条件付きの愛、無条件の愛
目立たなくて小さいが、とても深く残り、決して消えない染みのような子どものころの思い出がある。
その染みの色は、明るくない。
その暗い染みは、表面上の見た目は小さいが、心の深い部分にはその色を静かに広く滲ませている。
そしてその滲みは今も少しずつ大きくなっているのかもしれない。
◇
私が小学一年生のころ、ミニ四駆という、電動モーター付きのプラモデルが流行っていた。
組み立てて乾電池を入れ、電源をオンにすると走る、車のおもちゃだ。
私も周りの友達はみんなそれを何台かずつ持っていた。
家の中ではすぐに壁や家具に当たって、止まってしまうので、みんなで外で走らせて遊んでいた。
室内用の専用レースコースはミニ四駆を製作している会社が公式の物として販売していたのだが、周りの友達は誰も持っていなかった。
そんな時に私の父が、見様見真似でその公式レースコースのようなものを、ダンボールや厚紙を材料にして、手づくりしてくれた。
子どものころの私にはそれがとても立派なできで、公式のものとほとんど変わりなく素晴らしい物に見えた。
私は歓声をあげて喜び、何度も何度もそのレースコースでミニ四駆を走らせて、夢中になって遊んだ。
当時住んでいた狭いアパートには存在感がありすぎるものだったが、私は家にミニ四駆のレースコースがあることが夢のようだった。
友達を呼んで、それで一緒に遊ぶこともした。
友達は「すごい!すごい!」とみんな驚き、羨ましがった。
私は羨望の眼差しを受けることが、くすぐったかったが素直に嬉しく、そして何よりもこんなすごいものを作ってくれた父のことが誇らしかった。
小さな子どもの多くがそうだと思うが、父親は立派でなんでもできる人だと信じている。
私も父のことはちょっと怖いけど、なんだかすごい人だと思っていた。
そのすごい人という気持ちがさらに、このミニ四駆のコースを作ってくれたことで強くなったように思う。
しばらくは素晴らしいおもちゃを手に入れた私は無邪気に、その喜びを享受していた。
しかしそれは、突然、喜びだけではなくなった。
ある日の夕食の時に父が「今後のテストで100点を取れないことがあったらミニ四駆のレースコースは片付ける」と宣言した。母も深く頷き、その意見を全面的に肯定しているようだった。
私はその宣言を前にして、絶望した。今後、毎回のテストで100点を取り続けることなどできるだろうか。きっとできない。おそらくすぐに片付けられてしまうことになるだろう。それは嫌だ。でも、父がそう宣言して母がそれを肯定している以上、その約束は絶対に変えられない。
その宣言以来、二回くらいは連続してテストで100点を取ることができた。しかし、三回目くらいのテストは100点ではなかった。
私はそのテストを自分の学習机備え付けのファイル立ての奥に隠した。
私は迷わなかった。正直に100点を取れなかったことを父と母に言って、次は頑張るからと謝り、許しを乞うということは頭の片隅にすら浮かばなかった。
当時の私はレースコースを片付けられたくないという気持ちが強すぎて、テストを隠す以外のことは考えられなかったのだろう。
それは父と母に対して、後ろめたい秘密をもったはじめての経験だった。
謝るということは、選択肢になかったものの、秘密をもったということについての罪悪感は芽生えた。
いや、罪悪感とは少し違うのかもしれない。なぜならその時の私はそれを罪であり悪いことだとあまり感じていなかったように思うからだ。罪悪感をまったくもっていなかったわけではないが、それよりも心に重くのしかかっていたのは、テストを隠していることがばれたらどうしようという気持ちだった。
ファイル立ての奥に隠してある100点ではないテストが、父と母に見つかることをひたすら恐れていた。
月日がたち、テストが行われるごとに、ファイル立ての奥には100点ではないテストが、2枚、3枚、4枚とどんどん溜まっていった。枚数が増えていくごとに、恐れが増していったかといえば、それはそうでもなかった。
なぜなら、その秘密に慣れてしまい、100点のテストは父や母に見せる、そうでないものは隠す、ということが習慣となり、もともとほとんどなかった罪悪感は全くなくなり、見つかるかもしれないという恐れの感情も徐々に低減していった。
レースコースで遊ぶ時は、ファイル立ての奥のことが少し頭にちらつく、というくらいになっていた。
ただ、まだ幼い、小学一年生の秘密はやがては明るみにでる。母は、私が持ち帰ってくる、つまり隠さずに見せるテストの枚数が、やけに少なくなっていることに気付いた。
そして、ファイル立ての奥でくしゃくしゃになった100点を取れなかったらテストを見つけだしたのだ。
母は「どうしてこんなことをするの?」と聞く。
