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【劇場映画鑑賞記】【映画短評】「スティング / The Sting」(1973)

スティング The Sting
1973年 アメリカ 129分
★★★★☆ (傑作、見ないと損)
監督:ジョージ・ロイ・ヒル
脚本:デヴィッド・S・ウォード
出演:ポール・ニューマン/ロバート・レッドフォード/ロバート・ショウ/チャールズ・ダーニング/レイ・ウォルストン


TOHOシネマズの名物企画「午前十時の映画祭16」で「スティング」を観て来た。名目としてはやや遅まきながらロバート・レッドフォードの追悼となっている。もうひとつの上映枠は「スパイ・ゲーム」。普通は代表作として名前が挙がることの多い「明日に向って撃て!」か「大統領の陰謀」か、記念碑的な存在として「追憶」あたりをチョイスしそうなものだが、少々捻りを利かせたのだろうか。利かせすぎな気がする。
「スティング」はこの企画ですでに何回も上映されているいわば定番メニューなのだが、最近は意外とラインナップに入っていなくて、12年ぶりということになる。

自分はこの映画は大好きで何度も見ているのだが、劇場で観るのは初めてだ。
生涯ベスト●●に入るような映画ではないとは思っているのだが、時々無性に観たくなる。そして観るたびに好きになる。そういう稀有な映画だ。

最初に観たのはもう40年以上前の高校生の時。テレビ放映だった。
当時でも名前だけはやたらと有名な作品だったのだが、派手なアクションや銃の撃ち合いがあるわけでもなく、ストーリーも今一つよくわからなくてなんだか地味な印象を抱いたことを覚えている。まだ「明日に向かって撃て!」を観る前だったと思う。その後「明日に向かって撃て!」でこのコンビの魅力、特にロバート・レッドフォードのカッコよさに痺れたので、大学生の時流行り始めていたレンタルビデオを借りて観てみた。
ちゃんと見てみると、ナニコレ?カッコイイじゃん!となった。プロットも洒落てるし、エンディングの落とし方も絶妙。完全にストーリー展開を把握したわけではなかったが、お気に入りの映画のリストに入ることになった。それ以来記憶にあるだけで少なくとも二回、DVDと配信で観たので、今回が5回目ということになる。20年以上円盤を保有している「山猫」や「ミツバチのささやき」や、2~3年間隔でテレビ放映されるたびについ観てしまう「カリオストロの城」や「ラピュタ」には劣るが、おそらく「ローマの休日」や「サウンド・オブ・ミュージック」と同じくらいは観ているのではないか。観ている回数ランキングで言えばかなり上位に入ると思う。

さすがに今回観てプロットは全部理解した。もう少ししたら忘れちゃうかもしれないが、今の時点ではちゃんと覚えている。観直すたびに毎回大事なところを忘れていたりするので、毎回新鮮な気持ちで観れるのがいい。
さすがにネタバレしちゃダメな映画だと思うので、みんな当然知ってるとは思うけどストーリーについては触れないでおく。となると、他に書くことはあまりなさそうなので、この映画がどれくらい凄い映画なのかについて書いておこう。


本作は第46回アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、編曲・歌曲賞の7部門を受賞している。興行成績も優秀で世界で2億5,700万ドルという当時としては破格の大ヒットを飛ばしている。同年代の「燃えよドラゴン」が4億ドル、少し時代が下がる「スターウォーズ」や「ジョーズ」が4億~7億ドルだからそのレベルには及ばないが、70年代のハリウッド映画を代表するメガヒット作といって良い。
商業的に大成功した上に評論家筋の評価も高い名作ということになりそうなのだが、70年代前半のアメリカ映画は「ニュー・ハリウッド」や「アメリカン・ニュー・シネマ」と呼ばれるような敗残者の悲哀を描くスタイルの作品が注目を集め、映画史的にもそちらにスポットライトが当たりやすくなっているため、本作のような古き良き時代のオールド・ハリウッド・スタイルの犯罪コメディは、あの時代を振り返った時、意外と支持を集めにくいポジションにいると言えるだろう。めちゃくちゃ単純化して言うとあの時代はアメリカン・ドリームを否定する映画が評価されやすくて、この映画のようにアメリカン・ドリームを肯定的に捉えた作品は時代を反映する作品としては弱かった。

