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書こうとしていたのは、別のことだった

創作大賞に出すための一本を書いていた。
そのはずやった。

通勤電車の中で、私はこれを書き始めている。
経理処理があるから、今日は会社に向かっている。
コロナ禍を越えても、うちの会社はまだ在宅勤務が許されている。
今日は青いフーディーだけで出てきた。
オフィスに着いたら、課長はもう半袖だった。

昔、LUCUAで「書くことがもっと楽しくなるモノの見方」という講座を受けた。令和4年の3月のこと。小川光生先生の授業だった。モノとヒトの関わりを書くこと。エッセイでは起と結を大切にすること。書いたものをメールで送れば、添削して返してもらえること。

創作大賞のための一本を書いていたら、その講座のことを思い出した。
いや、思い出したというより、そっちが勝手に動き出した。

今月も処理お願いします、と付箋に書こうとして、手元のボールペンを見る。
京都橘大学のノベルティーで、頭についているみかんを押すと、ペン先が出る。
軸には、「未完は可能性だ!」。

できすぎている。

未完。みかん。橘。
一本を書き上げるつもりでいたのに、その途中で別のものを書き始めている自分には、あまりにも似合いすぎていた。
みかんで未完で、請求書も私の手元にあるあいだは未完である……。

講座の予約確認メールには、「自分の好きなモノというテーマで少し文章を書いてきてほしい」とあった。
あのとき私は、占いのことを書いた。

目の前の出来事は、ただの点ではない。
何かに紡がれているのかもしれない。
そんなことを書いていた。

見つかった原稿には、コーヒーやラジオや人の死が、占いの話と一緒に入っていた。そう……。
講座の合間に、ルクアの九階でタリーズのカフェラテを飲みながら書いたやつだった。そこまで思い出してくる。
小川先生は、モノとヒトが絡み合っていくところがおもしろいと書いてくれていた。

みかんのボールペンは、滋賀の講演会でもらった。
その場では、AIがどこまで書けるようになっても、人には経験や体験がある、という話が出ていた。
いまはAIが、昔の講座名や日付まで拾って返してくる。
でも、拾ってくるのは記録までだ。
あの朝の電車の揺れや、コーヒーの香りや、原稿を送るときの少しひりつく感じまでは戻ってこない。

戻ってこないものがあるから、こうしてまた書いているのかもしれない。

大阪で受けた講座のことを、会社へ向かう電車の中で書き始める。
オフィスには、京都の大学のボールペンがある。少しずつ場所が重なって、バトンみたいにつながっていく。
あとから見れば、何かがきれいにつながって見える。
でも、書いている最中はだいたい、そんなふうではない。
ただ、手元にあるものに引っかかって、横へそれる。
それるたびに、別の文章が始まる。

あの講座で教わったのは、今を書いて、そこにあるものから場面を変え、最後にここへ戻って締める、ということだった。

創作大賞用の一本を書こうとして、その構成で、講座のことを書いている。
少しおかしい。
けれど、そういうおかしさの中でしか、書けないものもある。

あのファイルを開けば、「これからも書き続けてくださいね」という、あの講師の言葉があるはずだ。

いや、あるはずだ、ではない。
その言葉がまだ残っていたから、私は今これを書いているのだろう。

これを書き終えたら、あのファイルを開いてみよう。
スマホからも探せるけれど。

私は家に帰って、マウスを動かす。


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