今日の読了本「死者のテロワール」
先日まで開いていた個展では、陶器でできたおうちのオブジェと、私が描いたモノクロの庭の絵を並べて展示した。おうちは益子焼の釉薬が、経年劣化のようなくすんだ色合いにしていたし、私の絵は植木鉢だらけだったり支柱だらけだったり、やや荒れ気味の生活感ある庭を描いていたので、どこか懐かしさを感じる、というお声をいただくことが多かった。
「実家は金木犀が植えてあって、金木犀の香りを嗅ぐと懐かしい気持ちになる」「香と記憶はすごく強い結びつきがある」なんてお話も伺って、確かに、絵、つまり視覚は、香、嗅覚に勝てないかもなあ……なんて思いました。
懐かしさを感じる理由は、きっといろいろあるけれど、懐かしさを感じるとき、それはいつも何か足りてないときだと思います。香を感じても、音楽を聞いても、きっと思った通りの景色はそこにはないし、私の絵を見て懐かしさを感じるのは、色がないから、自分だけの色をそこに想像しようとするから、なんじゃないかな、なんて考えます。
今日の読了本は、記憶と食にまつわる本です。こちら。
曽根雅典さんの、『死者のテロワール』です。
舞台は2061年、ディストピア化した日本。地方に作られた、尊厳死のための施設に併設されたカフェ〈クロエ〉に集まる常連客たちの、記憶と食をめぐる連作短編集です。
「猪ってね、筍が好きなんだって。でもほら、筍って、アクがすごいじゃない?それでお腹壊しちゃうんだって。だから、春先の猪の肉は身が緩んでいて美味しくないっていわれてる」玄冬さんが嬉しそうに話す。
「だから、料理にするときには、筍と合わせてあげたいよね。死んでも、好物と一緒に皿に盛られたら、猪も嬉しいんじゃない?」
そういうものなのかな。わたしがうまく合いの手を入れられずにいたので、朱夏さんが答えた。「嬉しいよね。わたしも死んだら棺には好きだったものを全部入れてもらいたい。……」
死と、食と、記憶が、入り混じった会話に、わたしは圧倒されました。
「死んでも、好物と一緒に皿に盛られたら、猪も嬉しいんじゃない?」。
いつかわたしが死んだとして、そのとき、わたしが好きだった香水をかけて、わたしが好きだった料理が供されて、わたしが好きだった音楽が流れて、そうして嗅覚、味覚、聴覚が、わたしに関連するもので埋め尽くされとしても、そこにわたしはいなくて、でも、わたしがいないだけで、他の感覚はわたしに関するものをキャッチしていたら、わたしを偲んでくれる人たちは、きっとより強く、わたしの存在を感じるような気がします。
この小説を書いた曽根雅典さんは、三軒茶屋にあるカフェ「nicolas」の店主さんだそうで、小説の中には、パスタやケーキのレシピも登場します。
食べることって、味覚だけでなく嗅覚も使っていて、かなり強く記憶と結びつけられることなんだって、この本を読んで認識しました。故人のレシピや、故人と食べた料理のレシピって、記憶を開く鍵のようで、とっても神秘的だなと、ちょっとロマンチストになります。
カフェで働く友人から借りた本だったのですが、装丁も素敵で、本文は左綴じの横書きで、でもそれがなんだか人の日記を読んでいるような気持ちにさせて、素敵な佇まいの本でした。
友人はnicolasにもよく行くようなのですが、わたしは行ったことがないので、今度三軒茶屋に行くときは立ち寄ってみようかなと思います。
なんだか取り止めもなくポエマーになっちゃいました。
でも素敵な本だったので、ご紹介します。気になった方はぜひ!
それではおやすみなさい。
(副島)
