ズレは修正できないとしたら

気づいているのに、戻ってしまう。

それでもどこかで、
「次はもう少しうまくやれるはずだ」と思っている。

少し気をつければ、
もう少し意識すれば、

同じことは繰り返さないのではないか。

そんな感覚が、
残っていることはないでしょうか。

でももし、

その“少しの工夫”では変わらないとしたら。

人はよく、

ズレている部分を見つけて、
それを修正しようとします。

「どこがダメだったのか」を見て、
そこを整えようとする。

ですが、

そのままの見方でいる限り、
同じ構造の中に留まり続けることがあります。

ズレを見ているその位置自体が、
すでにズレを含んでいるとしたら、

修正しようとするほど、
同じ場所に戻ることになる。

少しだけ、
日常の場面を思い浮かべてみてください。

たとえば会話の中で、
「こう言った方がいいんだろうな」と感じた瞬間。

一言で返した方がいい空気や、
相手が求めていそうな言葉。

そういったものに触れたとき、
気づくよりも先に、
その通りに動いていることがあります。

あとから振り返ると、
「別の言い方もあったかもしれない」と思う。

でもその場では、
それが一番自然で、
一番正しい選び方のように感じている。

違和感があっても、
そのまま流れに乗る方が収まりがいい。

相手を否定したいわけでも、
関係を壊したいわけでもない。

むしろ、

“ちゃんとやれている”感覚すらある。

だからこそ、

どこがズレているのかが、
分かりにくくなっていく。

そしてその流れの中で、

少しずつ疲れのようなものが
積み重なっていくこともある。

厄介なのは、

その選び方自体が、
間違っているようには見えないことです。

むしろ、

社会の中では
“正しい対応”として成立している。

だから、

そこから外れることは、
どこかでリスクのようにも感じられる。

流れに乗ることは、
場を保つことでもあり、
現実を守ることにもつながっている。

そうだとすると、

その流れから外れるというのは、
単純な選択ではなく、

もっと手前で
すでに決まっていることになる。

ここに戻ってきます。

ズレを修正しようとしている時点で、
すでにそのズレの中にいる。

では、

どうすればいいのか。

さらに修正を重ねても、
同じ方向に力を加えるだけになる。

だから必要なのは、

修正することではなく、
どこから見ているのかに気づくことです。

自分は今、

何を前提にして、
何を“ズレ”だと感じているのか。

その前提に目を向けるだけで、

同じ出来事でも、
違う見え方が生まれることがあります。

ここで大切なのは、

正しい見方を探すことではありません。

“見方がある”ことに気づくことです。

人は、

自分の見ているものを、
そのまま現実だと思っています。

でも、

見ている位置が変わるだけで、
同じ出来事でも意味が変わることがある。

もし、

ズレを修正し続けても変わらないと感じているなら、

それはやり方ではなく、
見ている位置の問題なのかもしれません。

そして、

位置が変わるときは、
積み重ねというよりも、

ふとした違和感から始まります。

「あれ、そもそも前提がおかしいのかもしれない」

そのくらいの揺らぎで十分です。

その違和感が、

当たり前だと思っていた見え方を、
少しだけ外していく。

だから、

無理に変えようとしなくても、

見ている位置が少し動いたとき、
結果として行動も変わり始める。

変わろうとして変わるのではなく、
気づいたら変わっている。

ズレを直そうとするほど、
ズレの中に留まり続ける。

もしそうだとしたら、

必要なのは修正ではなく、
そのズレを見ている位置に触れること。

それだけで、

同じ繰り返しの中にいても、
少しずつ違う流れが生まれてくることがあります。

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