【パリ観光#1】エッフェル塔はデザインされた高さ
先日パリに行きました🛩️
旅の目的は観光でしたが、歩けば歩くほど、
「パリは“都市そのものが作品”としてデザインされている」
と強く感じました。
そして疑問に思いました。
"なぜ日本にはエッフェル塔のような存在はないのだろうか?"
僕は普段、都市づくりや建設プロジェクトに関わる仕事をしています。
その視点からパリの街を見たとき、
“日本の都市にはない構造的な違い”が驚くほど鮮明に見えました。
このシリーズでは、旅行で感じたことを
建設マネジメント×観光デザインの観点から言葉にしていきます。
第1回はパリの街づくりについて、
建設・政策それぞれの側面から深掘りします。
🌍 パリの街並み=「デザインされた観光都市」
パリを歩いてまず驚いたのは、
街並みが異常なほど統一されていること。
建物の高さ、色、素材、窓の形、
そして放射状にのびる大通り。
それらすべてが、
エッフェル塔や凱旋門といった、
ランドマークを“引き立てるため”に設計されている。
観光スポットが“都市に埋め込まれている”のではなく、
都市全体が“観光の舞台装置”として組み上がっている感覚でした。
✏️①高さの管理="相対的な高さ"を演出
エッフェル塔からの眺めを見た瞬間、
思わず「高さ」に驚きました。
直前に行ったスカイツリーよりも高い感覚。
でも、あとになって気づいた事は、
エッフェル塔が高いのではなく、周囲が低い。
パリ市内には、目を凝らしても高層ビルがほぼ見当たりません。
視界を遮る建物が存在しない。
パリの街は“水平”に広がっているように見える。
これは偶然ではなく、
歴史的背景のある“戦略的な高さ規制”の結果です。
■ パリは「長い時間をかけて高さを揃えた都市」
パリ中心部には 建物の高さを約37mに抑える建築規制 があるため、展望階 約276mのエッフェル塔は“突き抜けて高く見える”。
(現在は多少緩和されているけれど、依然として“パリらしさ”を守るための強い景観ルールが生きている)

明らかに高さが統一されている。
■エッフェル塔を中心に"視界が抜ける"通り
エッフェル塔は、展望台から見ても、地上から見ても、とにかく“見通しがいい”。
そしてどこにいても存在感がある。
それは単に高さの問題ではなく、都市そのものが「エッフェル塔を見せるため」に設計されているからだと感じる。
パリの街路は、中心に向かって“視界が抜ける”ようにつくられている。
交差点を曲がった瞬間に、塔がふっと姿を現す。
あれは偶然の風景ではない。
日本にも似た例があって、姫路城や熊本城はまさにその典型。
どの通りからも視界が抜け、ランドマークが街に“主役として君臨”している。日本の城下町の作りに似ていると感じました。
■ パリは“視界そのもの”をデザインしている
パリの特徴は、
都市の“視界”を建物と同じレベルで設計していること。
高さ規制によって、
空を大きく見せる
ランドマークの視認性を保証する
視界の一貫性を保つ
ということが都市全体で行われている。
だから、展望台に登った瞬間、
パリ全体が“水平の海”のように広がるように見える。
その中に、エッフェル塔だけが静かに突き出している。
これこそが“演出された高さ”なんだと思いました。
ここが重要なところで、
こうした“都市の一体的な高さ管理”は
個別の建設会社や特定の事業者では絶対に実現できない。
街全体としての
高さ規制
景観指針
都市構造
歴史的文脈
が組み合わさってはじめて実現できる。
つまりパリは、何十年という時間軸で
「都市そのものをアート作品として維持する仕組み」
を作っているわけです。
日本の“個別最適”とはまったく別世界でした。
✏️②パリは街並みを “ブランド化する"
パリのすごさは高さだけではありません。
建物の
色
素材
バルコニー形状
窓の幅
屋根勾配
ここまで細かくルール化されています。
統一された街並みの結果、都市全体がひとつのアート作品のよう。
「パリの街並み」と耳にして、シャンゼリゼ通りのような街並みが頭に浮かぶ。これはパリが街並みを"ブランド化"できている証拠だと思います。

建物デザインの統一感がすごい。
■京都は街並みを"ブランド化"できている事例。しかし・・・
京都も高さ制限やファサード規制により街並みが保たれている。
だから「京都」という言葉だけで、誰もが統一された景観を思い浮かべられる。
これもまた、京都が街並みを"ブランド化"できている証拠。
ただ、個人的に残念に感じるのは、
京都の建物は高さが揃いすぎていて、
相対的な高さを際立たせる象徴的なランドマークが存在しないこと。道路は碁盤状で優秀なのに、
“見通しの先に何が見えるか”という体験設計が弱いこと。
京都で高さのあるランドマークといえば、「京都タワー」でしょうか。
その高さは約130m程度で、京都の街中からは埋もれています。
「清水寺」や「大文字焼」もある程度どこからでも見える象徴的存在ですが、彼らを中心に観光体験が設計されている訳ではなく「結果的に見える」という構造。
パリは「均質の中にシンボルが刺さる構造」。
京都は「均質そのものがブランド」。
この違いが都市体験の差として現れている。
■なぜ日本の都市は"ブランド化"に失敗しているのか?
