【掌編】スピン
紙の上に円を描け。
いや、君だ。今これを読んでいる、君に向け話しかけている。
今すぐ紙とペンを取り出して、無ければ頭の中でもいい、まずは丸い円をそこに描け。
できたか。では次だ。
その円の中に直線を引く。円を上下に真半分とするような、横一文字。長さは円をはみ出さず、ちょうど直径と同じとなるように。
できただろうか。それでは仕上げだ。
上下に分かれた半円のうち、下のひとつを黒く塗り潰せ。
何も真っ黒にする必要はない。色が塗られているとわかる程度でいい。どうせその紙は捨てるだろうから、細部にこだわる時間は省いてよい。
よし、いいか。
今君の目の前には、上半分が白く、下半分が黒い円が出来上がっていると思う。
さぁ、君にミッションだ。
今からその白と黒、上下を入れ替えろ。
制限時間は三秒。
手段は問わない。見た目上、白と黒が逆転していればそれでいい。
では、いくぞ。三、二、一。
終了。
首尾はどうだ。
恐らく多くの者が紙の端を持ち、ぐるりと百八十度回転させたことだろう。そうすればものの数秒で、円の天地はひっくり返る。もし消しゴムを探し、黒を消し白を埋めようと試みた者がいたとしても、落胆することはない。ひとつ頭の体操をしたものと思い、一本取られた、と笑っておけばよい。
問題は、次だ。
ペンはまだあるか。
では、紙を元の向きに戻し、今度は円の下に小さく棒人間を描け。紙面には上から順に、白の半円、それに密着する黒の半円、そして極小の棒人間。
その棒人間が、君だ。
次はその状態で、君の真上にある丸い円、その白と黒を入れ替えろ。
そんなミッションが下りたものと仮定してみて欲しい。
多くの者が、お手上げとなるのではないか。
無論、棒人間がどの程度の可動を保証されているかにも寄る。制限がなければ、紙の中をいそいそと歩き、白い半円の下、当初とは逆さの方向に立つというのもひとつだろう。しかし、仮にそれが可能であるとして、いざ棒人間と同じポジションに立ち、果たしてその発想を持ち得るか。
上空に聳える白黒の円。腕は短く、それに届く距離にいない。飛び上がろうにもその後どうする。円周の一部を掴んだところで、小さな体躯ではそれを回せない。
紙の外に出ているときには、ものの数秒で叶えられたパラダイムシフトも、紙の中に入った途端、難しくなる。
これが、「世界」だ。
今、君の目の前にある一枚の紙。その内にいるか外にいるかで、アプローチはまったく変わる。それはこの紙がひとつの世界であり、棒人間となった君が、白黒の円と同一の世界に身を置いたからに他ならない。
このように、物事を困難と捉える際、我々は往々にして、それらと同じ世界に所属している。
物理法則。
一般常識。
社会通念。
法律規定。
そこで働くあらゆる力学に左右され、我々は問題を問題として認識する。無理だ、難しい、成す術がない。頭を抱え、苦悶する。
ここに問題を解く鍵がある。
自らが属する世界から、いかにして離脱を図るか。
問題を問題足らしめる現実から、いかにしてエスケープを果たすか。
およそフィジカルな観点からは、それは難しい。先ほどの棒人間よろしく、物理的な身体を同じ次元に有する限り、ハード面での課題解決が要される。
一方、ソフト面。メンタルな観点からはどうだ。
喜んではいけない不幸も、喜べばいい。
憎んではいけない相手も、憎めばいい。
悲しんではいけない場面も、悲しめばいい。
楽しんではいけない行為も、楽しめばいい。
許してはいけない自分も、許せばいい。
心を縛る観念を外し、思考を狭める雑音を排せば、君は容易く紙の外に出ることができる。
できないと思うか。
ならばまず、その思い込みから離脱しろ。
百でも千でも、できない理由を並べてみればいい。いずれも森羅万象の類のように、端からあったものではない。理を学ぶうち、善悪を悟るうち、君自身が作り出したものであるはず。
問題を前に、頭を抱える者たちよ。
嘆くな。喚くな。慄くな。
君を締めつけるその鎖は、容易く千切れる自作の枷だ。
さぁ、君の中に円を描け。
そして今すぐそこから抜け出せ。
準備はいいか。それでは命じる。
かつて君がいた、世界を回せ。