まあ、そういう時代的背景を除いても、「映画史を変えた革新的傑作」的な作品ではないので「世紀の名作」みたいなリストには入りにくいが、ハリウッド娯楽映画としての完成度で言えば、ほぼ理想形に近い。
映画の醍醐味が虚構を作り上げて観客を騙すことにあるとすると、この作品はその点において本当に映画らしい映画だと言える。映画という虚構の中で別の虚構を作り上げて、報復の相手だけでなく、観客まで騙す。その構造が何回見ても見事なので、そのたびごとに喝采を送りたくなる。


今更感はあるが、今回観て改めて思ったのは、レッドフォード演じるフッカーとニューマン演じるゴンドーフの関係性が、ほぼそのまま「明日に向かって撃て!」のサンダンス・キッドとブッチ・キャシディのそれを敷衍しているということだ。
いや、そんなの常識だろ、早く気づけよ、と言われそうだが、意外とこういう仕掛けが多い映画を観るとどうしてもそちらに注意が行ってしまうものなのだろう。恥ずかしながらこんな当たり前のことに意識が及ばなかった。
いずれも監督は同じジョージ・ロイ・ヒルなので、当然それは意図的な設定なのだろう。

ストーリーの結末は正反対だが、どちらも「古い無法者の世界が終わりかけている」という感触がある。
「明日に向って撃て!」は西部劇フロンティアの終わりを破滅的に描いた映画で、「スティング」は大恐慌期の裏社会の終わりをノスタルジックに再現した映画だ。
そこでニューマンとレッドフォードのコンビは、消えかけた古い男たちの芸をスタイリッシュに演じてみせる。前者では滅び、後者では一時の勝者となる。西部劇の終焉とともに破滅した死んだコンビが、大恐慌時代の詐欺師として復活して今度は虚構の力で死んだふりをして生き延びる。これは連作として考えるとかなり美しいシークエンスだ。

だが、よく考えてみれば、「スティング」の結末は永続的な勝利を保証したものではない。タイトルからして「蜂の一刺し」である。決して詐欺師が勝ち続ける映画ではないのだ。
大恐慌が終焉を迎えようとする時代に、古き良き時代のチンピラ犯罪者たちが、裏社会の犯罪者でありながら表舞台にのし上がって来た新興の金融資本家に、タイトル通り蜂の一刺しのような快心の一撃を食らわせて「一矢を報いる」みたいな話なのだろう。それは彼らにとって、最後の、一瞬の勝利なのかもしれない。そういう意味ではこの二つの映画の構造は、まるで異なるエンディングを迎えているように見えて、実はほぼ地続きの世界観を描いているようにも思えるのだ。

街の詐欺師たちと金融資本家の対決。持てるもののスケールが違いすぎる。
フッカーたちがこの巨大な敵に対して真の勝利を収めるのは望み薄だ。
だから彼らは、勝ち逃げできるように「見える」舞台を作る。
ロネガンを騙し、権威を偽装し、自らの死を演出する。現実に勝つのではなく、虚構によって一瞬だけ現実を上書きする。
これはまさに映画そのものだ。

そう考えると「スティング」の祝祭的にすら見える結末は単なるハッピーエンドではなく、ひとときの夢の世界のような儚さに満ちている。
古い詐欺師たちは世界を変えられない。新興の資本と暴力のシステムには勝てない。けれど、一度だけ、完璧な虚構で一矢を報いることはできる。

やや牽強付会にすぎるかもしれないが、映画を観終わってからそんなことを考えた。となると、「スティング」という映画の価値は単なるノスタルジックなアウトローのカタルシスストーリーにあるとばかりは言えないようにも見えて来る。
その勝利が刹那的であるからこそ、尊く、儚く、美しい。
そういう意味では、映画史に残る黄金コンビともいえるレッドフォードとニューマンの競演が、この二作のみで終わりとなったことも、美しい偶然として歓迎すべきことなのかもしれない。


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