気づいても、元に戻ってしまうとき
「気づいたはずなのに、また同じことをしている」
そんな感覚になることはないでしょうか。
あのとき確かに、
「こうすればいいのかもしれない」と思った。
少し見え方が変わった気がして、
これまでとは違う選び方ができるような気がした。
それなのに、
日常に戻った途端、
気づけばまた同じ流れの中にいる。
あれは何だったんだろうと、
少しだけ不思議に思うこともあるかもしれません。
ここで一つ、
少しだけ見方を変えてみます。
本当に、
“戻ってしまっている”のでしょうか。
それとも、
気づいたあとに戻っているのではなく、
気づく“前”にすでに動きが決まっているとしたら。
人は、
何かを選んでいるように感じていますが、
実際にはその少し手前で、
すでに反応が始まっていることがあります。
相手の表情や、
場の空気や、
言葉のトーン。
そういったものに触れた瞬間に、
まだ意識で考えるよりも前に、
身体の方がわずかに動き始めている。
その流れの中で、
言葉を選んだり、
空気を整えようとしたりする。
だから、
「こうしよう」と思う頃には、
すでにその流れの途中にいる。
そう考えると、
気づいたのに戻ってしまう、
というよりも、
気づいた時点では、
すでに“流れの中にいる”とも言えるのかもしれません。
ここで無理に、
「変えよう」としたり、
「次こそは」と思ったりすると、
その意識自体が新しい力になって、
かえって元の流れを強くしてしまうこともあります。
変えようとするほど、
どこかで引っかかる。
そんな感覚になるのは、
このあたりに理由があるのかもしれません。
では、
どうすればいいのでしょうか。
ここで何か新しい方法を足すと、
また同じ構造の中に入ってしまいます。
だから今回は、
少しだけ違う見方をしてみます。
変えようとするのではなく、
「いま、すでに流れの中にいるかもしれない」と
気づいていくこと。
それだけです。
その気づきが正しいかどうかは、
あまり重要ではありません。
ただ、
そう感じた瞬間に、
ほんのわずかに距離が生まれることがあります。
その距離があることで、
そのまま流れていくこともできるし、
少しだけ待つこともできる。
どちらを選ぶにしても、
“気づかずに動いている”状態とは、
少しだけ違う場所に立っています。
この違いは小さなものですが、
繰り返しの中で、少しずつ効いてきます。
そして、
「いま、すでに流れの中にいるかもしれない」と気づいていくことで、
いつもの流れも、
小さな新しい変化も、
呼吸のように波を繰り返しているものだと、
少しずつ見え始めてきます。
現実や行動さえも、
元に引き戻されていく動きがある。
それを無理に止めるのではなく、
そのまま含めたまま見ていく。
その余白を持つことで、
問いを持つことの意味や、
その使い方が、
少しずつ洗練されていくことがあります。
そして、
心が現実に強く引っ張られなくなったとき、
何かを変えようとしなくても、
立っている位置そのものが変わっている。
そんな感覚に触れることがあるのかもしれません。
それが、
本質的な変化の足場に触れている状態なのかどうかは、
はっきりとは分かりません。
ただ、
同じ出来事の中にいながら、
どこかで少しだけ違う見え方がある。
もしそんな感覚があったとしたら、
それはもう、
これまでと同じ場所ではないのかもしれません。
