【煉獄のパールライト】12.取り残された部屋
2日目
58歳になるヤクザの輿田 桔兵は、壁に背を預けたまま、虚空を見つめていた。
装飾と無縁のこの部屋は、どうしようもなく刑務所を連想させた。ここまで物がまるでないわけでも、こんなに綺麗だったわけでもない。しかし、外部から隔離され、世の中から取り残された感覚はそっくりだった。
若い頃は荒れていたので、恐喝や傷害などで、合計5年ほど刑務所のお世話になっていた。昔は箔がついたが、暴力団への風当たりが強くなり、組織が衰退してからは刑務所は入るだけ損というものだった。
それでも今回、桔兵に鉄砲玉の役回りが回ってきていた。最後の奉仕といえば聞こえがいいが、上手くいっても終身刑、もしくは死んでいてもおかしくはなかった。
「いや、俺はもう死んだんか……」
自嘲気味に、桔兵はつぶやいた。
桔兵にも後悔はある。損な役回りや、前科がついてしまったことではない。もっと根本的に、人生を間違えたという感覚。すでに、取り返しがつかないという事実。
昨日、少年を銃で撃ち抜いた時にも感じた絶望が、ずっと彼の心を満たしていた。
あれは白い服の少年の目論見によるもので、結果として最悪の事態にはならなかった。しかし、今も手に残るしびれのようなものが、桔兵から気力を奪い去ってしまったように思えた。
「アニキ、これからどないします?」
長年の連れである清が、恐る恐るそう問いかけてきた。
「今、動いてもめんどくさそうなんで。ある程度、珠が集まったら奪いまっか?」
桔兵は少し清の方を向いたが、何も言わず再び遠くを見つめた。清は無視されて表情を曇らせたが、ハッと何かに気づいて慌てて正座した。
「気ぃ利かんで、すんまへん。まずは俺の珠を献上しますわ!」
そう言ってお辞儀するように、両手で自分の珠を差し出した。しかし、桔兵は面倒くさそうに手を振った。
「そんなんちゃうわ」
その覇気のない態度に、清はだいぶ戸惑っているようだった。それでも、桔兵は何も言わず、ただ壁にもたれたまま動かなかった。
浩輔は昨日、白い服の少年から説明を受けた直後から、スマホのストップウォッチを起動させていた。目覚めてから説明を受けるまでに1時間ほど経過していたので、そろそろ24時間が経過しているはずだった。
あの後、人々は思い思いに過ごした後、自然と眠りについていた。死んでいても、睡眠は必要なようなのだ。緊張が続いたせいか、浩輔も横たわると、すぐに睡魔に襲われた。もう肉体がないのなら、体を休める必要はないと思うのだが、習慣が染み付いているのかもしれない。
それから8時間ほどで起床し、今は何をするでもなく、人々はだらだらと過ごしていた。学校も、仕事も、何もかも、もう気にする必要はないのだ。本来なら優雅な朝食をと言いたいところだが、この部屋でそんなものは用意できなかった。
「1日目が、終わっちゃいましたね……」
眠りから覚めた結衣香が、浩輔にそう声をかけた。
あの後、彼女は何人かの男性と談笑した後、浩輔たちの元に戻ってきて、同じ場所で眠りについていた。誰とどんな話をしたのか気にはなったが、浩輔にそれを問い詰める資格はなかった。
「こんな部屋にいると、時が経つのが遅く感じるけど。過ぎてしまうと、あっという間だな……」
浩輔は、そんな当たり障りのない感想を口にした。
何もしなくて良い時間が欲しい。それは生きていた頃の、願望のひとつだった気がした。しかし、それがずっと続くとなると、7日という期限があるのは、実は幸いなことなのかもしれない。
みこともすでに起きていて、壁を背に膝を抱えて座り、ぼんやりと部屋を眺めていた。
こちらの壁に移動してきた人々の、集団としてのまとまりはすでにない。ひとりで不安に思う者は一定の群れを形成し、人との関わりが煩わしいと思う者は、思い思いの場所に離れて行った。
部屋の反対側にいた梓と男たちは、夜通しコトに及んでいたらしいが、さすがにいったん解散となったようだった。散り散りになった男たちは、いつの間にか紛れて、もう見分けがつかなくなっていた。
時間の過ごし方は、人それぞれだ。
