テレビアニメ『呪術廻戦』「死滅回游編 前編」(第3期)通算第56話「東京第1結界③」視聴感想~この回のテーマ曲はB'zの"YOU&I"ではないだろうか。あと若干の法律論の確認と考察~
1 主題~日車の「目」に着目すると印象的なアニメ『呪術廻戦』の見所と個人的独断と偏見に基づく日車のイメージソングについて~
テレビアニメ『呪術廻戦』「死滅回游編 前編」(第3期)通算第56話「東京第1結界③」を視聴した。この回の見所としては①弁護士として既に天才であった日車が実は呪術師としても天賦の才能を有していたこと②日車が(呪力による肉体の強化もしているのだろうが)肉弾戦もなかなか強いということ③主人公虎杖悠仁がパチンコ店入店の事実は誤魔化そうとしていたが、渋谷での虐殺については一切の言い訳もなく「事実」と認めたのに対して、弁護士として日車は虎杖に法律論に基づいて「無罪だ」と説き虎杖を認めるところにあると思っている。戦闘シーンはアニメでは盛りに盛られていて見所満載であるが、話の流れ自体は原作漫画を読んでいても印象深いエピソードである。印象的なのは登場人物達の「目」であろう。テレビアニメの前話にあたる55話では日車や、日車が弁護にあたった被告人の「目」にフォーカスされた(もっと言えば日車の式神的存在である「ジャッジマン」は目が隠されていることもポイントである)。日車がこれまで出会ってきた被告人は他責思考の極みのような・怒りの矛先を弁護士である自分に不当に向けてくるのに日車自身が耐えきれなくなり、不当な裁判を行った裁判官と検事を殺害するに至っている。だが、渋谷での虐殺をあくまで「自分がやった」と認める虎杖の「目」を見て、日車は弁護士としての初心を取り戻すのである。
こうして最終的に新しいルールである「遊泳者(プレイヤー)同士での任意のポイント譲渡を有効とする」というルールを付け加えることに成功し、ひとまず「死滅回游」という儀式の最悪な事態はいったんは免れるに至ったわけであるが、最後の日車の去り際の一言が今回とても印象に残ったわけである。虎杖は日車に「一緒に協力して欲しい」と持ちかけるが日車はこれを断る。大雑把に日車の主張をまとめると、自分の犯した罪と向き合うために一人になりたいことと、虎杖といると「自分のことをますます嫌いになりそうだから」ということであった。私は日車の「虎杖と居ると自分のことをますます嫌いになりそう」という台詞を聞いてB'zの"YOU&I"という曲が思い浮かんだ。この曲をそのままこの回のテーマソングにしても、あるいはCパートに流しても違和感はないのではないかとすら妄想している。
ここでB'zの"YOU&I"という曲について簡単に紹介したい。"YOU&I"はB'zの16枚目のシングル『ねがい』の2nd BEAT(いわゆるカップリング曲)として収録されている曲であり、ベストアルバムである"ULTRA Treasure"や歳レコーディングされたバージョンがマストアルバム"Mixture"に収録されている。実際にどんな雰囲気の曲かは、以下のB'z公式サイトでサビの部分を視聴できるので体験して欲しい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
B'z Official Website|DISCOGRAPHY(16thシングル『ねがい』)
B'z Official Website|DISCOGRAPHY(ベストアルバム"ULTRA Treasure")
B'z Official Website|DISCOGRAPHY(マストアルバム"Mixture")
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
で、"YOU&I"という楽曲はその雰囲気からよくありがちなラブソングのように思われるかもしれないが、ところがどっこい、歌い始めの歌詞からして「きらいだ あなたといるときの僕が たまらなく情けなくて」なのである。いきなり「きらいだ」と言われるとドキッとするかもしれないが、よくよく聴いてみると卑屈な自分のことが嫌いだということが分かる。そして、今回のアニメ『呪術廻戦』Cパートの日車を象徴しているのが"YOU&I"の1番のサビだと思うのである。その1番のサビとはこのようなものである。
