すべてのおとぎ話が現実にならなくても人生の幻想は終わらない あるいは【映画レビュー】「エール! / La famille Bélier」(2014) / 「コーダ あいのうた / Coda」(2021)
エール! La famille Bélier
2014年 フランス 105分
★★★★★ (映画史に残る名作、必見)
監督:エリック・ラルティゴ
脚本:ヴィクトリア・ベドス/トーマス・ビデガン
出演:ルアンヌ・エメラ/カリン・ヴィアール/フランソワ・ダミアン/ロクサーヌ・デュラン/イリアン・ベルガラ/ルカ・ジェルベール
Coda コーダ あいのうた Coda
2021年 アメリカ・フランス・カナダ合作 111分
★★★★★ (映画史に残る名作、必見)
監督:シアン・ヘダー
脚本:シアン・ヘダー
出演:エミリア・ジョーンズ/トロイ・コッツァー/マーリー・マトリン/ダニエル・デュラント/フェルディア・ウォルシュ=ピーロ/エウヘニオ・デルベス/エイミー・フォーサイス
2022年のアカデミー作品賞を受賞した「コーダ あいのうた」を数か月前にサブスクで薦められて鑑賞し、ボロボロになるまで泣いた。
そういう作りの映画だということは予告編を見て知っていたし、ある程度覚悟はしていたが、それにしても生涯何度目か記憶にないほど涙が止まらなかった。
若い時分は映画を見て泣いたなんて話を堂々とは言えなかったし、今でももちろん気恥ずかしいところはあるのだが、この歳になると変に強がったり、冷めてひねくれたことを言うより素直に感動したと伝えた方が楽だと思うようになった。
映画のストーリーラインも泣かせるようにできているのだけど、それにしてもまさかJoni Mitchelの"Both Sides Now"であそこまで泣かされるとは、これは若い頃には全く想像ができない経験だった。
あの曲は「かつて信じていたものの見方が揺らぎ、逆から見る現実も知ったのに、なお本質を理解できていない」的な歌詞なんだけど、どこかJoni一流の皮肉っぽい諦念みたいなものを感じてて、良い曲だけど冷めてるニュアンスで捉えていた。この曲を聴いて泣くなんて思いもしなかった。
こんな経験ができただけでもこの作品は自分にとって印象に残る素晴らしい映画だと認めざるを得ない
「コーダ あいのうた」が2015年に公開されたフランス映画「エール!La Famille Bélier」の比較的忠実なリメイクだということはつい最近知った。自分はサブクスの映画を見る前に殆ど事前にリサーチをしないので全然知らなかったのだが、「コーダ あいのうた」について何か書きたいと思って調べ始めたらものの数分でその情報に遭遇して驚いた。
まず、こういうお涙頂戴系の話のオリジナルがフランス映画というのが意外だ。想像しづらい。これは一度見て比較しないといけないと思い、アマプラのラインナップにあったので見てみた。
これも良かった。甲乙つけ難い。リメイク版の方が自分は好みだが、オリジナルのやや淡々とした作りの方が好きという人がいても不思議ではない。
リメイクなんだから当たり前だが、二作はほぼ同じストーリーである。
聴覚障害のある家族のなかで唯一耳の聞こえる娘が、歌の才能を見出され、やがて家族のもとを離れて音楽の道を志すという筋立ては両作に共通しており、ストーリー展開も大枠ではほとんど一致している。かなり忠実なリメイクと言ってよいだろう。
とは言え、お国柄の違いというか、両者を見比べると異なる空気が漂っていることも事実。鑑賞後の印象も微妙に異なる。その差異は背後にある社会文化の違いを反映しているようにも見えて興味深い。
その辺も含めて二作を一度にレビューしてみる。
まずオリジナルの「エール!」だが、フランス北西部の農村を舞台に、酪農業を営む一家の物語として描かれる。
主人公ポーラは両親と弟の唯一の「耳」として日常を支えつつ、気になる男子につられて入った合唱クラブで自身の歌声を発見する。物語の核は、彼女が家族への責任を背負いながらも、個としての夢を追い求めて旅立つ決断を下す点にある。家族の生活は彼女なしでは立ち行かないかもしれないが、それでも「自分の人生を生きる」ことが優先されるべきだというメッセージがはっきりと示される。何となくフランスっぽいのは、家族を愛しつつも、彼らから一定の距離を取って自立することがポーラの成長として強調される点だ。
リメイク版との差という点に着目すると、この自立は主人公と家族全体という関係ではなく、とりわけ母子関係の対立に焦点が当てられている点が特徴的である。母親は健聴の娘に対して疎外感を抱き、彼女の挑戦を素直に受け入れられない。その一方で、父親は比較的早い段階から協力的な姿勢を示し、娘の選択を支援する。つまり「エール!」は、母と娘の葛藤を軸にした物語であり、父はむしろ後押しする存在として描かれる。さらに副線として、父親が村長選挙に立候補するというエピソードがあり、これは娘の挑戦と呼応しつつも、個々がそれぞれに自立を果たす物語として響いている。
一方で「コーダ あいのうた」は、舞台をアメリカ東海岸の漁村に移し、漁業を生業とする一家の姿を描く。
主人公ルビーも同様に家族の「耳」として日々を支えているが、ここで強調されるのは家族全体との軋轢である。母や兄も含めた「家族対ルビー」の構図が物語を牽引し、彼女の自立は個人の問題ではなく、家族共同体の再編と表裏一体の課題として描かれる。