いまだに出口を探すのを諦められないのか、壁をコツコツ叩き続ける青年がいた。少しの違和感も逃さないよう集中し、一定の間隔で、ひたすら壁を叩き続けていた。その執拗な姿は、まるで手段が目的になってしまったようにも見えた。
また、ひたすら歩き続ける、高齢の男性がいた。グラウンドのトラックを回るかのように、部屋をグルグルと周回していた。ゆっくりと地面を踏みしめて歩く姿は、競歩というより、聖地を目指す巡礼者のようだった。彼は何を思い、何故ひたすら歩き続けているのだろうか。
そんな彼らの様子を眺めていると、蘇我田が一人ひとりに声をかけながら、こちらにやってくるのが見えた。いかに、自分が生き残るに相応しいかを、歩きながら訴えかけているようだ。
「時間は限られています、誰かを、必ず選ばなければなりません。世の中を、より良くできる人を選びましょう。今こそ、美しい自己犠牲の精神が必要なんです!」
さながらドブ板選挙の様相だが、人々の反応は薄かった。彼の熱意というよりも、その厚かましさに引いているのかもしれない。それでも、彼は熱心に勧誘を続けていた。そのめげない姿勢だけは、素直に感心できた。
こちらに気付いた蘇我田は、結衣香を見ると、すっと彼女の元にやってきた。
「君の珠を、僕に託してくれないか!」
彼女にそう言って、先ほど老婆に言ったのと同じ口説き文句を繰り返し言い始めた。
「周りを見てみなよ。頭の悪そうな奴ばかりだ。こんな状況なのに、何も動こうとしない!」
「あの……ちょっと」
蘇我田の顔の距離が近く、結衣香は少し不快な顔をしていた。
「普段から敷かれたレールに乗ってばかりで、自分で判断することができないのさ。そんな、家畜のような人間に――」
結衣香が何か言おうとしても、蘇我田は一方的にまくしたてて、聞こうとしなかった。そして、彼女はついにキレた。
「珠はあげません。少し離れてください!」
だが、結衣香の抗議は軽く無視されて、蘇我田がさらに身を乗り出してきた。
「じゃあ、せめて俺の活動をサポートしてくれないかな?」
「はぁ?」
「秘書みたいなイメージかな? ぜひ、君みたいな子に協力してほしいんだ。世の中のために、一緒に頑張ろう!」
蘇我田の提案に、彼女は絶句して固まっていた。
自分が中心に世界が回ると考える人間とは、まさに彼のことだろう。やってもらえる前提で勝手に話を進め、蘇我田は彼女の手を取ろうとした。
「いやです! やらないです! あんまり近づかないで!」
差し出された手をかわして、結衣香は浩輔の後ろに逃げてきた。
話の通じない蘇我田に、恐怖を覚えたらしい。彼女は青ざめながら、なんか気持ち悪いと小さくつぶやいていた。女の子にこんな反応されたら、死にたくなるに違いない。浩輔は他人事ながら、蘇我田を少し不憫に思った。
しかし、当の蘇我田は涼しい顔をしていた。
「まあ、気が変わったら、いつでも言ってよ」
結衣香が嫌がっているのに、気づいていないのか、わかっていても気にしていないのか。どちらにしろ、彼は相手のことなど考えないタイプのようだった。ついでに、異性に対する心遣いも、持ち合わせていないようだ。
蘇我田は少し離れた場所に立つみことに気づき、少女にも声をかけ始めた。
「君の珠、僕に譲ってくれないか?」
「やめてください!」
結衣香が慌ててみことの元に駆け寄り、蘇我田から遠ざけた。放っておいたら、言われるがままに、珠を渡してしまいかねない。そんな危うさが、みことにはあった。
自分より幼い子に、平気で珠を要求する蘇我田に、結衣香が怒りの表情でにらみつけた。
「分かったよ。また改めて来るよ」
「改めないで。もう来ないでください!」
結衣香の物言いに、蘇我田は肩をすくめながら苦笑した。彼の神経は太いというより、存在しているのかすら怪しい気がした。
「あまりに自分都合で、一方的すぎません?」
浩輔は見かねて、蘇我田にそう言った。彼は振り返り何かを言おうとしたが、浩輔の顔を確認すると、ふっと視線を外しその場を去ってしまった。
強い反論を予想していただけに、浩輔は肩透かしを喰らってしまった。そして、何かが引っかかると感じつつ、去っていく蘇我田の後ろ姿を眺めていた。
