いいえ、わたしは犬ではありません。
noteでは「くろ」と名乗っている。
以前使っていて、一時の気の迷いで消してしまったアカウントは「しろ」という名前にしていた。
消してしまったことを後悔して、noteのアカウントを作り直そうと思った時に、前は「しろ」だったから今回は「くろ」にしてみようという陰陽師的発想(適当)が思い浮かび、今回はこの名前でやっている。
ただ、note以外の、職場、家庭やその他の場所ではくろと呼ばれることはないので、普段は自分が「くろ」だと意識していることはあまりない。
たまにnoteのことを考える時に「ああ、自分はそういえばくろなんだよな。くろかぁ。くろだよなぁ。くろなんだよなぁ」と思う。不思議な感じがする。
他者を目の前にして「わたしはくろです」と自分のことを紹介したこともなければ「あなたはくろですか?」、「はい、わたしはくろです」と返事をしたこともないので、声に出して自分が「くろ」だと表明したこともない。
試しに、今まわりに誰もいないことを確認して「わたしはくろです」と声に出して言ってみたところ、恥ずかしいような、照れ臭いような、甘酸っぱい感情が込み上げてきた。
「わたしはくろ。じゃあいつものくろじゃない時のわたしは誰?いつものわたしもわたし、くろもわたし。わたしとくろはどっちもわたし。えっわたしが二人?魂は一つなはずなのに?きっと魂が現世と第三世界を彷徨っているのね」と、アイデンティティが崩壊しかけて、スピリチュアルな方向に意識が向きかけてしまったので、あまり深く考えない方がいいのかもしれない。
とにかく私はnoteでは「くろ」だ。それでいい。それ以上のことは疑問に思う必要もなければ、深く追求していく意味もない。
わたしはくろです。いいえ、わたしは犬ではありません。わたしはひとりの人間です。わたしの名前はくろです。わたしはひとつのりんごをもっています。エレンはひとつのりんごをもっていません。ルーカスはたくさんのりんごをもっています。ルーカスはなぜたくさんのうちの一つのりんごをエレンにあげないのですか?エレンはルーカスがもっているたくさんのうちのりんごのすべてを欲しています。ルーカスはたくさんのうちのりんごのすべてをエレンにあげることはできないと途方にくれています。エレンは考えることができるすべての方法を使うことによって、ルーカスのたくさんのうちのすべてのりんごをもらうことができるようになりました。もしルーカスがこの世界にあるすべての悲しいという表現を知っているのならば、この時にそれを使うことになったでしょう。
こんなふうに英語教科書のニューホライズンかサンシャインの直訳の真似をする必要はもっとない。
「わたしはくろです」と自信をもって名乗ればいいのだと自分に言い聞かせよう。
ただ問題となるのは、自分は「くろ」であるという自己同一性は保つことはできていたとしても「わたしはくろです」と表明すべき場面になった時に、ちゃんとそれを言えるかということだ。
私は引っ込み思案かつ恥ずかしがりかつ臆病なので、気持ちの面でそれが可能かということが課題である。
たとえ自分は「くろ」だという矜持をもっていても、人前に出た時の緊張からうまく名乗れないことがあるかもしれない。
私は以前はそれほど自分は引っ込み思案だとは思っていなかった。
ただ、自分の妻の様子を見ているうちに、私はコミュニケーション能力が不足しているのだと感じるようになってきた。
妻は知らない人とか、顔見知り程度の人にもどんどん話しかけていく。
例えば、息子(5歳)の保育園のイベントで保護者が集まった時には、息子と同じクラスの保護者たちとすぐに打ち解けて、会話の中心となる。
私が「わたしは◯◯の父親です」と名乗っている間に、妻は同じクラスの保護者たちとライングループを作り、それぞれの予定をすり合わせてランチ会の日程を決め、その人数が入れるお店を押さえるくらいまではしている。
人と距離を縮めるのが上手いうえに、さらに人をしきり、率いることができる。そんな妻の姿を見て、私はなんて自分は恥ずかしがりで、臆病者なのだろうかと思うと同時に、この人はしきり力や率いり力が凄まじくあるのだなと感心してしまう。
きっと妻の前世は地方豪族の長とか庄屋さまだったのだろう。
私はきっと庄屋さまの言うがままに年貢を納める村人だ。
たまに私は妻に「なぜあなたはたくさんのうちの人の中のすべての人をすぐにしきろうと企てて、あなたがもっている率いりの力をたくさんのうちの人の中のすべての人に見せつけようとするのですか?」と聞きたくなるが、そんなことを言ったら大変怖いことになるのが容易に想像できるので、実行したことはない。
妻に嫌味を言ってみるなんていうとてつもなく恐ろしいことができるだろうか、いやできようはずもない、一生そんなことができる機会が訪れるはずがない、想像したことすら大きな罪であるくらいない。
ということなので、大人しく「わたしはくろです」という発声練習をひたすらして、人前でそれを言う機会のために備えておくことにしたい。
おしまい