また、家族が新たな挑戦に踏み出す筋立ても微妙に異なる。「エール!」では父親個人が環境破壊を推進する村長に対抗するために村長選挙に挑むのに対し、「コーダ」では一家全体が協力して既存の組合を離れ、独自の販路を切り開こうとする。オリジナルの方のエピソードももちろん家族を守るための挑戦なので完全な個人の戦いではないが、リメイクの方がより家族の一体感が必要な挑戦として描かれており、娘の夢と家族の新たな試みが不可分に絡み合う物語構造になっている。
さらに主人公の家庭内での役割の重さも異なり、リメイク版の方が格段に重い。
これは家族が営む事業が比較的バッチ処理が可能な酪農とリアルタイム処理の連続である漁業の違いが大きく影響しており、リメイク版でここの設定を変更した意味はこの構図を変える意図があったのだろう。
ポーラの場合、家族の日常を支える役割は大きいものの、彼女がいなければ家族の生活が立ち行かないというほどの重要な役割は担っていない。対してルビーは漁業経営や規制対応において欠かせない存在として描かれ、彼女が家庭を離れることはたちまち家族の生活基盤を危機に晒す。
一例だが、ルビーが漁船に同乗しなかったことで沿岸警備隊の無線に応答できず罰金を科された上に聴者が同乗することを義務付けられてしまうという物語の中盤のエピソードが語られる。これで彼女のリソースは家業の援助により多く割かれざるを得なくなる。独自の販路開発という新事業立ち上げの準備もあり、元から重要だった彼女の位置づけが、劇中でもどんどん重要度を増していくのだ。彼女の自律の選択は、よって、より切実な緊張を孕み、強い感情移入を促す仕掛けになっている。
あざといが巧い。わかってても泣かされてしまう、という展開だ。
演出のトーンにも濃淡がある。
「エール!」はコメディ的な軽さとエスプリ的な毒気を帯びており、家族の日常をユーモラスかつ少し皮肉っぽく描いている。キャスティング面では、聴覚障害を持つ役柄を健聴の俳優が演じており、リアリティよりもフィクションとしてのわかりやすさを優先している印象だ。
それに対し「コーダ」は、実際に聴覚障害を持つ俳優を起用し、ろう者コミュニティの文化を尊重して描いている。このあたりは演出の問題だけではなくPolitical Correctnessの問題も孕んでいそうだが、結果として演者たちの手話による豊かな表現力が強烈な印象を与えてくれる。こちらはオリジナルよりも写実的で、感情を直接揺さぶるストレートな演出が際立つ。
両者の差異は、ある意味映画文化の違いを象徴している。
フランス映画は、自己主張の強いモノローグ的なやりとりが中心で見るものに一歩距離を置かせ俯瞰させる傾向を持つのに対し、アメリカ映画は直接的なダイアローグでストーリーラインを形作って見るものに感情移入させる方向へと導く傾向が強い。そういう意味ではいずれも典型とは言い難いものの「エール!」はフランス映画っぽいし、「コーダ」はアメリカ映画っぽい。
めちゃくちゃ底の浅い論考だが、なんとなく意図するところはわかってもらえるのではないか。
短絡的で稚拙な比較文化論に落として結論付けるつもりなど毛頭ないが、こうした差異は両国の社会文化の基盤に起因すると言うこともできる。
フランスは何と言っても啓蒙思想の本場であり、個人の自由と自律が重要視され、若者が家族の庇護や支配から離れて自己の道を切り開くことは一種の理想として描かれる。「エール!」におけるポーラの旅立ちは、まさにその理想の具現化だ。つまり、ポーラの挑戦は根本的に理のあるものとして描かれているのだ。
一方でアメリカ社会においては、個人の自立は否定されないにせよ、それが家族や共同体との絆と結びついていることが重視される。オールドファッションな価値観であり、すでにカビだらけだがそれでも一定の支持は確保している。「コーダ」がルビーの夢を「家族と共有する愛」によって完成させたのは、まさにアメリカ的な家族主義の反映に見える。ルビーの挑戦が意義あるものになったのはそれが家族の絆と深く結びつくからである。
両作品は物語構造をほぼ同じくしながらも、個人主義的なフランスと、家族主義的なアメリカという二つの文化の差異を感じさせる。
さらに象徴的なのは、クライマックスとなるオーディションでの選曲の違いだ。ある意味この違いが最も端的に二作品の味わいの差を作り出しているということもできる。
「エール!」のポーラが歌うのはミシェル・サルドゥの「Je vole(私は飛び立つ)」。タイトル通り、家族からの旅立ちを直接的に歌った楽曲であり、親への愛を込めつつも自分の道を選び取る決断の強さがストレートに伝わってくる。この場面は、彼女が家族に別れを告げ、自己の自由を獲得する瞬間を象徴しており、フランス的な「個の自立」の美徳を端的に表現している。
映画での歌唱バージョンがこちら。演じたルアンヌ・エメラのアーティスト名Louane名義でレコーディングされているようだ。
対して「コーダ あいのうた」でルビーが歌うのはジョニ・ミッチェルの「Both Sides Now」。
「青春の光と影」という邦題で知られるこの曲は「人生をさまざまな側面から眺めてきたが、結局は何もわかっていない」という大人びた諦観をたたえた歌詞を持つことで有名だ。だが、この展開で歌われると、原曲の持つ少々皮肉めいた諦念とは異なるニュアンスを帯び、ルビー自身の未熟さへの悔恨と未来への希望を表明する感動的な曲となる。
ルビーがこの曲を選ぶことで、彼女の旅立ちは単なる家族からの離脱ではなく、愛する家族との関係を思い起こしながら世界に踏み出す姿として描かれる。そこには断絶ではなく共有と理解のメッセージが込められている。
Rows and floes of angel hair
And ice cream castles in the air