いなくなってしまえ 憂鬱といっしょに
あなたがいなけりゃ 楽な気持ちになれるだろ
何もかも 静かになって ああ眠れるよ
さらに2番のサビから最後にかけても日車の心情を表しているような歌詞だと思われたのでまた引用を試みる。
いなくなってしまえ 歓びもいっしょに
あなたがいなけりゃ 悔しさに泣くこともない
何もない 思い切り 叫ぶことも
いなくなってしまえ 憂鬱といっしょに
あなたがいなけりゃ あとは寂しさに耐えればいい
つまらない 毎日を 送ればいい
もう何もない 意味さえない Yes, just YOU&I
きっと良かったんだろう 僕たちは めぐり会えて…
もう何もない 意味さえない Yes, just YOU&I
きっと良かったんだろう 僕たちは めぐり会えて…
いかがだっただろうか。"YOU&I"の歌詞を全部拾ってしまうとニュアンスがズレてしまうと思ったので意図的にアニメ『呪術廻戦』の場面に合いそうな歌詞を抜粋してみた。特にCパートで日車が扉から出るシーン当たりが一番"YOU&I"が合いそうだと個人的には思っている。他にもアニメ『呪術廻戦』の場面をよく表している楽曲があれば色々考察なり妄想なりを楽しんでみて欲しい。私は"YOU&I"の歌詞を思いだしたことで日車は虎杖と出会えて良かったんだろうと思うし、逆に虎杖も法律のプロである日車から渋谷の虐殺事件について「無罪だ」と行って貰えたことはある種の「救い」になったのではないかと読者・視聴者視点では思うのである(それでも肝心の虎杖本人はあくまで自分を責めそうではあるが)。虎杖は五条先生なりナナミンなりと、良い大人に出会うなぁと感じたものである。
2 おまけ~日車が虎杖を「無罪」と主張できた法的根拠について等、若干補足説明~
『呪術廻戦』本編でも日車から必要十分な説明がなされたと思うが、改めて振り返ると虎杖が渋谷での虐殺事件について「無罪」と言えるのは、虎杖本人の意識がなく宿儺の行動を制御することが出来ず、しかも宿儺に意識が切り替わったのは虎杖本人の意思によるものではないから「責任能力が無く犯罪が成立しないことから無罪」と結論づけられたのである。この説明自体には間違いは存在しないが、もう少し刑法の基本から振り返ってみたいと思う。この『呪術廻戦』のエピソードを通して刑法の基礎・基本だけでも頭の片隅に覚えておいていただければ法学徒としては幸いである。
(0)刑法入門レベルの基礎知識の確認
そもそも「犯罪」の定義とは何なのだろうか。国語辞典で確認するという方法もあるのだろうが、少なくとも法律学の基礎あるいは刑法の基礎を学んだ学生は以下のような犯罪の体後を頭にたたき込まれる。
「犯罪とは、構成要件に該当する違法で有責な行為である」
この定義をいくつかの要素に分解して整理したいと思う。即ち、犯罪が成立するためには以下の3つの要素が必要となる。①構成要件該当性②違法性③有責性の3つである。しかも、構成要件該当性→違法性→有責性の順番で検討することが必須となる。
まず、構成要件該当性とは、自分の行った行為が「犯罪」として予め法律に規定されていることである。「殺人罪」(刑法199条)や住居・建造物侵入罪(刑法130条)といった具合である。こうした法律(刑法)に規定されていない行為を国家が刑罰として罰することは出来ないのである。例えば、クリスマスに恋人と過ごすことを非モテ非リア充野郎共がが心の中で「リア充爆発しろ」と思うことは自由だが、だからといって国家が予め法律で制定していない「リア充罪」なる罪を勝手に創設して罰することはないということである。あるいは、民事責任は発生する不貞行為(不倫)についても、国家が「犯罪」として刑罰を加えることを予定していないので、「不倫罪(姦通罪)」といった規定は(少なくとも現在では)ないのである。そのため、不倫をすることで民事責任は負っても刑事責任までは負うことは無いのである。法律学を学んでいない者はこの民事責任と刑事責任を混同していることがしばしば見受けられるので、そこは注意すべきである。
