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日系移住地オキナワへ、豊年祭の旅!(8月の振り返り編#2)

前回は、8月6日のボリビア独立記念日についてお伝えしました。

今回は、日系移住地オキナワに行ってきた様子をお届けします!

―8月の振り返り編― 目次
1.ボリビア独立記念日!
2.日系移住地オキナワへ、豊年祭の旅! ←今回はココ
3.再び!日系移住地サンフアンへ、運動会の旅!
4.7月のJICA海外協力隊活動(コンポスト編)
5.7月のJICA海外協力隊活動(バド隊員支援偏)
6.7月のJICA海外協力隊活動(その他編)


オキナワ移住地とは

ボリビアの東に位置するサンタクルス県に、日系移住地オキナワがあります。オキナワ移住の歴史は下記の通り↓

沖縄県出身移民がペルーからボリビアへ、ゴム林契約移民として入国したのは1909年(明治42)と推定されます。かれらは天然ゴム樹液採取のための契約移民でしたが、ゴム景気の去った1915年(大正4)以降も、ペルーに戻ったり、沖縄に帰国することをせず、ボリビア国内にとどまりました。1940年(昭和15)時点で46人を数えました。
  第二次世界大戦後、1951年(昭和26)から呼び寄せ移民が開始され、その後1954年(昭和29)に琉球政府によりコロニアオキナワ(沖縄移住地)が創設され、集団開拓移民計画が始まりました。この計画により、1954年(昭和29)の401人から1964年(昭和39)の102人までの11年間で3298人が移住しました。コロニアオキナワの建設には沖縄県民の先駆者たちが中核となり新移民導入に貢献しました。集団開拓移民は当初「うるま耕地」に入植しましたが、原因不明の熱病が発生し15人の犠牲者を出したことや、水害、交通の不便な立地条件などが重なって、移住地の変更を余儀なくされ、紆余曲折を経て、1956年(昭和31)、現在の第1移住地にすべて移動しました。その後1959年(昭和34)以降入植の第2移住地、1962年(昭和37)以降入植の第3移住地が建設され、順次に沖縄移住地が広がっていきました。総面積は約5万㌶となり、これは沖縄県の全耕地面積に匹敵する耕地面積となっています。
  過去50年余コロニアオキナワは大洪水や旱魃などの自然災害にも何回となく見舞われました。しかし、そのつど大自然の猛威を克服し、いまやかつての原生林や原野を青々とした小麦・大豆・とうもろこし・ヒマワリ・サトウキビなどの畑と牧牛などのための牧場に変換し、ボリビアでも有数の開拓移住地として、しかも、ボリビアの穀倉地帯として発展を遂げています。現在、第1移住地は「オキナワ」と称し、ボリビアの公式地図にもその名が記載されており、また、同地域は現地の先住民も含めて行政区として「オキナワ村」ともなっています。

オキナワボリビア歴史資料館( https://jommdms.jica.go.jp/fmp/okinawabolivia/map/ )

サンタクルス→オキナワへ

夜間移動が許されている時期なので、スクレからは夜行バスで移動することにしました。
サンタクルスまではだいたい11時間前後。
遅くて20時頃出発し、7時頃に到着します。

到着後、オキナワスーパーに向かいました。ここは日曜以外営業していて、日本食を買うことができます。
今回、日本文化祭用に焼のり100枚を購入しました。これで1,000円なのでかなり割高です。。

その後、サンタクルス北部の中継都市モンテロを経由してオキナワに向かいます。
この時、モンテロに行くときに「Parada a Okinawa, por favor(オキナワ行きの乗り場方面にお願いします)」と伝えておくと、近くまで行ってくれるので便利です。

モンテロで乗り換えて、オキナワに向かいます。
大体
 サンタクルス→モンテロ:1時間弱
 モンテロ→オキナワ:1時間弱
乗り合いタクシーなので待ち時間があることも多いですが、だいたい2時間ほどでオキナワに到着します。
オキナワは道路があまり舗装されておらず、かなり砂ぼこりが舞っている田舎の雰囲気です。

夜行バスでサンタクルスへ!
オキナワスーパー
春というお店。みりんなどもある
焼のり100枚
モンテロへ
サルテーニャを食べながらオキナワへ
オキナワ到着!

