何もかも嫌になった時のnote
もう何もかもが嫌になってきた。
最近、うまくいかないことだらけだ。
私は毎朝、目玉焼きを作っているが、二日連続で黄身が潰れてしまった。黄身が潰れても食べられるし、卵料理はいつだって美味しいのだが、黄身が半球形をしていないことにものすごくテンションが下がり落ち込む。
また、娘(小2)が学校できゅうりを育ているようで、間引きした苗を持って帰ってきた。捨てるのもかわいそうだし、それを家の植木鉢に植えてみたところ枯れてしまいそうになっている。水をやらなさ過ぎたのか、やり過ぎだったのかよく分からないが、ほんとうに悲しい。なんとか復活して欲しいが、どんどん葉っぱの元気がなくなってきている。
あと、この前、墓まいりに行ったら大量の蚊に刺されて、掻きこわしたところが痛い。さらに掻きこわしたところに試しにムヒを塗ってみたら、一瞬息が止まるくらいの激痛だった。傷にムヒをつけてみたらどうなるだろう、と変な好奇心をだしてはいけなかった。
そんなこんなで、いろいろと辛いことが重なり、落ち込んでいる。気持ちが暗くなり、そもそも自分は昔から人に迷惑をかけて生きてきたことを思い出す。
小学生のころはドッジボールが下手で、クラス対抗戦をする時に、クラスメートの足をひっぱるような存在だった。中学生時代はしっかり厨二病にかかり、訳の分からないことを言ったり、変な詩を書いたりしていた。高校2年生の時は2回も謹慎処分を受けたし(理由はコンプラに厳しい世の中なので書かないでおきます、オンカジではないです)、大学は留年した。
去年は病気になり入院したのだが、胃カメラなどの検査を怖がりすぎて、看護師さんたちを困らせた。
その他にもいろいろあるが、多くの人に迷惑をかけてしまう人生だった。
ただ、そんな日々でもなんとかnoteだけは続けてきた。今のアカウントは始めて10か月くらいだが、以前は別のアカウントをもっていた。それを合わせると、4年くらいnoteで文章を書き続けてきたことになる。
4年がたったとはいえ、noteについてまだまだ分からないことだらけで、毎日悩み、苦しみ、煩悶し、涙を流し、汗をかき、のたうちまわり、後悔し、頭を掻きむしり、雄叫びをあげ、地べたをはいつくばり、地べたの野草を食べ、あまりの不味さにまた涙し、なぜ食べたのか自問自答し、セイタカアワダチソウは特に苦いと知り、食べなければ良かったと猛省し、食べてはいけないと注意喚起し、野草は食べ物ではないことに気付き、でも野草だって生きている、生きているには意味がある、その意味を知るため山ごもりし、坐禅を組んで修行をし、悟りを開きかけ、しかしそれがすべて驕りだったと分かり、人間のカルマを知り、苦悩を深めながらnoteで文章を書いている。
4年間つらい毎日を送ってきた。
もうやめよう、文章なんて書きたくない、そう思ったことが何度もあるし今もそうだ。
今のように何もかもうまくいかない時はnoteすら投げ出したくなる。こんなことをしていて何の意味があるのだと、未来が見えなくなってしまう。
いっそこの際noteを引退して、第二の人生を送ることを考えたいとさえ思う。note後のセカンドキャリアについて検討してみる時期がやってきたのかもしれない。
セカンドキャリアといえば、スポーツ選手は飲食店を経営しがちだ。そういえば、若乃花の「ちゃんこダイニング若」大宮店に行き、塩ちゃんこを食べたことがある。
塩キャラメル、塩から揚げ、塩焼きそばなどが流行っていた時期だ。
既存のものに「塩」をつけるとなんかすごくなるというブームが確かにそこにはあった。
過去のブームにあやかり、野草にも塩をつけてみるのはどうだろうか。塩をつければ野草も美味しくいただけるかもしれない。岸朝子の「美味しゅうございました」がきっとでるはずだ。
そこで、セカンドキャリアとして塩野草ダイニングを開業してみることを考えたい。塩野草ポン酢、塩野草のお造り豪華五点盛り、塩野草の藁焼き、塩野草の燻製、塩野草と塩野草の挟み揚げ、塩野草フォンデュ、塩野草カプレーゼ、塩野草の塩麹漬けなどメニューの幅は広がる。
野草はカロリーオフだし、ビーガンだし、SDGsの理念にもかなっているし、今の世の中的にも流行りそうな気がする。
インフルエンサーが、えっほえっほしながら塩野草は美味しいって伝えなきゃと使命感をもってくれたり、塩野草ビジュいいじゃんと拡散してくれたりするかもしれない。
野草ダイニングは、久喜、飯能、春日部、越谷、朝霞、新座、蕨、毛呂山、加須、東松山など埼玉県に次々と店舗を出し、県内を席巻して、埼玉県の新しいご当地グルメとして認知されるようになるだろう。
きっとご当地キャラのセイタカアワダチソウくんも作成される。セイタカアワダチソウくんは、ご当地キャラの中で一番背が高く、舐めてみると苦いことが話題となり、さらに野草ブームは広がっていくに違いない。
ただ、野草がブームになると埼玉県はもちろんのこと、日本全国の野草が採り尽くされてしまう。
野草がなくなると、そこはもはや荒野である。日本中が荒れた地になってしまう。それは困る。日本で荒野行動はしたくない。バトルロイヤルを巻き起こすことは絶対に嫌だ。
となると、やはり塩野草ダイニングは諦めるしかない。塩野草ダイニングをやめるということは、セカンドキャリアについてはまったくの白紙になるので、noteは引退せずこれからも書き続けていくしかないようだ。
塩野草ダイニングが無理なら、私には書くこと以外は残っていない。
今後も我が郷土である埼玉県から文章を発信し続けよう。
そして野草ではなく、きゅうりの苗を育てることに力を注ぐことにしたい。
おしまい
