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【エッセイ】欠けた器に注ぐ水について

台所の隅にある、小さな棚の二段目。そこには、もう何年も使われていない、少し大ぶりのマグカップが置かれている。

最後に使われたのがいつだったのか、正確な日付は思い出せない。ただ、その内側には、洗っても落ちきらなかった薄い珈琲の染みが、古い地図の海岸線のように残っている。

一人分の湯を沸かすとき、私はいつも、無意識のうちに二人分の分量をやかんに入れてしまう。火を止め、カップに湯を注ぐ段になって初めて、「ああ、また多かった」と気づく。

沸かしすぎて余った湯は、シンクにそのまま流される。ゴボゴボと音を立てて吸い込まれていく透明な熱水を見つめながら、私はその、わずか百ミリリットルほどの過剰について考える。

それは、私の生活の中にいつの間にか組み込まれてしまった、小さな隙間のようなものだ。

何かを失ったとき、私たちはその大きさに立ち尽くす。

机の上の、かつてその人が使っていた眼鏡。

クローゼットの、ハンガーが一つだけ余分に揺れている空間。

夕方の四時になると、決まってスマートフォンの画面を確認してしまう指の癖。

空白は、埋まらない。

埋まらないというより、何か別の形になって、そこに居座り続ける。

木造の古い家が、長い年月をかけて特定の方向に数ミリだけ傾いていくみたいに。

気がつくと、こちらの身体のほうが、その傾きに馴染んでしまっている。


十月、風が冷たくなる頃に、近所の公園のベンチに座っていた。

隣に座っていた老人が、ポケットから何かを取り出そうとして手を止めた。

彼はそのまま、自分の左側の空間に向けて、何かを言いかけて、やめた。

そのとき彼の指先が見せた、わずかな、しかし決定的な迷い。

私はそれを見て、しばらく目を離すことができなかった。

あの指の迷い方を、なぜか今もよく覚えている。


傷口が閉じるということは、元に戻ることではない。

傷跡のあたりだけ、昔と感触が違う。

うまく言えないが、元通りになったという感じはしない。

少し硬くて、突っ張るような皮膚がそこにある。

その皮膚は、周囲の柔らかい肌に比べて、少しだけ感覚が鈍い。

あるいは逆に、季節の変わり目の気圧の変化に対して、妙に敏感に疼いたりする。

私たちは、失われたものの場所を、ただひたすらに見つめ続ける。

そこにはまだ、消えたものの残像が張り付いている。

「ない」ことが当たり前になっていく日常。

冷めた紅茶を一人で飲むことに、身体が慣れてしまう。

傷が痛むというより、その冷たさに皮膚が馴染んでいく。

そして、完全に忘れていたはずの記憶が、すれ違った誰かの香水の匂いや、夕暮れの光の角度によって、一瞬で引き戻される。

三歩進んで、ある夜、突然に最初の一歩目へと突き落とされる。

ただ、それだけのことだ。

理由は分からない。

現実の時計とは違う、不揃いな歯車が回っている。


目を奪われる」という言葉について、ときどき考える。

美しい景色や、心惹かれるものに出会ったとき、私たちはごく自然にこの表現を使う。

けれど、そこで実際に失われているのは、目ではない。

おそらく、時間だ。

夕焼けを見ていたら、気づけば三十分が経っていた。

古いアルバムを開いたら、一時間が消えていた。

もう届くことのないメッセージの履歴を遡っていたら、夜が明けていた。

私たちは、自分の人生の、かけがえのない数片を、その対象に差し出している。

「時間を失った」と言うとそれは単なる損失になるけれど、「目を奪われた」と言うとなぜか少しだけ許されたような心持ちになる。

気のせいかもしれないが。

時間を奪われることによって、今ここにある現実から、少しだけ遠くへ行く。

病室のベッドの脇で、規則正しく落ちる点滴の滴を、何時間も見つめ続けてしまうとき。

解体されていく古い建物の、剥き出しになった壁紙の跡から、目が離せなくなるとき。

そこに共通しているのは、美しさではない。

終わるものを見ると、なぜか目が残る。

理由はよく分からない。


「再生」という言葉の響きには、どこか不自然な明るさがある。

まるで、すり減ったビデオテープを巻き戻せば、また最初と同じ鮮明な映像が流れるかのような、そんな錯覚。

だが、私たちの人生は巻き戻らない。

衣服の綻びを、元の生地とは違う色の糸で、不器用に繕うような作業が、ただ続いていくだけだ。

以前と同じようには笑えないかもしれない。

けれど、新しい、少しだけ静かな笑い方がある。

部屋の中に、その人のための席を空けたままにしておくこと。

なぜそうしているのか、自分でもよく分からない。

ただ、周囲の歩調に合わせるのをやめて、自分の内側の傷が痛まない程度の速度で歩く。

欠落を抱えた人は、ときどき妙によく周囲が見える。

なぜなのかは分からない。


窓の外を見ると、空がゆっくりと、濁った葡萄色から深い紺色へと移り変わろうとしている。

この時間帯の光は、いつも少しだけ残酷だ。

すべてのものの影を長く引き延ばし、世界の輪郭を曖昧にしていくから。

湯を沸かし直そうと、台所へ立つ。

やはり、やかんの中の水は少し多い。

私はそれを減らそうとはせず、そのまま火にかける。

青い炎が、静かにやかんの底を包み込む。

気がつけば、使わないまま残っている物が増えた。

動線も少し変わった。

それで困ることは、もうあまりない。

治らない傷を、無理に愛する必要はない。

それはただ、そこにある。

やかんが、小さな音で鳴り始めた。

沸騰するまでの数分間、私はただ、暗くなっていく窓ガラスに映る、自分の、少しだけ肩の落ちたシルエットを見つめている。

そこには誰もいない。

棚の二段目には、まだあのマグカップがある。

私はしばらく、そのまま見ていた。

#エッセイ #哲学 #喪失 #再生 #言葉

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