オキナワ第1

オキナワは第1から第3まで3つの集落があり、この第1が一番大きいコミュニティです。

JICAの支援で第1から第2移住地までの道路も整備されており、建物もどことなく沖縄の雰囲気で、日本食も売っていて、日本語を話す人もいて、感覚的には日本とあまり変わりがないなと感じます。

オキナワライフについては、コロナ前同期のあかりさんが記事を作成しているのでそちらをどうぞ!

JICAの協力によりつくられた道路
どことなく日本っぽい
日系人の方がやられている商店。漬物なんかもある
中心部への入り口
文字看板
鳥居
生姜焼き定食美味しかった

豊年祭前日!

上記写真にもありますが、オキナワに赴任されて数カ月のTさんのところに泊めてもらうことになり、昼食をご一緒したり商店に連れて行ってもらったりしました。

昼食後は、Tさんと先輩隊員のMさんが所属しているオキナワ第1日本ボリビア学校(日ボ学校)の見学をさせてもらい、日本語の授業をどのように進めているのか、学校の雰囲気がどのような感じかを、見せてもらいました。

その後、オキナワ移住地日本ボリビア協会の移住資料館を見学させていただき、最初に記載したような苦しい環境で移住してから今日までの歴史を拝見しました。
日本でも先人たちによる努力で今の平和が出来上がりましたが、「ボリビアの小麦の首都」と呼ばれるまでになったオキナワは、それこそ過酷な環境で土地を切り開き、田畑を開拓し成長を続けてきた先人たちの努力のたまものだなと感じます。

その夜は、続々と集まってきた隊員たちと前夜祭を楽しみ、翌日に備えました。(詳しくは下記写真参照で…笑)

日ボ学校の入り口
裏には校歌が
Tさん授業の様子
Mさん授業の様子
小さい子たちの使用教材
日ボ協会
日ボ協会建物
日ボ協会で開錠をお願いして見学
鳥観図(撮影許可頂いてます)
展示物等
昔は試される大地
歴史が物語る
このトランク1つで渡航…
オキナワのアンティクーチョおいしい
アイスを買う隊員たち
すごいの買ってた
ミスオキナワ
人力?の観覧車…
…に挑む猛者たち

豊年祭当日!

残念ながら雨のスタート…。
ということで、お昼頃までゆっくりしていました。

昼頃から行動を開始し、出店や村の雰囲気を楽しみ、いよいよ豊年祭がスタート!
オキナワの隊員のおかげで、いい席で観覧できることになりました。

開会式は、司会がトラクターで登場するという農業都市ならではの始まりでした。笑
在ボリビア日本国大使館の在サンタクルス領事館領事も臨席され、日本国歌とボリビア国歌がそれぞれ演奏されました。
その後は、三線の演奏や踊りの披露、空手などの演武が行われました。
また、琉球國祭り太鼓の演武も行われ、各団体でオキナワの隊員も活躍していて、私たちもとても楽しめました。

詳細は写真でどうぞ!

Tさんに頂いた朝食。日本食!
トトロデザインの車。かわいい!
準備中の公民館
企業などの出展
飲み屋さん
…で、タピオカを買う!
マジのタピオカ!
沖縄そば!
隊員みんなで観覧席に
オープニングアクトがトラクター!
日本国旗も
隊員とその生徒たちによる三線演奏
先生として活躍する隊員
伝統の踊り
空手なども
エイサー
子どもたちも参加するエイサー
みんなで踊る!&旗頭(旗を倒さないイベント)


次は…↓

3.再び!日系移住地サンフアンへ、運動会の旅!







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