歌舞伎の女方(オンナガタ)を考える ―日本文化の深層― <白梅の芝居よもやまばなし>
日本において女人禁制は何故必要だったのか
映画『国宝』の大ヒットをキッカケに歌舞伎とは縁遠かった方々が歌舞伎に興味を持ち、劇場に足を運んで下さる方が増えているのは喜ばしいことです。
一方で、歌舞伎に対して批判的な視点も多く見うけられます。
SNSでは歌舞伎に対して「女性差別」との非難さえあって、歌舞伎好きとしては閉口してしまうのですが‥。
そうした批判はしばらくすれば落ち着くので聞き流していればいいこととも思います。
ただ昨今、「女性・女系天皇」の是非が論議されています。
女性の総理大臣が誕生し相撲の土俵に上がっていいのか、など多くの方が日本の女人禁制文化を改めて考えなければならない時代になっていることは確かでしょう。
この機会に、今まで私なりに考察してきたことを少しまとめてみようと思います。
この三つの問題に関して私が出した結論を先に申し上げてしまうと、
女性総理大臣が土俵に上がることに問題はない。
歌舞伎においては女方(女形)はなくてはならない存在であり、女優が女方(女形)に取って代わることはあり得ない。
「女性・女系天皇」は長い日本の文化を考えても全く問題ないものだと私は確信しています。
姓をもたない天皇の「万世一系」という考え方は、大陸の易姓革命を否定したものでしょう。
日本の天皇制はあくまで「徳治思想」を土台とし「天道」にのっとった統治とはなんぞやということを常に追求し続けてきた制度だと思います。
であるからこそ、千数百年の間存続し得てきたものであると私は考えます。
「万世一系」が大切であると思うのであれば、現状を鑑みた場合、男系にこだわることなく、「女性・女系天皇」をいただくことこそがむしろ「徳治」の伝統を守っていくことにつながるのではないでしょうか。
この「天命」に従っていくことこそ「天道」にかなった自然な歴史の流れなのではないか。
私にはそう思われます。
女人禁制の相撲の歴史は浅い
今の世の中では、お子さんならいざしらず、女性が見物としてではなく自ら相撲をとってそれに興じるということはほとんどなくなっているのではないかと思います。
ただ、一頃前までは女性が相撲を取ることに違和感のない時代が日本にはあったのだと思います。
高視聴率にわいた2015年度のNHK連続テレビ小説『あさが来た』の主人公は、相撲を取ることが大好きな女性として描かれています。
『日本書紀』に登場する野見宿禰(ノミノスクネ)ですが、相撲における始祖でありは神様と位置づけられています。
そしてこの人物は当然男性であると見なされているでしょう。
ただ、「日本」という国家の形成過程をみていくと女性である可能性が私は強いと思っています。
相撲は元々女性の格闘技であったのではないかとさえ想像されるのです。
日本列島の上古史を紐解くと卑弥呼をはじめ女王国の存在が印象的です。
縄文時代の土偶を見ても一族の長となりうるような多産で丈夫、力強そうな女性の存在が容易に想像できます。
こうした土着風俗の延長線上と考えれば、女性を氏の長者とする清和源氏が武家政権をうちたて得る基盤や風土が、元々日本列島にはあったであろうことが容易に推測出来ると思うのです。(清和源氏が叙景であろうことをまだ不完全ですが「清和源氏を考える」で言及しているのでご参照ください)
詳細な説明をここでは省きますが、中世までの日本は女性中心の為政者の論理によって動かされてきた国でした。
朝廷における藤原氏の存在。
桓武平氏の排斥。
鎌倉・室町を通じて時の政権は女性をトップとする武士による支配体制を維持していました。
応仁の乱をきっかけにどこに統治の「大義名分」があるのかわからない争いが延々と続く戦国時代に突入します。
狭い視野の中の人間関係に左右され、鳥瞰的に世の中の動きを見て判断することが出来ない。決着の落とし所を見つけることの出来ない争いが続くこととなるのです。
ようやく天下統一という「大義」を掲げ男性をトップに頂き、国を統治する軍事政権を樹立させることによって、長らく続いた戦国の世を終わらせることが出来たことは間違いないでしょう。
男性が軍事や警察機能を担う統治体制を築いていくなかで、女性は縁の下の力持ちとして家宰を取り仕切ることを通して、社会そのものを支える責任を担っていくことになっていったと考えられます。
平和な世の中で、男女の役割をそれぞれに分担して幸せに暮らす道を人々が選んだからこそ、世の中も徐々にそうした方向に移行すことが出来たのではないでしょうか。
豊臣政権下において「刀狩り」を断行し得たのは、民衆が自衛手段として武器を持つ必然性を感じさせない社会を指向していたからでしょう。日本は元々、それが容易に出来るお国柄であったことは見逃せません。
アメリカでは現代においても尚、銃社会を抜け出すことが容易ではないのとは対照的です。
着物で女性が、しかも衆人の前で投げ飛ばされ下半身が露わになるようなことがあってはならいという感覚は、今でもうなずけます。
女性が土俵に上がることを禁止されたのも、裏を返せばそれだけ相撲に興じたい女性がたくさんいたことを物語っているとも言えるのではないでしょうか。
女性が相撲の土俵に上がることが禁止されたのは、風紀的なことがやはり大きかったからであろうと私は推測します。
そう考えたとき今の世の中にあって、取組みをするわけではなく賜杯を渡すためだけであれば、女性が土俵に上がることになんら問題はないであろうと私には思われます。
出雲の阿国と遊女歌舞伎の禁止
歌舞伎の始祖である「出雲の阿国(オクニ)」は女性でした。