私は泣いた。怒られることとレースコースを片付けられることが悲しくて泣き続けた。母はどうしてテストを隠したか、何度も尋ねる。最初のうちは「どうしてこんなことするの?」という母の言葉は「こんなことしたらだめでしょ!」という意味だと私は捉えていて、テストを隠していたことを怒り続けていると思っていた。
だから、何も言えずに涙を流すより他はなかった。
しかし、私は泣きながらではあるがその様子を見て、母は私がなぜテストを隠したか、本当に分からずに困惑しているのではないかとうっすらと感じ始めた。
私は「100点を取り続けなければレースコースは片付ける」という約束を絶対視していたし、当然それは父も母もはっきりと覚えているものだと疑ってもいなかった。
だから、テストを隠した理由はレースコースを片付けられたくなかったからだと、父や母にはすぐ分かるはずだと思っていた。
しかし、目の前の母は、その理由が理解できずに戸惑っているように見える。
私は意を決して「100点じゃないとコースを片付けるって言ってたから」と伝えてみると、母は驚いたような不思議そうな何とも表現し難い表情を浮かべた。そして母は「えっ!そんなことパパやママがするわけないじゃない」と言う。
やはり、母は私がテストを隠した理由が分かっていなかった。それどころか父の発言さえ覚えていないようだ。
おそらく父が100点じゃないとレースコースを片付けると言ったのは、それほど重要な意味ではなく、軽くその場で言ってみただけのことだったのだろう。母はその約束すらよく覚えていなかったので、父や母にとっては、私がそんなことを気にしているとは思ってもみなかったようだ。
私はその約束に縛られていて、心のかなりの部分を占められていたにも関わらず、父や母にとっては些細なことだった。
これは、自分が大切に思っていることであっても、他者にとってはそれほど重要でないことがある、と気付くきっかけになる出来事だった。
結局、レースコースは片付けられずにしばらくは狭いアパートの狭い部屋に置き続けられていたが、それを見るたびにテストを隠したという、不都合な事実を突きつけられているようで、遊ぶことは少なくなった。
そしていつのまにか、それはなくなり、狭いアパートの狭い部屋が少しだけ広く感じられるようになった。
しかし、父と母のテストへのこだわりという点についてはこれで終わりではなかった。
「100点じゃなければコースを片付ける」という約束は、それほど重要な約束ではかったらしいのだが「100点じゃなければ」ということを言う、根本的な心のもちようについては、父と母にとって、人生の根幹をなすことだった。
父は育った家が貧しくて大学に行かせてもらえなかったことを悔やんでいた。そのせいで、今の会社で出世していくことが人より困難であると思っていて、そのことに屈辱感をもっていた。
母は、当時の田舎にあった、女子は無駄な知識なんかつける必要はないという風潮により、大学に行かせてもらえなかったことを恨んでいた。
父と母は、自分たちは有名な大学に行けるような能力があったと信じ込んでいて、大学を卒業さえしていれば、現在もっている漠然とした不安や不幸感が解消されていたと思い込んでいた。
だから二人とも、せめて子どもは大学に行かせてやり、自分たちのもつような不遇感を味あわせたくないという共通理解のようなものがあった。
その結果、私の学力を伸ばそうという努力を惜しまなかった。私は、小学四年生から高校三年生になるまでの間、その地域で一番高い学費がかかる塾に通わせてもらい、さらに別料金がかかる夏と冬の講習、正月やお盆の特別講習にも欠かさず参加させてもらっていた。
きっと、その塾代は決して裕福でなかった我が家には大きな負担だっただろう。
それに加えて参考書や問題集などは私が必要だと言えばいくらでも買ってくれた。
塾への送り迎えや、授業の間に食べるための弁当作り、勉強の進度の確認などの手間も惜しまなかった。
父や母にとって、私の学力は大きな希望だった。
そして、それにお金や時間や労力を注ぐことはきっと愛だった。
それが愛だったことは間違っていないとずっと思っている。
私が幸せに生きて欲しいと願う愛。
二人とも自分が信じる愛をまっすぐ伝えようとする人間だ。
私が勉強をさぼったり、試験の点数が悪かったりした時に、大きな声で怒り、手を出すことも、大きすぎる愛ゆえのものだったと思う。
私はそれを受け止めて、その愛に応えられるよう努力した。そして、無事に東京にある大学に合格し、入学することができた。
父や母は大喜びだったし、私もそんな二人を見て嬉しかった。
ただ、私はどこかで気付いていた。父や母が何よりも大切に思っていることが、他の人にはそれほど重要でないことを。そして私も父や母が大切にしていることが、何よりも重要だと思えないことを。
小学生くらいまでは、父や母が何よりも大切に思っている学力について、私もそれが一番重要だと疑わず頑張ってきた。
しかし、中学生になり世界が広がってきて、父や母の価値観が絶対ではないのではないかと感じるようになりつつあった。
