見出し画像

三重の神社と琉球の不思議なつながり〜猿田彦とあざかの海

猿田彦コーヒーさんのおかげで、すっかり身近な名前になった「猿田彦」。
今日は猿田彦さんと、琉球や海人(あま)族との関係をちょっと紐解く話。
相当マニアックな話ですが琉球に興味ある方なら楽しんでいただけるはず。


(予備知識)猿田彦さんとは

伊勢神宮からほど近くの猿田彦神社に祀られ、天孫降臨の道案内をしたといわれる猿田彦命。顔が赤くて、天狗みたいに鼻が長いとされる神様です。
天皇を案内したので、「道開きの神」と言われています。

AIだとこんなのになった

猿田彦さんの最期は、「阿邪訶(あざか)の海」というところで貝に挟まれて、命を落としたと伝えられています。
三重県松阪市の阿射加神社(あざかじんじゃ)では、猿田彦命の御魂がまつられています。


あざかの海と琉球

さて、不思議なのは、阿射加神社(あざかじんじゃ)が全然海の近くに位置してないこと。

そもそも「あざか」ってなんだか日本語っぽくない響きですよね。

私もずっと「変わった名前だな」と思っていたのですが、先日、三重県の専門家の方から「琉球の言葉に由来する」という説を聞きました。

調べてみると、沖縄の言葉で「アザカ」はボチョウジという植物だそう。沖縄の久高島などで祭祀に使われているそうです。

三重の地名に琉球のことばが残っているって、ちょっとロマンだ。


黒潮が運んだ文化

民俗学者の柳田國男は、三重県の岬に来たとき、黒潮に乗って沖縄からヤシの実が流れ着いているのを見て、「日本民族の故郷は南洋諸島だと確信した」といいます。

古代の人々も、この黒潮の流れに乗って文化を行き来させていたのかもしれません。

さて、神話において、猿田彦が足を挟まれて亡くなったという大きな貝は、シャコガイだったのではという説があり、沖縄の多良間島に行った時、そのシャコガイの化石を見つけました。

今はもう取れないけど、数千年前には沖縄にこんな大きな貝がいたらしい。

こんなのに足を挟まれたら確かに死にそうではある

貝と埋葬の文化

それから不思議なのは、沖縄の古代の埋葬では棺の中で足元にシャコ貝を置く風習があったことです。

猿田彦が足に貝を挟まれて亡くなったという神話と、どこかで響き合う気がしてなりません。

国立科学博物館 特別展「古代DNAー日本人のきた道ー」

国立科学博物館の展示にもありますが、貝は災いをしりぞける意味があったのだとか。

いまでも沖縄では、家の玄関に貝を置いて魔除けにしてたりします(水字貝という貝)。


まあるい石の信仰の秘密

九州・宗像三女神が降り立ったとされる宗像大社に行った時、境内の一番奥にある「高宮」というところで、丸い石を見つけました。

隅っこだけど、けっこう雰囲気があった

地元のガイドの人に「あれ何?」と聞いたら「宗像三女神がおりてくる前にこの場所にいた地元の神様を祀ってる」のだそうです。

ちなみに宗像大社の神事は、その丸い石にお祈りするところから始まるのだとか。

神社の歴史というのは縄文時代までは全然及ばないのですが、古代から祭祀を行ってきた場所や墓が、あとになって神社になっていることが多いので、よくみると古代のことがわかったりします。

そして、サルタヒコをまつる阿射和(あざか)神社にも、神社の脇にちょこんと丸い石が置かれていました。

神聖な島で知られる沖縄・久高島の拝所にも、似たような岩があることを最近友達が見つけました。

なんだか弥生時代より前の古い信仰の姿を垣間見る気がします。

ドーマンセーマンと海図

三重の南部には「ドーマンセーマン」というおまじないがあります。星のマークと縦横の線のマークで1セットになっている。

もともと海女さんが海に潜るときに描いていたものだそうで、海が荒れても無事に漁ができるようにという意味があったそうです。
わたしの祖父も、漁に行くとき何かあったら唱えてたらしい。

このドーマンセーマンのマークの由来には諸説あるのですが、地元の在野研究者の方から聞いた一つの説では、海洋民族の海図のシンボルだったのではないかということです。フィリピンのほうに、こんなかたちの海図があるらしい。

ちなみに沖縄の多良間島の博物館に行ったとき、似たようなのを見つけたんですよね、、なんだったんだろうこれ、、

AIで検索しても意味がでてこないミーツマーリ

「射和」の名前と海人(あま)

さらに話がそれるけど、気になるのは「阿射和(あざか)神社」の「射和」という字。

「射和(いざわ)」とも読めるのですが、これまた三重の地名です。松阪市射和町というところがある。

似た名前でいうと、伊勢神宮の別宮である「伊雑宮(いざわのみや)」、伊勢神宮の所管社である「伊射波神社(いさわ神社)」など、「いざわ」という名前のつく神社は三重県の南部・海沿いにあり、昔は舟で参拝に来てた海人(あま)族の神社です。

ちなみに伊射波神社のほうは、鳥居が岩みたいになっていたのですが、そのやりかたも沖縄の御嶽とすごく近しい感じもします。

結局猿田彦は海人族だったのか?沖縄から来たのか?色々と謎が深まります。


貝と海と神様と。
こうして見ていくと、沖縄から三重までは、ずっと昔から目に見えない道でつながっていたのかもしれません。

それにしても、私がこれまであっちこっち興味を持って行ってきた旅行先がぜんぶつながったのは嬉しい。

海人(あま)族の名残のある町は熱海、奄美、安曇などたくさんあって、次は三重のさらに先の伊豆が気になる。海士町もいつか行きたいし、これからも色々めぐりたいなと思っています。

海女、猿田彦、アザカ、まあるい石、ドーマンセーマンについて「地元でもこんな情報あるよ」とかあればぜひ教えてほしいです。

いいなと思ったら応援しよう!

シロナ この記事をいいなと思っていただけたら、次回の旅のために応援いただけるととってもとっても嬉しいです😆いただいたチップはnote記事のためのインドへの移動費のために大事に使わせていただきます。