【煉獄のパールライト】30.どれだけ人に出会えても
浩輔はみことと、どのようにコミュニケーションを取ればよいか悩んでいた。
ふたりの定位置となった壁際に座り、ただ時が過ぎるのを待っていた。大きな波乱もなく、3日目も終わりが近づこうとしていた。
「普段は、どんなことして遊んでる? 何するのが、一番楽しい?」
浩輔は、みことと何度目かの対話を試みた。
「……お絵かき」
話しかけると答えてはくれるのだが、それ以上の反応は返ってこなかった。みことから話しかけてくることなど、本当に稀だった。
「どんな絵を描くの? マジックがあったから、それでお絵かきしようか?」
「……やらない」
どんな遊びの誘いも、興味なさそうに断られてしまう。やめろと言われても遊び回るお年頃なのに、みことは一日中座ったまま、ひたすらじっとしていた。
残された貴重な時間なのだから、もっと有意義に使ってほしい。浩輔はそう思ったが、何を言ってもみことの反応は薄かった。
みことの父親であれば、彼女と上手に遊べるのだろうか? 浩輔はそんなことを考えながら、聞いてみた。
「普段お父さんとは、どんなことして遊ぶの?」
そこに、なにか対話の糸口があるかもしれないと考えたのだったが……。
「パパ、いない」
予想外の返答に、浩輔は言葉に詰まってしまった。
「そ、そうか……」
とっさに、上手いフォローの言葉が出てこなかった。離婚か、死別か。それ以上は何も聞けず、確かめることはできない。会話を引き出すためとはいえ、少女のプライベートに踏み込んだことを、浩輔は後悔していた。
そもそも、生前の人間関係を、聞くべきでないのかもしれない。誰の話をしても、もう会えない可能性が高いのだから……。
みことの態度は人見知りではなく、何かが理由で心を閉ざしているように感じた。それは、浩輔にはどうしようもできないことなのかもしれない。それでも、何とかできないかと、浩輔は思い悩んでいた。
出かけていた結衣香が、疲れた様子で浩輔の隣に座った。
「あーあ。もう、いい男って残ってないな……」
部屋中を探し回ったようだが、結局お眼鏡にかなう男はいなかったらしい。
「顔にこだわらなければ、意外に素敵な人がいるかもよ?」
浩輔は無理して探す必要はないと思いつつも、そんなつまらない忠告をした。すると、結衣香は心外といった表情で、浩輔を見返した。
「私、そんなにイケメンにこだわってないですよ」
しかし、彼女は言い終えてから、少し考え込むような表情になった。
「いや、ちょっと違うな……」
彼女は真剣な顔で、考えをまとめるように言葉を続けた。
「やっぱり、顔が好みじゃないと、好きになるのは難しいかもしれない……。でも、顔だけじゃ物足りない。優しさや、頼りがいとかと同じぐらい大切で、みんな平等に重要視してます!」
結衣香はそう言って、真っ直ぐな瞳を浩輔に向けてきた。
欲張りというわけでもなく、本気で、余すことなく検討して、彼女は恋すべき男性を探しているのだ。浩輔は、その姿勢を誠実だとすら感じた。
「でも、一目惚れじゃないですけど……」
結衣香は目を細めながら、何かを思い出すかのように言った。
「好きになる人って、最初から何か感じるものがある気がしません? 容姿だけじゃなく、滲み出る雰囲気? 人間性? 話す前から、相性の良さが分かるというか……」
そう言う結衣香の頬が、微かに赤みを帯びているように見えた。一体、誰のことを想って言った言葉なのだろうか?
結衣香の意見に賛同しつつも、浩輔は自分の胸中に、複雑な感情が渦巻くのを感じていた。結衣香は照れ隠しでもするかのように、天を仰いだ
「一体、何人の中から選べば、本当に好きな人って見つかるのかな? 100人で足りなければ、千人? それとも、1万人?」
一生で出会う人数は、約3万人という説を思い出しながら、浩輔は答えた。
「出会った人数が同じでも、ひとりしか付き合わない人もいれば、20人、30人と交際する人もいるんじゃない? 付き合う基準、好きになる確率は、本当に人それぞれなんだろうね」
その言葉に、結衣香はジト目で浩輔をにらんだ。
「他人はどうか知らないですけど、私は運命のひとりと出会いたいんです!」
結衣香の純情な主張は、好ましいと思った。しかし、ひとりだけというのは、さすがにお姫様思考が過ぎると、浩輔は感じていた。
「大恋愛なんてしなくても、結婚して一緒に生活を続けられるのなら、幸せなことだと思うけど」
しかし、その意見に結衣香は反発した。
「確かに、そうかもしれないですよ。妥協で付き合い始めても、幸せになる人もいるかもしれない。でもそれは結果であって、最初から望むものじゃないですよね?」
結衣香は、浩輔に切実に訴えた。
「過程や状況なんて関係なく、胸の中から湧き上がる、その人が好きっていう確かな感情。そう感じる人じゃないと、困ります!」
浩輔は彼女の必死さと、困るという言葉の意味が気になった。しかし、それを問う間もなく、結衣香が浩輔に質問した。