理由はひとつだけではないけれど、
私は「ステークホルダーの分断」が最も大きいと考えている。
発注者は予算と工期を見る
行政は公益と規制を見る
施工者は自社の利益を優先する
それぞれが“自分の正義”だけで都市をつくる。
“誰も「歩く人の体験」をKPIにしていない”。
その結果、
誰も「街全体の姿」について責任を持っていない。
だから、東京と言われて思い浮かぶのは
「雑多なビル群」「統一感のない景色」。
世界一の都市にもかかわらず、視界にブランドがない。
正直、これはもったいないし、哀しい。
一方パリは、機能性を犠牲にしてでも景観を守る。
高層ビルを建てられないということは、
**“オフィス供給を意図的に放棄している”**ということ。
しかし、観光の中心部では規制を譲らない。
“何を守り、何を捨てるか”という線引きを徹底している。
この覚悟が街の強いブランドをつくっている。
そして僕は、ここに**CM(コンストラクションマネジメント)**の価値があると思っている。
もし、一人のマネージャーが利害の異なる関係者を統合し、
「都市としてどう見せるか」をデザインできたら——
日本でも都市のブランド化は必ず実現できる。
これが僕の根本思想です。
🔑③パリや京都の“ブランド思想”は、小規模な観光地にも応用できる
パリや京都といった大規模な観光都市をテーマに挙げましたが、規模の問題ではなく"ブランド化"することは可能なはず。
地方の観光地に対して"ブランド化"を輸入する構想をすこし。
■例1:小さなランドマークを“見せる”街づくりに。
ランドマークは巨大建物じゃなくていい。
例えば—
昔からある駄菓子屋の看板
地元で有名な喫茶店
駅前の古い時計台
こういう“小さな象徴物”でも十分ランドマークになる。
それを中心に
・道の見通し
・案内サイン
・観光導線
・歩きやすさ
を整えれば、立派な“観光構造”になる。
高さを揃える必要はないけど、
「ランドマークが見える」という体験は誰でもデザインできる。
そして、ランドマークを中心に観光導線を引き、点の観光ではなく、線で繋ぐ観光体験を目指す。
ひとつひとつは小さな観光スポットでも、街全体として観光価値を高めることは十分に可能。
■例2:統一感は政策がなくても作れる
国家や自治体の条例がなくても、
商店街の10店舗が協力して、
入口に同じ色の布を下げる
共通アイコンを掲げる
同じ照明トーンにする
同じ色温度の提灯を吊るす
これだけでも“統一された街並み”は作れる。
例えば、「オレンジのバンダナを店先に吊るす」
それだけで、
“オレンジの小径(こみち)” みたいなブランドすら作れる。
訪れた観光客はオレンジのバンダナを探し回って街を散策し、すれ違う知らない観光客がリュックから下げているオレンジのタオルを見て共感覚を得る。
⭐️僕がパリ観光で得た知見
パリの街並みはデザインされた"高さ制限"とファサードでランドマークをより際立たせる構造。
小規模な観光地でも"ブランド化"によって魅せる観光体験を提供することは可能なはず。
次回予告
【パリ観光#2】"オンライン予約"が観光価値を高める
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