<鍵>
ジョン・カルフーンが行ったユニバース25の実験は、理想的な物質環境を与えられたマウスが、やがて社会的崩壊と絶滅に至るという衝撃的な結果を示しました。この実験は人類の行く末を考える上で示唆に富んでいます。崩壊の引き金は物資の枯渇ではなく、存在意義の喪失でした。この洞察は、現在、人類が直面している危機を考える上で、きわめて重要です。
人類がマウスの二の舞を演じないためには、どうすれば良いでしょうか。さらなる技術の高みを目指すことでしょうか。あるいは人口を減らし、管理するための制度設計でしょうか。結論から言えば、人類の行く末とマウスのそれとを分かつ肝は、精神のコアを保てるかどうかです。日本人の場合、それは惻隠の情と無常観に収斂するでしょう。惻隠の情とは、他者の痛みや喜びを自らのものとして感じる能力であり、無常観とは、時による移ろいを受け入れ、形あるものにこだわらない哲学です。それらがある限り、文明は存在意義を失うことはありません。先人の知恵を子孫に伝える術を持たないマウスには無理な相談でも、私たち人間は違うのです。
現代文明の危機は、技術の急速な進歩と反比例するように、この精神的基盤が失われつつあることです。節度を欠いたエゴと結びついた合理主義が蔓延し、数値化できないものを存在しないものとして扱う風潮が広がることで、人も社会も病んでいくことを避けられません。確かに、技術は文明を外側に押し広げる力として働きますが、その内側を満たすのは人々の幸福でなければなりません。外側だけが膨張して内側が空洞化すれば、いずれ泡がはじけるように消え去るのが必然なのです。
故に、文化の継承と教育のあり方が重要になります。知育偏重の現代教育は破滅へのアクセルに他なりません。本当に大事なのは徳育です。惻隠の情と無常観は、共同体の中で、伝統的な文化と徳育を通じて伝達されるものです。そのような社会のもとで、核武装の放棄は精神のコアの密度を示す象徴となるでしょう。核兵器とは合理主義と節度なきエゴの究極的産物であり、惻隠の情とは本質的に相容れないからです。核に関する選択は、単に防衛戦略の問題ではなく、文明の在り方、その存在意義を決定づける指標となるのです。
勿論、核の放棄は国家を破滅に導くかもしれません。それでも、結果のために行為するのではなく、行為のために行為するとき、私たちの文明はマウスの辿った道筋とは異なる未来を手に入れる可能性が芽生えるのではないでしょうか。確かに、世界が核抑止の理屈で核武装に向かうのは、雑草が生えるかのごとく仕方のないことです。けれども、雑草を取り除く行為の積み重ねにこそ、人の道があるのです。
たとえ現在の文明を失うことになっても、精神のコアを抱いて誠実にもがいた人々の営みは、次世代の文明の種として受け継がれることでしょう。無常を知り、惻隠の情を持って、生きようともがき続けること。それが文明の尊厳であり、存在意義です。ステージ・クリアの鍵は、そこにあるのではないでしょうか。
