。

しかし、もし僅差だったらどうでしょうか。

次は負けるかもしれない。
そう思えば、反対意見にも耳を傾けざるを得ない空気感が生まれます。

投票とは、

“勝ち負け”だけでなく、“緊張感”を政治に与える行為でもある

と、僕は思っています。


「若いうちだけだよ」という言葉の重さ

僕の話を聞いた先輩は、少し呆れたように半笑いしながら僕にこう言いました。

「そう思ってるのは、若いうちだけだよ」

そう言い残して、その場を去っていきました。

その言葉は、今でも僕の中で静かに
ですが、確かに反芻されています。

確かに、僕の考えは理想論なのかもしれません。

現実を見ればたかだか1票や2票で劇的に世の中が変わるわけではありません。
それは僕自身もよく分かっているつもりです。

僕よりも倍近く長く生きてきた人から見れば、
そんな僕の意見が青臭く映るのも無理はないでしょう。

それでも僕は思うのです。

――それは「行かない理由」にはならない、と。


嘲笑する側が、実は自分の首を絞めている

選挙に行く人を「真面目だね」と笑い、
「どうせ変わらない」と思考を止め、投票所に足を運ばない。

その選択は、一見すると“賢い諦め”のように見えるかもしれません。

しかし実際には、それは自分で自分の発言権を手放している行為です。

有権者の僕達が政治に文句を言う権利は、
行動とセットで初めて成立すると思っています。

投票という形で意思を示さなければ、
その不満はただの独り言に過ぎません。

「どうせ変わらない」という諦めは、

本当に何も変わらない未来を、自分で選び取っている

ということなのだと、僕は思います。


実際に、変化は起きている

現実を見渡せば、投票が社会を動かした事例は確実に存在しています。

若い世代の投票率が上がったことで、子育て支援が拡充された地域。

投票率の上昇が政治家の姿勢を変え、
これまで無視されてきた地域課題に光が当たったケース。

それらは偶然ではありません。

一人ひとりが「投票に行く」という選択をした結果です。


親になって、より重くなった一票

僕には、4歳の娘と3歳の息子がいます。

この子たちが大人になる頃、日本はどんな社会になっているのか。

その土台を作っているのは、
間違いなく今の僕たち大人です。

「どうせ変わらない」と何もしない大人ばかりの社会と

「変わるかもしれない」と信じて行動する大人がいる社会。

どちらが、子どもたちにとって希望があるか。

答えは、考えるまでもありません。


自分の意志を持って、投票所へ

日本の方針を決めているのは、政治家だけではありません。

評論家でも、声の大きい人でもない。

僕たち一人ひとりの投票です。

投票に行かないという選択は、その決定権を放棄すること。
そして、放棄したあとで文句を言うのは、
あまりにも都合が良すぎると僕は思います。


「真面目」でいい

「真面目だね」と言われたあの日、僕は少し戸惑いました。

当たり前の権利を主張することが真面目になるのか…
むしろ、行くことが珍しいみたいな反応はなんなのか…と。

でも今は、はっきりと言えます。

                            それでいい。

選挙に行くことが“真面目”だと言うなら、
僕はその真面目さを手放したくありません。

理想論だと笑われてもいい。
若いうちだけだと言われても構わない。

年を重ねても、その姿勢だけは失わずにいたい。

なぜなら、その積み重ねこそが、
社会を少しずつ前に進める力だと信じているからです。


一票の重みを、噛みしめて

確かに、たった一票で世界が劇的に変わることはないかもしれません。

明日、突然すべてが良くなるわけでもない。投票した翌日に生活が楽になる保証もない。それが紛れもない現実です。

それでも、僕は一票を軽く扱いたくないと思っています。

なぜなら、社会の方向性は「大きな決断」ではなく、
無数の小さな選択の積み重ねで形作られていくものだからです。

川が一滴の水から始まるように、
歴史もまた、名もなき人たちの小さな意思表示から流れを作ってきました。

選挙に行くという行為は、万能ではありません。

しかし決して、無力でもありません。

行かないことで失われるのは、
結果そのもの以上に、「自分はこの社会の一部だ」という感覚なのだと思います。

投票所に足を運ぶという行為は、結果を左右するためだけではなく、
「自分はこの国の一員の当事者だ」と自分自身に確認するための行動でもあると思うのです。


次の休みの日、僕は投票所へ向かいます。

娘と息子のために。
今この瞬間の便利さではなく、これから先の長い時間を生きる彼らの未来のために。

そして何より、「どうせ変わらない」と言って思考を止めてしまわない大人でいるために。

もし、子どもたちにいつかこう聞かれたら──

        「どうして今の社会になったの?」

そのとき僕は、胸を張ってこう答えたいのです。

「完璧じゃなかったけど、少なくとも考えることをやめなかった。
できる範囲で、意思を示し続けた」と。


「真面目だね」と笑われても構いません。

むしろ、その言葉を受け取れるくらいでちょうどいい。

真面目さとは、空気を読まずに正論を振りかざすことではなく、

自分の頭で考え、自分の責任で選択する姿勢だと、僕は思っています。

諦めることは簡単です。
考えないことは楽です。

誰かのせいにして距離を取るほうが、心は傷つかずに済みます。

それでも僕は、あえて不器用なほうを選んでいきたいです。

月並みな言葉ですが
どうせなら、「何もしていない後悔」よりも、「やった上での後悔」を引き受けたいのです。


あなたがもし、

「行っても意味がないかもしれない」と感じているなら

──それは、何も考えていない証拠ではありません。
むしろ、ちゃんと考えているからこそ出てくる迷いだと思います。

だからこそ、その迷いを理由に立ち止まるのではなく、
迷ったままでも一歩踏み出してほしい。

完璧な理由なんて、必要ありません。

候補者も人間です。完璧な人なんていません。
納得しきれなくてもいい。不満を抱えたままでもいい。

それでも投票所に足を運ぶという行為は、
確実に「思考を放棄しなかった証」になります。

では、これを読んでいるあなたはどうでしょうか。

数年後、あるいは数十年後。

社会に不満を感じたとき、

その不満に対して、あなたは何をした人としてそこに立っていたいですか。

「どうせ変わらない」と言って距離を取った人でしょうか。

それとも、「変わらないかもしれない」と思いながらも、
それでも一歩を踏み出した人でしょうか。

選挙の日、投票所に行くか、行かないか。

その選択は、誰かに強制されるものではありません。

ただ、その選択の積み重ねが、
社会をつくり、未来をつくり、そしてあなた自身の立ち位置を静かに決めていきます。


選挙の日。

あなたは、どんな気持ちで投票所の前に立っていたいですか。

そして、どんな大人として、その場所に立っていたいですか。

その答えを、ぜひあなた自身の中で決めてみてください。


次の選挙の日。

僕はまた、投票所へ向かいます。

「真面目だね」と言われながら。

その真面目さが、いつか特別なものではなく、当たり前の行動になる社会を信じて。

もし同じ日に、同じ場所で、同じような気持ちを抱えた誰かとすれ違えたなら。

それだけで、この一票は、十分に意味があったと僕は思える気がします。

この記事を読んだ方が少しでも投票に行ってみようかなと思えてくれたら
僕は嬉しいです。

皆さんが望むより良い社会になることを祈りながら
この記事を終わりにしようと思います。

それでは皆さん

           𓂃 𓈒𓏸𝑰 𝒉𝒐𝒑𝒆 𝒕𝒐 𝒔𝒆𝒆 𝒚𝒐𝒖 𝒂𝒈𝒂𝒊𝒏𓂃 𓈒𓏸

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