次に、違法性とは、その名の通り法律に反していることを言う。基本的には先ほどの構成要件に該当する行為をしている場合はそのまま「違法」という行為を下されがちである。だが、例外的に構成要件に該当する行為でも法律が特別な「許可」を与えている場合は、違法性が阻却されて犯罪は成立しない、即ち無罪となるのである。このように抽象的な説明だけでは納得できないので具体例を挙げて説明しよう。例えば、目の前に脳梗塞を患った患者がいて病院に救急搬送されたとしよう。そして、脳外科医がその患者の手術を病院で請け負うことになったとする。当該脳外科医が手術のために頭蓋骨を開く行為は、刑法的には傷害罪(刑法204条)にあたる。だが、このままでは外科医は傷害罪の現行犯で逮捕されてしまうことになりそうだが、社会常識的にそんなことはありえない。では、法学的にこの「ありえない」を説明するとなるとどのように理屈づけられるだろうか。それは、脳外科医が行う手術は刑法35条で定められている「法令または正当な業務による行為」にあたると解するのである。こうして、「頭蓋骨を開く」という「傷害」罪の構成要件に該当する違法性が阻却されて、無罪となるのである。
そして、有責性とは、刑事責任を負うに値する能力があることを言う。こう表現すると難しく思われるかもしれないが、ざっくり言えば物事の是非=その行為が(社会常識的に見て)良いことか悪いことかを判断できる能力があることをいうのである。こうした能力を欠く者(具体的には幼稚園児などの刑事未成年)に対して、国家が刑罰を課すことはしないということである。そして、『呪術廻戦』における虎杖君が無罪となる理屈もこの有責性がポイントになるのである。
刑法的には「故意責任の原則」(刑法38条1項本文)というものがある。故意とは、ざっくり言えば「自分の行う行為が悪い行為であることを認識しつつ、あえてその行為に出ようとする意思」「自分の行為が悪いことであることを認識・認容する意思」といったような説明がされる。古典的な「人間は自由意志によって意思決定する」という立場から導かれる理屈である。
だが、中にはこの自由意志がそもそも初めから存在しない場合がある。自分のやっていることが良いことなのか悪いことなのか判断する能力すら無い場合である。そうした能力の欠ける者を国家が罰することはしない、という理屈が用意されているのである。その代表的なものが「心神喪失者は無罪」という理屈である。この理屈を定めた条文をチェックしてみよう。
<刑法39条1項>
心神喪失者の行為は、罰しない。
心神喪失者とは、具体的には精神病を患っている者や飲酒により酩酊状態にある者が想定されている。時々ニュースで精神病を患っている者が犯罪を犯した際に無罪になる報道がなされていると思うが、無罪になるのはこの刑法39条1項が適用された結果である。精神病を患った者の凶悪な犯行が刑法上無罪と判断されるのは一般的な国民感情からは納得しがたいことも重々承知しているが、少なくとも刑法の原理原則からはやむを得ないのである。だが、この刑法39条1項という規定が今回の『呪術廻戦』において虎杖君が無罪になるポイントなのである。「渋谷事変」において虎杖が気絶中に宿儺の指9本を一気に摂取されたことで、宿儺が虎杖の肉体の主導権を握り虎杖は自分の意思で自分の肉体をコントロールすることが出来なかった。これがまさに刑法39条1項に規定する「心神喪失者」そのものなのである。そのため宿儺が渋谷で虐殺した行為は刑法199条の殺人罪という構成要件に当たりその行為は当然違法であるが、虎杖には責任がないので無罪となるのである。
(1)虎杖が無罪になる理屈まとめ
ここまでの議論をまとめると、このようになる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
虎杖(宿儺)が渋谷で虐殺行為をしたことは殺人罪(刑法199条)の構成要件に該当する
↓
上記殺害行為の違法性は阻却されない=このままだと有罪コース
↓
虎杖は自身の意思で宿儺に肉体の主導権を渡したわけではなく、また肉体の主導権を自由に出来るわけでもなかったので刑法39条1項にいう「心神喪失者」にあたる→虎杖には(刑事)責任がないので無罪