And feather canyons everywhere
I've looked at clouds that way
天使の髪の毛がずらりと並び
空にはアイスクリームの城
そして至る所に羽根の峡谷
そんな風に雲を眺めてきた
But now they only block the sun
They rain and snow on everyone
So many things I would have done
But clouds got in my way
でも今はただ太陽を遮るだけ
みんなに雨や雪を降らせる
やりたいことがたくさんあったのに
でも雲が邪魔をする
I've looked at clouds from both sides now
From up and down
And still somehow
It's cloud's illusions I recall
I really don't know clouds at all
雲を両側から眺めてきた
上からも下からも
それでもなんとなく、雲の幻影を思い出す
雲のことなんて、本当に何も知らない
Moons and Junes and ferries wheels
The dizzy dancing way you feel
As every fairy tale comes real
I've looked at love that way
月と六月と観覧車
めまいがするほど踊っているような感覚
おとぎ話が現実になるみたいに
私は愛をそんな風に捉えてきた
But now it's just another show
You leave 'em laughing when you go
And if you care, don't let them know
Don't give yourself away
でも今はただのショー
帰る時はみんなを笑わせる
もし気にするなら、知られないように
自分を明かさないで
I've looked at love from both sides now
From give and take
And still somehow
It's love's illusions I recall
I really don't know love at all
愛を両面から見てきた
与えることと受け取ること
それでもなぜか
思い出すのは愛の幻想
私は本当に愛を知らない
Tears and fears and feeling proud,
To say "I love you" right out loud
Dreams and schemes and circus crowds
I've looked at life that way
涙と恐怖と誇り、
「愛している」と声に出して言うこと
夢と計画とサーカスの観客
私は人生をそんな風に見てきた
But now old friends are acting strange
They shake their heads, they say I've changed
Well something's lost, but something's gained
In living every day
でも今、昔の友達の様子がおかしくなった
みんな首を横に振って、私が変わったって言う
まあ、何かを失ったけど、何かを得た
毎日を生きる中で
I've looked at life from both sides now
From win and lose
And still somehow
It's life's illusions I recall
I really don't know life at all
人生を両面から見てきた
勝ち負けから
それでもなぜか
思い出すのは人生の幻想
私は本当に人生を何も知らない
(和訳はGoogle先生)
多少強引ではあるが、選曲の違いがそのまま、「エール!」の個人主義的自立と「コーダ」の家族的調和というテーマの違いを映し出しているようにも見える。
自分は”Both Sides Now”の使い方に感銘を受けたが、オリジナルの素朴なメッセージの方がより心に響くという人がいても不思議ではない。そこに優劣はない。
差異ばかり述べてきたが、基本的には両作には共通する美点の方が多い。
何よりも「声を持たない家族の中で、自らの声を見つける少女」というストーリー設定は普遍的な魅力を備えている。
家族や環境の制約や障害を超えて成長するといういつの時代にも色あせないジュブナイルストーリーがそこで展開される。
ポーラやルビーの歌声は、その普遍性と呼応し、青春の葛藤を象徴するものとなる。
また両作とも、聴覚障害を悲劇として強調するのではなく、ユーモアや愛情と同じ地平で描いている点が優れている。障害は特別なものではなく、家族の一部として自然に存在し、そこから人間ドラマが当たり前のように続いていく。この視点は、現代社会における多様性の理解にもつながる重要な価値感を提示している。
強引に纏めると「エール!」と「コーダ あいのうた」は、ほぼ同じ物語を語りながらも、フランスとアメリカという二つの文化の違いを背景に各々異なる色合いを帯びた作品となっている。
個人の自由と家族との調和。いずれに重きを置くかで印象は異なって来るのを実際に比較してみるのは面白い。
いずれにせよ、ここはベタながら、やっぱり家族っていいよね、という身も蓋もない感想で締めくくりたい。
幸いにも、それを殊更否定するような歳の取り方をして来ていないので。
