ローカライズと専門性に関する思考メモ
注:これは告発や批判のための文章ではなく、話題にあげている業者が特定可能な情報も書かないし聞かれても答えない。タイトルの通り専門性に関する思考メモとして書いている。
Inverted Angelのローカライズの委託先に困っていたとき、それなりに実績のありそうな企業から営業が来たので依頼したら中学英語も国語もできていないレベルの誤訳まみれの一次翻訳を提出された。
僕は「このレベルではニュアンス調整やローカライズ以前に、御社が本当に英語できるのかわからないから一次翻訳から無償でやり直してくれ」という趣旨の主張をしたものの、やり直しにカネは取るという返答が戻ってきた。
この話自体は無限やり直し編に付き合わされてこれ以上カネと時間を搾取される前に勉強代と受け入れて途中解約する方向で進んでいて、自分ごととしては特に語ることのない話である。
架空の話として。
実際には専門家のいない集団であっても、発注側が英語できなければ適当な英語でも納品できるし、発注側が多少なり英語できるなら発注側に指導をさせる……という手口は成立するのだろうか。さらに言えば、僕みたいなダルい客だった場合は途中までの作業費だけでも取れれば別にいいみたいな。
もちろんこれは架空の話なので、僕に営業してきた企業のことをそうだと言っているわけではない。
そうでなくとも、その企業がゲーム界隈の翻訳の平均なのか外れ値なのかはわからない。とはいえ僕でも名前を知っている相手との実績もそこそこある企業ではあった。
ともすればミクロな目線としては、個人クリエイターはパブリッシャーと組んでいるなり信用できる翻訳業者を紹介してもらえるわけでない限りはそんなガチャをやるより生成AIに突っ込んだ方が無難そうだと思った(僕自身はAIよりは良い感じに訳せると思ってるからもう自分で書くけど、一般論として)。
そしてそう思えるような業者がゲームという界隈では普通に生計を立てられていることは、本来の翻訳の専門性まで生成AIで全面的に代替できるかのような誤解を加速させてしまうのかもしれない。
例えば翻訳の良し悪しを判断できるほどは英語に明るくない開発者が今までは上述のような企業に依頼していたとして、ある日試しに生成AIに訳文をつくらせてみたら「あれ、大差ないんじゃない?なんならDeepLに突っ込んだら生成AIの方が原文に近い日本語になってるんじゃない?」と思うのではないか。そうなればその人は、もう生成AIで人間と変わらない翻訳ができるという価値判断になりうる。
実際、AI翻訳でローカライズをリリースしているゲームも増えているらしい。それは予算の都合による価値判断も大いにあるだろうけど。
少し近い流れとして、教育分野だとChatGPTが社会に広まり始めた頃にオンライン家庭教師がかなり失職していた。たしかに、聞かれた宿題について教えるだけならAIが十分にできるし安い。
では、そういう時代に本来の専門性が社会から失われずにいるためにはどうあるべきなのだろう。
OECDの教育セクターの提言書では
AI以下の教育を行う教師 < AI < AIを使いこなせる教師
という階層構造が生まれていくと指摘されていた。
これに僕は同意していて、教育がAIに取って代わられようとする中で「確かにこういう側面はAIにも代替できるけど、実は教育には〇〇という価値もあってそれはAIには代替できない・できていないんじゃないか?」ということが示せるよう、これまで暗黙知だった部分も含めて教育の価値を再考する必要があるという提案だと解釈している。
それができない、つまりAIより優れた側面が不足していたり、その能力に対してコストのかかる教師は淘汰されてしまう。
そしてこの淘汰というのは、価格競争でAIに負けて消えていけばよいというのではない。価格競争ではAIには勝てない前提で、人間同士で高い専門性を残すために競わなければ最終的に全員AIに負けることになる。
だからこれは優れた教師には何も関係ない話ではなく、どういう教育に価値があるのか・AIやAI以下の教師とどう違うのかを同業者以外にも示せるようになることを、AIの登場によって余儀なくされている。
そんなわけで例えばニューヨークでは富裕層家庭向けに、逆に教室からデジタルを絶って人間がやるアナログの教育を提供する教育プログラムが生まれつつあるらしい。それこそ教育格差だという話はありつつ、AIに代替できない高度な教育の価値はコストを投じられるべきものだと認められているという見方はできる。
翻訳においてはどうなのだろう。 僕は英語が得意なわけではないけれど、少なくともChatGPTが提案する「意味『は』合ってる文章」より良い翻訳があることくらいは分かる。
そして、そんな簡単にAIで代替できない専門性の存在を社会にピン留めするにはAI以下の"専門家"は淘汰されなければならないのかもしれない。それもただAIに価格競争で負けるのではなく「どうせお金出すなら良い翻訳をしてくれる業者に発注しよう」という人間同士の専門性での競争で。
この見方に立つのであれば、個人クリエイターが専門性の価値判断が行われる市場に関与するのは、少なくとも子どもが教員の評価に関与するよりは遥かに難しそうだなと思った。「意味『も』合ってない文章」を書く"専門家"を引き当てる可能性があるのなら、AIに「意味『は』合ってる文章」を書いてもらう方がミクロな目線では合理的に僕は思える。安くない予算を自分の懐から出して良い専門家探しをするのはあまり現実的ではない。しかし、そうなれば個人クリエイターが良い専門家に触れる余地はない。
なんかAI以下の専門家の存在が優れた専門家に与える影響が大きそうな界隈だなあ、と思っただけでどうあればよいと思うかとかは特にないけど。
Inverted Angelをプレイした人には分かる言い方をすれば、かかわりの全体性としてAI以下の専門家というアクターが優れた専門家や共同体になんの影響も及ぼさないわけではない。AI以下の専門家なんて放っておけばいいという単純な話ではない。
それはそうとして、とはいえパブリッシャーと組んでいるなり信用できる業者を紹介してもらえるクリエイターは既知の良い専門家にお金を落としてほしいとは思う。
ちなみに僕はAI以下の専門家に支払う金額を一円でも少なくした方がよいのではないか、そのために弁護士費用の方が高くついても構わない。
……ということを友達に相談したら「お前の性格的に、一年くらい定期的にこの話に付き合うことになる方が苛々しそうではある」と言われてその通りすぎて返す言葉もなかった。未来社会のための抵抗にもリソースが必要なのだ。かなしいね。
しかもこうなったからには自分でローカライズの文章書かないといけなくて、さらにリソースが削られていく。僕も英語が得意というわけではないし。
ゲームの界隈で体験したn=1の"専門家"があまりにも酷かったことで、
AI以下の翻訳者 < AI < ぼく ≪ 優れた翻訳者
という自認を今のところは持っているからこんなことを言っているけれど、海外の方が僕の英文を読んで「カスみてえなローカライズだな!」と思ったら僕も淘汰されてゆくのだろう。たすけて!