「都筑さんだって、付き合うなら心の底からそう思える人が良いでしょう!?」
誰もが、妥協して相手を選びたいなどとは思わない。そんな割り切りをするには、自分たちはまだ若く、可能性を信じているのだ。結衣香の言うことは当然だと、浩輔もそう思った。
そして、結衣香が少し緊張した面持ちで聞いてきた。
「都筑さんは……そう思える人はいないんですか?」
そう問われても、浩輔は思い浮かぶ顔はなかった。異性と付き合うことへの関心が薄い、と言えば多少は聞こえがいいが、単に恋愛に臆病なだけだった。
少し考え込んでいる浩輔に、結衣香は重ねて聞いた。
「気になる子ぐらい、いたんじゃないですか?」
もちろん、好意を持った女性がいなかったわけではない。しかし、将来のことを考えると、自分から積極的にアプローチをする気にはなれなかった。
「今は、いないかな……」
浩輔はそんな曖昧な返答をしたが、結衣香はその答えでは満足してくれなかった。
「誰かと……付き合ったことはないんですか?」
その突っ込んだ質問に、浩輔は少し嫌な顔をした。出会って間もない人間に、プライベートなことをそこまで話せるものではない。しかし、結衣香は遠慮がちながらも、答えを待ち構えていた。
浩輔は気恥ずかしさを覚えつつも、この状況で見栄を張る意味もないと思い、正直に白状することにした。
「ないよ」
浩輔はできる限りの冷静を装い、そう答えた。
「そうなんだ……」
そんな気も知らず、結衣香はなんだか嬉しそうに微笑んだ。しかし、浩輔の微妙な顔に気が付くと、申し訳なさそうな顔をした。
「あのね……」
結衣香はちょっと恥ずかしそうに、抱えた膝に頬を乗せながらつぶやいた。
「一応言っておきますけど、私もないですからね」
突然の告白に、浩輔が驚いて結衣香の顔を見た。視線が一瞬交錯したが、お互いにどんな反応をすればよいか分からず、すぐさま視線を外してしまう。
しばらく、気まずい沈黙が続いた。
「じゃあ、都筑さんの初恋の人はどんな人だったんですか?」
結衣香は照れをごまかすかのように、少し早口でそうたずねてきた。答えにくい質問を、ぐいぐいと聞いてくると思いつつも、浩輔は素直に答えた。
「小さい頃は周りが大人ばっかりだったから、年上の人だったな」
遠い目をしながら答える浩輔に、結衣香は身を乗り出して聞いた。
「定番の保育士さんとか?」
「いや、看護師さん」
「へ〜。なんかやらしい」
「初恋の話だぞ。人の思い出を何だと思ってるんだ!」
眉間に皺を寄せながら、浩輔は結衣香に抗議する。結衣香はペロリと舌を出しつつ、話の先を促した。
「年上が好きなんですね?」
「歳は離れてたけど、大人っぽいって印象じゃなかったな。おっちょこちょいな人だったよ。でも、包容力みたいなものは、感じたかな……」
浩輔は昔に想いを馳せていたが、こちらを見る結衣香の顔が、にやけていることに気付いた。普通なら口にしないことを、ぺらぺらと喋りすぎた気がする。
「ふ〜ん。どんな人だろ? 見てみたいな!」
「他人の初恋相手なんか見て、どうするんだよ?」
「いいじゃないですか。興味ありますよ!」
結衣香の野次馬根性に、さすがに浩輔も呆れてしまった。
「その方、今はどうしてるんですかね?」
「結婚して、男の子をふたり育ててるよ」
結衣香は、それを知っている浩輔に驚いた。
「わざわざ、調べたんだ!?」
「病院で、たまに会うんだよ」
「会いに行ってるんじゃなくて?」
結衣香が、意地悪そうに笑った。浩輔は自分の恋愛事情を追及されるのに、耐えられなくなってきた。浩輔は話をそらそうと、結衣香に話題を振った。
「そういう、君の初恋はどうなんだ? 相手は、どんな人?」
その言葉に、楽しげだった結衣香の表情が硬直した。
何かに思い悩んでいると感じていたが、まさに初恋が原因だったらしい。再び踏んでしまった地雷に、先程の反省が活かされていないと、浩輔は心の中で悔やんだ。
そして、表情を失っている結衣香から目を逸らし、浩輔は何事もなかったように言葉を続けた。
「まあ、思い出は記憶に留めておいた方が、いいかもね……」
浩輔はそう言って、話の流れを自ら打ち切った。
「ごめんなさい……」
結衣香は小さくそう言うと、下を向いたまま黙り込んでしまった。
結衣香は、自分の言動を後悔していた。
相手に初恋の話を聞けば、自分に同じ質問をされても、なんら不思議はない……。浮かれて、余計なことを聞きすぎてしまったのだ。
都筑はすぐに察して、会話を切り上げてくれた。自分の反応が、それだけはっきりと顔に出ていたかと思うと、恥ずかしかった。
それに、あれだけ質問しまくったのに、自分のことを聞かれたら口を閉ざすなど、ずるいことこの上ない。
しかし、今でもそのことを考えると、自分の中にどす黒い感情が渦巻いてしまうのだ。まだ自分の中で整理がついておらず、それを隠さず話ことには抵抗があった。
結衣香は自分の初恋に、想いを馳せた。それは、家族と友人を巻き込んだ、彼女の葛藤の物語だった。