阿国は異国情緒を醸し出すような衣裳で太刀を佩いて男装し茶屋の女将と戯れ遊ぶ姿や、かぶき踊りを盛大に見せたと思われる「かぶき者」でした。
「傾(カブ)く」とは、奇抜な身なりをし常識を逸脱するような行動をすることを言います。
阿国が見物を魅了したのは、戦乱から平和な世の中に移行していく中で、新しい時代の夜明けを感じさせ、自由を謳歌出来る時代の到来を象徴していたからでしょう。
そうした時代の民衆の躍動やエネルギーを牽引する力が阿国の芸能にはあったのであろうと私は想像します。
ただ、その阿国の芸能から派生した「遊女歌舞伎」は近世の社会規範を確立していく上でとても都合の悪い伝統を有していました。
その伝統とは女系である「清和源氏」の在り方ともつながります。
日本における氏の長者は女性であり、乳母が母親代わりとなる風習が日本には深く根ざしていたのであろうと私は考えます。
この氏の長者は特定の男性と夫婦関係を持つことはなかったろうと思います。
時代を遡って見た場合、平安時代の初期には男性が妻の家を訪ねる「通い婚(妻問婚)」」が行われていました。
中期になると男性が妻の家に同居する「婿取り婚」となっていきます。
こうした結婚形態の変遷を考えたとき、もともと日本では「家」という共同体が女系で成り立っていた。そのため「通い婚」や「婿取り婚」こうした結婚形態になっていた―そうした仮説が成立つ傍証になるのではないかと私には思われるのです。
日本において一夫一婦制が制度として確立したのは明治も後半になってからであり歴史としては非常に浅いものです。
一方、一夫多妻を実際に成立させるためには夫が多数の女性を養える経済力が必要になるはずです。もしくは、一人の男性を中心に複数の女性が共同生活を営む関係性が構築されていなければなりません。
一夫多妻制のもとでは、誰しもが婚姻を結ぶことが出来る世の中ではなかったろうことが容易に想像出来ます。
平安時代にあって中央から地方に赴いた役人が地方に地盤を築くには地方の特定の勢力と結び付かなければならなかったでしょう。
地方の「家」の側からすれば、財力だけではなく社会的地位や中央と結び付く人脈にこそ魅力を感じたのではないでしょうか。
日本における一夫多妻という制度を考えたとき、実は反対に一婦多夫制の可能性さえ浮上することを見逃してはならないと私は考えます。
女性上位の風土のある日本において女性が自由を謳歌しすぎるのも、男性を中心とした武家社会を築いていこうとする為政者にとって都合の悪いことであったのは想像に難くありません。
やはり風紀というのは世の中を健全に運営していく上で大切なものであることは確かでしょう。
禁止された遊女歌舞伎の後に流行った「若衆歌舞伎」というものもすぐに禁止されてしまいます。
若衆歌舞伎を禁止しても前髪を剃り落とした「野郎歌舞伎」を認めたことを考えると、男色を禁止したというより、男装した遊女が若衆を騙ってイロを売り、中世的遊女の伝統が残ってしまうことを阻止したかったのではないか、と想像できるように思います。
もしくは女性の少年買いを阻止しようとしたとも考えられます。
見物が選んだ「女形」、女性が支える歌舞伎界
こうした前代の風習を断ち切り、規律ある近世的な世の中を実現していくために、歌舞伎芝居は男性のみで上演され続けることが要求されました。
ただ、今に残る歌舞伎を見ればそれが不幸であったとは決して言えないでしょう。
否、その「しばり」を逆手にとって後世に残る芝居を江戸時代を通じて成長させる創造力が芝居の周辺にはありました。
歌舞伎が伝統を受け継ぎ続けることが出来たのは、負の側面をくつがえそうとするだけの「使命」や「思い」というものを、芝居の側も見物の側も持っていたからに他なりません。
近代に入り「演劇改良運動」の名のもと、当然女優の存在が求められました。
ただ、歌舞伎という「旧劇」から新時代の演劇を指向した「新派」においてさえ「女形」は欠かせない存在でした。
素人芝居ではなく「興行」として成り立たせるためには役者にそれ相応の技術が求められます。
女優という存在を育ててこなかった日本において、その技術の寄る辺となったのが当初は「女方」であったことは間違いありません。
歌舞伎が「女優」を必要としないのは、女優が入り込む余地がないほど高度な技術と芸術性をすでに獲得していたからであり、しかもそれを「興行」として成り立たせ続けてきたからです。
歌舞伎自体が女優を欲しなかったのではなく、歌舞伎の見物が女優を欲しなかった、というのが正しいのだろうと思います。
もしくは、女方が女性に負けない技術にさらに磨きをかけ続けて来たからだと思います。
近代に入り歌舞伎のみならず「女」と付いたり「少女」という冠を付け女性を中心とした興行は非常にたくさんありました。
多くが時代の流れの中で淘汰されていくのですが‥。
そんな中でも日本では「宝塚歌劇」が今なお根強い人気を誇っています。
歌舞伎を「女性差別」だとおっしゃる方は、宝塚歌劇も「男性差別」だとおっしゃるのでしょうか。
また、歌舞伎の世界を支えている方々は男性ばかりではありません。
女性差別などしていたら歌舞伎界は一切成り立ちません。
舞踊で歌舞伎界を支えて下さっている当代の藤間勘祖さんは女性です。
現在「小川」家が歌舞伎界において一大勢力となっているのも、三代目中村時蔵丈の妻である小川ひなさんの存在が大きかったことは間違いないでしょう。
歌舞伎は舞台の上に上がる役者だけで成り立っているわけではありません。
「芸術性」という視点からすれば、女性目線は欠かせないものだと思います。
ただ、役割の分担というのは確かにあるのです。
歌舞伎を考えた場合、そこを見誤ってはならないと私は思います。
2025.11.28
