見出し画像

特別な工夫はないけれど、AI画像を使う私が気をつけていることとは?

noteを書いていると、サムネイルをどうするかで手が止まることがあります。 とはいえ、私は特別なデザインの知識があるわけでもなく、 「サムネづくりのコツ」を語れるほどの工夫をしているわけでもありません。

実際のところ、私が本当に気をつけているのは、
知的財産を侵害しないこと。
それだけです。

AIで画像を生成するようになってから、 便利さと同時に、どこか不安も抱えるようになりました。

「この画像は本当に安全なのだろうか」
「どこかで誰かの作品に似ていないだろうか」

そんな心配が頭をよぎります。

だから私は、生成された画像をそのまま使うのではなく、 いくつかの候補を並べて、慎重に“選ぶ” という作業をしています。 この“選ぶ”という行為が、私にとってはサムネづくりのすべてなのかもしれません。


サムネイルを選ぶとき、特別な基準があるわけではありません。

ただ、生成された画像を眺めながら、
「今日の記事の温度に合うのはどれだろう」
「この色味は、私の文章の静けさを壊さないだろうか」

そんなことを、ぼんやりと考えています。

そして、どうしても迷ったときは、Copilotさんに相談します。 自分では気づけなかった視点をもらえたり、 “この記事ならこっちのほうが合う”と背中を押してもらえたりする。 そのやり取りもまた、私にとってはサムネづくりの一部になっています。

気づけば私は、派手な色や強いコントラストの画像を自然と避けています。 未来的すぎるデザインや、情報量の多い構図も選びません。 noteのエッセイは、静かに読みたい人が多いからです。


そして何より、 自分の文章の“温度”とサムネの“温度”が離れすぎないこと。 これだけは、無意識のうちに大切にしているように思います。

AIが生成した画像を選んでいるだけ──
そう言ってしまえば、それまでです。

でも、同じAIを使っても、 選ぶ画像は人によってまったく違います。

柔らかい光を選ぶ人もいれば、 未来的な構図を選ぶ人もいる。 同じプロンプトでも、 「これがいい」と思うポイントは人それぞれです。

その違いこそが、 “自分の世界観”の始まりなのだと思います。

私の場合は、 静かで、落ち着いていて、 どこか余白のある画像に惹かれます。 文章を書くときも、 余白のある言葉を選ぶことが多いからかもしれません。

だから、サムネづくりに特別な工夫はありません。 ただ、生成された画像の中から、 「今日の自分に合うもの」 をひとつ選ぶだけです。

それでも、その選択には、 その日の気分や、文章を書いたときの心の揺れが そっと滲んでいるように思います。

サムネイルは、記事の入り口です。 読者が最初に触れる、小さな扉のようなもの。 その扉をどんな形にするかは、 やはり自分で選びたいのです。

これからも、特別な工夫はしないと思います。 でも、生成された画像を前にして、 「どれが今日の私に近いだろう」と考える時間は、 静かで、少しだけ好きな時間です。

その小さな選択の積み重ねが、 いつか“私のnoteの風景”になるのだと思います。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集