でもそう思うことは父や母への裏切りのような気がして、できるだけそれを意識しないようにしていた。
父や母が一生懸命やってくれているのに、それを否定するのは自分が未熟だからだ、という気持ちがあった。
二人の愛を素直に受け止められないのは、私が悪い。
そう思っていた。
また、私は父や母の価値観の外に出る勇気もなく、他の価値観で生きられるくらいの能力を持ち合わせていなかったので、ひたすら父や母の世界の中で大切なものを私も重要だと思うようにしていた。
そしてその重要だと思っているという証拠を示すために、学力を伸ばす努力をして大学に合格した。父や母は満足しているし、私も期待に応えることができて幸福だった。満たされた愛がそこにはあった。
でも、私が学力を伸ばす努力をしていなかったら、大学に合格していなかったらどうだったか。
父も母も私が勉強をしていなくても、もしくはできなくても、きっと私に対して愛をもって接してくれていただろうと思いたい。
しかし、父と母の学力や大学へ入ることへの異常なこだわりを思い出すと、それがよく分からなくなる。
私は期待に応えようとしていたから愛されることができていたのではないか。
期待に応えなければ愛されないと分かっていたからそうしていたのではないか。
そんな疑問はずっと付き纏っている。
◇
私はその後、就職して結婚した。
そして子どもをもつことになった。
子どもを育てる上で、自分に誓ったことがある。
それは、自分が大切だと思っていることを子どもに押し付けないようにしようということ、子どもが思い通りに行動しなくても、絶対に怒ったり叩いたりしないこと。
自分の父や母のやり方が間違っていたとは思ってはいない。父や母は自分の信じる大切なことを、必死に伝えようとしていた。
それは間違いなく愛だった。
私はその愛を受け取ったし、その愛は本物だったと心から思っている。
その愛について疑いたくはないし、疑おうとすると、うっすらと嫌悪感や罪の意識が芽生える。
でも、愛を示すやり方にもいくつかあり、もっといいやり方があるとすれば、その方が良かったのではないかという気持ちがある。
だから私は自分の子どもは、自分のやり方で愛を伝えていくことに決めた。
私がやらせたいことをさせるのではなく、子どもがやりたいと言ったことはできるだけかなえるようにする、そして怒らない。いいところは必ず褒める。
それをずっと続けてきた。
私は父や母より良い方法で愛を伝えられていると思っていた。私の愛が子どもたちにも、正しく伝わっているというつもりでいた。
しかし、最近、気付いてしまった。
私も子どもたちを自分が望むかたちに、意識しないうちにはめ込もうとしているのではないかということを。
子どもたちを私の理想とする姿にさせようとしているのではないかということを。
私の子どもは二人いて、小学2年生の娘と保育園年長組の息子だ。
ここ最近、娘や息子の行動を見ていると、私の希望や期待を察知して、それに健気に応えようとしていることが多い。
私はつい、娘には「手伝ってくれてえらいね」、「パパが言う前に片付けができたね」などと無意識のうちに、しっかりものの長女でいて欲しいというような言葉をかけてしまう。
息子には「かわいいね」、「おもしろいね」、などとまだ幼くお調子ものの、かわいがられる弟であって欲しいという希望が透けて見えるような言葉をかけてしまう。
子どもたちは私のそんな言葉に敏感に反応しているのだと思う。
娘は、真面目に何事もやらなければいけないと思っているのが痛々しいほど分かるし、息子は必要以上に必死に甘えてかわいいところをアピールしようとする。
私は子どもを褒めているつもりだが、その言葉によって、娘にはしっかりもの、息子はかわいい、そのような条件を与えて、その条件を満たす限りは愛するという状況を子どもたちに作ってしまっているのではないか。
意識的にしていることではないが、私の愛は子どもたちの行動を規定する条件になってしまっているのではないか。
条件付き愛。
私が勉強を頑張れば愛されたように。
娘はしっかりすれば愛される。
息子はかわいければ愛される。
じゃあ勉強しなかったら?
しっかりしなかったら?かわいくなかったら?
父や母の愛は消えてなくなっていたのだろうか。
私の愛はどこかへいってしまうのだろうか。
分からない。
私は条件付きでしか子どもたちを愛せないのか。
無条件の愛を示すことができないのだろうか。
無条件の愛は誰もがもっているのだろうか。
無条件の愛は誰の心の中にも眠っているのだろうか。
私は無条件の愛を、自分の心の中からそっと抱き起こすことができるのだろうか。
無条件の愛を目覚めさせることができたら、子どもたちも、父や母も、そして自分のことも、もっと愛せるのだろうか。
いつかそんな日がきて、心の中にある深い染みは消えていくのだろうか。
分からない。
ほんとうに分からない。
