【劇場映画鑑賞記】世界の終わりを予言するフォークロアとしての陰謀論 あるいは【映画レビュー】「ブゴニア / Bugonia」(2025)
ブゴニア Bugonia
2025年 イギリス・アイルランド・韓国・アメリカ合作 118分
★★★★ (秀作、見るべき)
監督:ヨルゴス・ランティモス
脚本:ウィル・トレイシー
出演:エマ・ストーン/ジェシー・プレモンス/エイダン・デルビス/アリシア・シルヴァーストーン/スタヴロス・ハルキアス

先週末、天皇誕生日の三連休、毎日映画を観に行った。
こういうのは勢いがつくと止まらない。
去年1年間で10本しか劇場で観てないのに、今年になってもう6本観てる。映画ファンとしたらそれほどハイペースでもないが、1年前まで20年以上映画館で映画を観ていなかった身としては今の状態は完全に映画館三昧という感覚だ。
三連休の最終日は妻とランティモスの新作を観た。
ランティモスはちょっと前まで変な映画を撮る人だったのがいつの間にかアカデミー賞の常連になって、この作品も作品賞にしっかりノミネートされている。年齢的にも「巨匠」のポジションを確立したといって良いだろう。
ランティモスとしては初となるリメイクもので、オリジナルは韓国映画の「地球を守れ」。鬼才アリ・アスターの企画製作で、韓国資本も製作に加わりオリジナルと同じ監督で英語版を撮るはずだったのが、監督が健康上の理由で降板したため、ランティモスにお鉢が回って来たという経緯。
ランティモスを代役に選ぶという時点でどう見ても普通ではないのだが、実際ランティモスが最初から企画に参加していたと言われても違和感がない異常な設定である。
妻は人が死ぬ映画しか観ないことはここで何度か書いているが、実をいうと「ブゴニア」で人が死ぬかどうかは事前に知らなかった。オリジナルは観てないけど、ちらっとネットで読んだ限りでは、地球滅亡を企むエイリアンを拉致して地球の滅亡を救うという陰謀論者の話ということなので、たぶんそれなりに人も死ぬだろうと予想して妻を誘ってみた。
予想は大当たりだった。
まさかここまでたくさん死ぬとは思ってもみなかったが。
ストーリーは思いっきり破綻している。
農薬によるミツバチの大量死と母の薬物禍の真の原因を探る中で、アンドロメダ星人が地球侵略のためバイオケミカル企業のCEOミシェルに成りすましていることを突き止めたテディは、従弟と二人でミシェルを誘拐し、アンドロメダ星の皇帝との対話を要求、地球侵略を止めようとする。
と、ここまで書いた時点ですでにまともなプロットではないことが一目瞭然だが、ストーリーが進むにつれてこのどう見ても荒唐無稽な陰謀論がなんとなく真実性を帯びていくのがこの映画の秀逸さである。そこでは陰謀論にありがちな現代文明批判や物質主義批判、人類による環境破壊批判など、ステレオタイプなニューエイジかぶれの大きな物語が粗雑に語られる一方で、ミシェルがそういった反人類的な活動の意図を隠蔽しながら、裏でそれを積極的で推進しようとしているかのような暗示がされる。テディの意外なほど理知的で理路整然とした追及と、ミシェルのいかにも不当な行為を虚飾する意図を感じさせる見せかけのインクルーシブ・キャピタリズムを体現した回答を比較すると、まるで前者に理があるかのように観るものが錯覚する瞬間があってもおかしくない。そしてそれは終盤にかけて、単なる錯覚ではなく現実となっていく。この展開のスリリングさと、そうは言っても冷静に考えると無理やり感満載の出鱈目さの微妙なバランスの可笑しさがこの映画の醍醐味と言って良いだろう。どう見ても真面目に作ってるとは思えないプロットだが、中盤の展開は想像しているよりもずっと真剣な作りのようにも見えて来て、単純に笑い飛ばしてしまっていいのか自信がなくなって来る。
それこそがランティモスのランティモスたる所以であり、彼をこの作品のピンチヒッターに指名した製作陣の目論見が見事に当たったということだろう。
そういったブラックジョーク的な半笑い展開もさるところながら、ランティモスらしさは閉じた空間での支配・被支配の関係の逆転という設定の描写の強度に最大に発揮されている。これこそがランティモスが永年描き続けて来たテーマであり、彼の真骨頂と言ってもいい。
近代合理主義への懐疑や資本主義の搾取構造批判といったランティモスのお家芸的芸風も作品の中にしっかりと根を下ろしていて、これは前作「哀れなるものたち」での閉じた空間での支配・被支配関係が外部の支配原理と衝突する構造の延長線にあると言えるだろう。
その意味ではまさにランティモスらしい作りであり、代役での雇われ監督作品とは思えないランティモスワールドが繰り広げられている。
ラストシーンの手前までは。
これは賛否が分かれるところだろうし、リメイクという点からも致し方ないのだろうが、やはりあのオチはランティモスにしてはあまりに普通過ぎて弱い。あの形でストーリーに結末じみたものが映画の中で語られてしまうというのは一種の予定調和であり、人類の愚かさに対する批評性という観点では逆にステレオタイプに見えてしまうのだ。
まあ、この辺の感覚は映画の世界観に関する美学にも関わるところではあるのだが、彼がこういうカタストロフィー的な終末感を良しとする人だったというのは若干意外だった。とは言え、人類以外の他の環境は何の変化もなく存続しているというのがランティモスなりの精一杯の逆説的なメッセージではあろう。人類が去ったあとの美しい世界、それをあのラストシーンは示唆している。
もちろん、あの描写を美しいと思うかどうかは観るものの判断に委ねられるだろう。
だが、自分はストーリー展開には疑問を抱きながらも、あれを途方もなく美しいと感じたのだ。
だから、批評性は足りないかもしれないが、やはりランティモスらしい傑作だと言わざるを得ない。
それが映画の力だ。
正直言って観る前は設定の荒唐無稽さが「籠の中の乙女」や「ロブスター」などの彼の初期の作品に見られるただ理不尽なだけの不条理構図のようにも見え少し不安だった。観ている間もその不安が完全に払拭されたわけではなかったし、観終わってもその思いが完全に消えたわけではない。もちろん設定の問題は今回は彼の責任ではないのだが、結果的に商業映画としてうまく落ちる形になっており、何気にエンターテイメントとして質が高い。
投げっぱなしジャーマンの名手がきっちり最後までホールドしているという印象だ。
そういう意味では先日観た「プレデター: バッドランド」とこの映画は同じ地平にいる。やや無理やりで極端な比較だけど、そんな風にも感じた。

