勇者のstory
今朝の3時。
目覚まし時計を鳴らしながらスヌーズで4時過ぎまで微睡みました。
その間に【RPG】というというワードが僕の意識に浮かんでおりました。
そういえばここのところ、
《ダーマ神殿》《遊び人》《ヒーラー》
のようなRPGに使われる言葉を僕は用いていたな、と思ったのです。
【役割りを遊ぶこの世界のルール(ゲーム)】
【使命を演じるこの世界の人間たち】
【個性を樂しむこの世界の僕たち】
そのように思いました。
たとえば
僕は僕というこの役割りで
母は母というその役割りで
この世界のルール(ゲーム)を生きています。
僕と母には使命感はとてつもなく在るのです。
母に在る愛は大きい。
それは認めているのです。
その大きな愛を樂しめていないが為に
自身の役割りに対する不平不満が口に出るし、
ひいては子供の僕、他者、への不平不満に。
そしてそれは態度というより姿勢で出ている。
つまり在り方として不平不満が出ているのです。
その大きな愛は極めて見えにくい。
しかしおそらく世界で僕が唯一それを見抜いている。
目を瞑り見えるものを見ないで
暗闇の中見えぬものに焦点を合わせれば
そこには巨大な愛が在ります。
母自身の役割りを樂しめさえすれば
その巨大な愛は極大の光となって
自身も他者も照らすものとなります。
そして、このことというのは
僕自身にそのまま当てはまります。
playしながら
playし切れていない。
その為に
roleに生きながら
roleし切れていないのです。
この世界のルール上、
ゲームのplayの仕方は自由。
たとえどのようなroleがあっても
playの仕方はprayer自身の自由。
そういう“樂しみ方“
そういう“遊び方“
として他者は認識しておりますから
他者は自己責任というのだと思います。
そこに圧倒的な悪意など無くてもです。
ということは
皆、幸せなのですよね。
それは母も僕自身も含めて
どんなに不幸を心の底から嘆いていても
そういうstoryをplayしているのです。
playの仕方が
そのままstoryとなる
本当にprayer次第のルール(ゲーム)のこの世界です。
在り方次第
生き方次第
が全てを決めます。
殆どの人はヒーラーだと思って僕は世界を見ています。
ヒーリングの範囲が自分自身とか身の回りの人たち限定のヒーラーが殆どなのがこの世界。
ヒーラーとしてのroleの人が賢者まで磨かれている場合、
より多くの人々のヒーリング
や
地球へのヒーリング
を経験と智慧を持って愛のroleの元に施せます。
しかしそのような賢者は極めて少ないのが現状となっております。
僕は
『自分のことばっかり癒して(幸せにして)』
と十代の頃には冷ややかな目でそのような彼らを見ていながら、
『でも僕は僕の人生(role & play)を』
と自分の人生(role & play)に集中しておりました。
しかし今では自分の人生(role & play)に打ちひしがれて、彼らを憎むようになっていたんです。
彼らというのはエゴとして自身しか癒さないのではありません。
ヒーラーとしての実力が無い為に
地球規模のヒーリングができないのだ
と思いました。
そのことが
自身へのヒーリングができているにも関わらず
『幸せではない』
と断言するこの世界の人々の思いだと感じました。
幸せでありながら
幸せではない
というのは
向上心。
roleが大きいヒーラー程
自身の小さな範囲しかヒーリングできないplayに満足できず本氣で『幸せではない』と思っているのです。
ヒーラー過多のこの世界において
ヒーラー或いは賢者とは違うrole & playをする者が必要です。
自身のヒーリングでしたら
ヒーラーという他者に頼らずとも
“瞑想“で全回復できるのが【勇者】です。
自身の中の鬼との戦いで得た傷も
“瞑想“で完治可能です。
鬼は外におりません。
鬼は心の内にいます。
そして
その鬼とは陰を成す片翼。
鬼という翼が巨大で在れば
自ずと光という翼も等しく巨大。
光が大きなもの程
鬼もまた大きい。
その鬼も光も引き連れて
role & playするのが勇者のstory。
鬼を引き連れてこの世界を歩けるのは勇者だけ。
殆どのヒーラーにはしたくてもできない
roleとplayが勇者にはできるのです。
そのことをもって
未熟なヒーラーは勇者を羨む。
しかしその羨望も
ヒーラーの向上心と解るならば
ヒーラーは敵ではなくて
共に歩む仲間となる。
勇者が連れる鬼に比べれば
可愛いものなのです。
未熟な勇者は
時に未熟なヒーラーたちを見て羨みもします。
『いいなぁ。皆んな幸せそうで』
序章の段階で必ず訪れるstory。

引き連れる鬼と光の両翼の大きさが
引き連れられる仲間の大きさ。
鬼と光の両翼が
その勇者の器となります。
鬼と光が両翼ですから
両翼という器の強度は圧倒的に強い。
あとは
その両翼で冒険(role & play)に引き連れるだけ。
鬼との戦いは
このstoryの序章に過ぎない。
その序章が
その後のstoryを面白くする。
序章が悲惨なstory程、
人の心を惹きつけるものはありません。
ヒーラーはヒーリングしかできない。
自身の鬼と戦っても負ける。
だからこそ
鬼が小さな内に倒すのです。
鬼という不快・ネガティヴ・不幸に敏感なのは
ヒーラーとして必須の能力。
あまりに巨大な鬼の場合
見て見ぬ振りしつつ遠くから石の礫を投げる攻撃しかできない。
だからこそ
鬼にやられた自身の傷を精一杯癒しながら生命を繋いでいる。
鬼と共存し切れない。
それも『幸せではない』という言葉には含まれている。
勇者を羨む心とは
勇者へのSOSです。
たとえば
母は自身の鬼に支配されて
僕にSOSを出しています。
僕には解る。
いや僕にしか解らない世界のcode。
母とは
鬼に囚われた姫👸
そんな母を救おうと
小さな時から僕は戦ってきました。
そのこととは
僕自身が
鬼に囚われた姫というcodeでした。
母のそれと
僕のそれは
羨望ではありません。
roleが導くSOSのcodeです。
男性原理と女性原理
と
瞑想で目に見える外界を遮断し心を見ること。
そして
このstory(人生)にようやく表れ出したcodeの数々を認めるならば
全ての道はこのrole & playとして在ります。
長くなりましたね🌳
最後までお読み戴き
ありがとうございました。
光を連れるが故に嫉妬され
鬼を連れるが故に誤解を受ける
それも全てstoryを盛り上げる序章に過ぎない。
鬼は罪にあらず
光は鬼にあらず
SHIR㊉Wさんは
ダンジョンという洞窟に入っていたようだ。
祭統 白宇
SHIR㊉W