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ということになるのである。もし今回の虎杖無罪を主張するための法学部の期末考査や司法試験の答案を書くことになったら、あるいは虎杖無罪の実務的な書面を起案することになったとしたら、「無罪」という結末が分かっているからといっていきなり刑法39条1項を指摘するのは悪手である。まずは上記の刑法の原理・原則通り虎杖の行為は刑法199条の殺人罪の構成要件にあたる行為であることを指摘する必要がある。その後で刑法39条1項の存在を指摘する必要があるのである。知識はあってもその使い方を誤ると結局役に立たないどころか、救いたいもの・守りたいものを救うことも守ることもできないので注意が必要である。
(2)日車の裁判官と検事の殺害は「犯罪」となるか
これは完全に余談であり蛇足であるが、日車が裁判官と検察官(非術師=日車の死滅回游の2点ポイントの養分になった犠牲者)を殺害した行為についても考察を加えたいと思う。
日車自身は当然自身の行った行為は殺人罪の構成要件に該当し、違法性も有責性も認められるから殺人罪が成立することに何の異論も無いと思うだろう。だが、仮に私が日車の弁護をするのであれば、日車が殺害に用いた手段は「殺人の実行行為にあたらない」あるいは(これはやや無理筋な理屈であるが)「日車の行為はいわゆる『呪い』『丑の刻参り』と同様のものであり理論上「殺す」という結果が発生する危険はゼロである=不能犯にあたる」という理屈で、そもそも「殺人罪」にあたらないから無罪という理屈を立てるだろう。非術師である通常の検察官や裁判官は日車の呪力・術式を認識できないから、日車の呪術を用いた殺害行為はいわゆる「不能犯」にあたるとして、殺人の実行行為すら存在していないという理屈で無罪を勝ち取りたいと思っている。あるいは、日車が殺害行為と認識している行為と裁判官・検察官の死亡という結果との間の因果関係を証明できないという理由で「殺人の構成要件にはあたらない」という理屈から無罪を勝ち取るだろう。『空想法律読本』という本を読んだことのある人であれば、「デスノートに名前を書く行為は殺人罪で罰することはできない」という理屈を聞いたことはないだろうか。要はそれと同じ理屈を採用して日車の無罪を主張するのである。
実際、日車は呪術師としての才能を見出されて呪術上層部から殺人についてのお咎めは無しとの超法規的措置ともとれる待遇を受ける(その代わり呪術師としてバリバリ働けということなのだろうが)。『呪術廻戦』世界における呪術上層部の政治的権力が現実の司法機関と比べてどれだけ権力が上なのかも不明だが(原作漫画の最終巻に収録された最終話の描写だけ読めば呪術上層部が相当な権力を持っているように見えるが)、とりあえず呪術上層部の「ズル」に頼らなくても現行の法律の立て付けのままであれば、日車を堂々と「無罪」にすることは可能なのである(と思われる)。
一方で『呪術廻戦』世界においては、日車が「有罪」となる可能性も十分に考えられるとも思っている。「渋谷事変」以降、主に東京での呪霊の存在を公表するという話が出ていたから、それに合わせて各種法律や制度の立て付けも変更された可能性がある。「非術師が認識できない呪術を用いた行為も犯罪の実行行為に当たりうる」という法律(刑法)の運用が現実化すれば、あるいは基本的な刑法理論が改正されれば、日車を従来の裁判所で裁くことも可能になるだろう。日車の助手である清水さんは日車を有罪にするためには従来の法律論を振りかざすのではなく、政治家に刑法の条文や理論の改正を働きかけるようロビイング活動に力を入れた方が近道なのかもしれない。そんなことを思った今日この頃である。
いいなと思ったら応援しよう!
チップを得られればより長く安定した創作・投稿活動を継続できます。何より投稿して良かったと心から思えます。貴方にとっては小さなことかもしれませんが私にとってはとでもデカいことなのです。なので堂々と金額の多寡は気にせず気楽に投げていただければ!