分かっているのに、変わらない理由
気づいたらまた、
同じことを繰り返している。
そんな感覚になることって
ありませんか?
気を遣いすぎて疲れることも、
もう少し力を抜いた方がいいことも、
どこかでは分かっている。
それでも、
同じように空気を読んで、
同じように動いてしまう。
「またか」と思いながら、
気づけば同じ流れの中にいる。
変えたいと思っているのに、
変わっていない。
そのことに、
少しだけ違和感を感じることも
あるのかもしれません。
ここで少し不思議なのは、
分かっていることと、
実際の行動が、
あまり一致していないように見えることです。
理解しているのに変わらない。
変わらないのに、
また繰り返してしまう。
この感覚は、
どこから来ているのでしょうか。
「意志が弱いから」なのか。
「努力が足りないから」なのか。
そう考えてしまうこともありますが、
少しだけ見方を変えると、
違う見え方も出てきます。
人が何かを選ぶとき、
それは「分かっているかどうか」よりも、
もう少し手前で決まっているのかもしれません。
その場に立った瞬間に起こる反応。
空気を感じ取って、
自然と選んでいる動き。
そういったものは、
頭で理解していることとは別のところで、
静かに働いている。
だからこそ、
分かっているのに変わらない。
変えようとしても、
同じ動きを選んでしまう。
それは、
間違っているというよりも、
そういう仕組みの中にいるだけなのかもしれません。
では、
そもそも「過ち」とは何なのか。
何かを間違えた結果なのか。
うまくいかなかったことなのか。
そう捉えることもできますが、
もう少し手前で見ると、
違う見え方もあります。
それは、
「自分の出すべき答えが分からない状態」
とも言えるのかもしれません。
どの選択がいいのか分からない。
何を優先すればいいのか分からない。
その状態で選ばれた結果が、
たまたまうまくいかなかった。
それを「過ち」と呼んでいるだけなのかもしれません。
もしそうだとしたら、
多くの人が、常にどこかで
「分からない状態」の中にいることになります。
しかもそれは、
自分ひとりの問題ではなくて、
関わっている人それぞれが、
それぞれの“分からなさ”を抱えている。
その中で関係が動いていくとしたら、
どこかにズレが生まれるのは、
ある意味で自然なことなのかもしれません。
人間関係が常に整っている状態。
いつもスムーズで、
滞りがなくて、
問題が起きない状態。
そういうものを前提にしていると、
少しのズレや違和感でも、
「うまくいっていない」と感じてしまう。
でも、
もともと“分からなさ”の中で関わっているとしたら、
多少のズレや行き違いがあることの方が、
むしろ自然なのかもしれません。
そう考えると、
「また同じことをしてしまった」と感じる出来事も、
単なる失敗ではなくて、
その時点での答えの中で選ばれたものとも見えてきます。
それを責める必要はないし、
無理に正そうとする必要もないのかもしれません。
ただ、
「いま何が分かっていないんだろう」と
少しだけ見てみる。
その視点があるだけで、
同じ出来事の中でも、
見え方が少し変わってくることがあります。
人は、
分かっているから変わるわけではなくて、
気づいたときに、
少しずつ動きが変わっていく。
もしそうだとしたら、
「分かっているのに変われない」という感覚も、
何かが間違っているサインではなくて、
もう少し手前にあるものに
目を向けるためのきっかけなのかもしれません。
その“手前”にあるものが何なのかは、
はっきり言葉にできなくてもいい。
ただ、
そこに目を向けることで、
これまでと同じように見えていた流れの中に、
ほんの少し違う余白が生まれてくる。
もしかすると、
変化はそういうところから
静かに始まっていくのかもしれません。