俳優陣にも簡単に触れておこう。
ランティモス組の常連となった感のあるエマ・ストーンは今回ランティモスの監督起用と同時に製作にも加わっており、ランティモスとのパートナーシップの深さを伺わせる。
前半の知的だがイケ好かない若きエグゼクティブの厭味っぷりと後半の狂気をも孕む行動力を発揮するスーパー女傑ぶりの対比が物語のニュアンスの転換を見事に照射させていて、まさにこれぞ女優というべき仮面の変貌ぶりである。
前前作「哀れなるものたち」の怪演で念願のオスカーを受賞したが、個人的には此方の方がより凄味を感じさせる演技で脱帽という他ない。
前作のオムニバス「憐れみの三章」から新たにランティモス組に加わった感のあるジェシー・プレモンスの熱演も見事。「パワー・オブ・ザ・ドッグ」で初めて観た時から力のある俳優さんだとは思っていたが、今作はまさに一皮剥けた印象で或いは彼の代表作になるかもしれない。
そして忘れられないのが、テディの従弟で気弱な共犯者ドンを演じた新人エイダン・デルビスだろう。公開オーディションで選ばれた、これが商業映画デビュー作となったデルビスは見かけよりずっと若く、まだ20歳だという。ほぼ演技経験のない完全な素人だそうで、偶々役柄が上手く嵌っただけかもしれないが、支配者に搾取され導かれる運命に逆らう人間という役どころはこの映画の構造を象徴する隠れた主役と言っても良い。

最後に、話は若干脱線するが、テディが説く陰謀論に自分がさほど嫌悪感を感じなかったのは、それが今風の「ネットで真実」タイプのチープで粗雑でインスタントな作りのものではなく、「ムー」や今はなき「UFOと宇宙」「トワイライトゾーン」のような古式ゆかしく由緒正しいオカルティズムに根差したものだからだろう。別に古いから良いというものではないが、ちょっとまともな学術書を読めばすぐ間違いだと判明してしまう底の浅い昨今のネット系のインスタントな陰謀論とは格が違っていて、出鱈目ではあるが知的でありよく作り込まれていている。
映画のタイトルとなっている「ブゴニア」は古代ギリシャ由来のギリシャの民間伝承で牛の死骸からミツバチが自然発生するという信仰を指す言葉だそうだ。つまり、ランティモスは陰謀論の外形に仮託しつつ科学万能主義への批判を現代のフォークロアとして現出させているのだ。そこには近代科学がもたらした「土着信仰」への懐疑を敢えて今一度リセットしてみようという意図が伺える。そういう視点でみると、「哀れなるものたち」とのより強いリンケージが見えて来るのではないか。そんなことも考えた。
前近代的なフォークロアは、無知の産物であると同時に、人間が世界を理解しようとした真摯な試みでもあった。現代の陰謀論もある意味そのバリエーションなのだろう。ランティモスはそれを嘲笑するでも断罪するでもなく、むしろ美的に再演してみせる。
もちろん科学的には正しくない。それを近代社会の現実に適応させようとする試みは危うさを孕む。だが人間はその本質において概ねまったく合理性ではないという事実もまた否定できない。あのラストシーンの美しさは、その両義性を静かに抱え込んだまま提示される。ランティモスが著すのは警鐘なのか共感なのかは判然としない。その曖昧な混沌も含めて傑作と評価したい映画だ。
ちょっと綺麗にまとめ過ぎたかもしれない。
