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巳 歌舞伎座 十二月大歌舞伎 第二部『丸橋忠弥』『芝浜革財布』

 丸橋忠弥 「慶安太平記」

 明治3年<1870>3月、東京守田座初演、河竹黙阿弥作『樟紀流花見幕張(クスノキリュウハナミノマクハリ)』の四幕目と六幕目の一部が、現在は「丸橋忠弥」として度々上演されます。
 通称「慶安太平記」

 『樟紀流花見幕張』と講談や実録本との先後関係、影響などは私にはよくわかりません。
 ただ、歌舞伎や人形浄瑠璃において由井正雪の乱(慶安の変)を部分的に暗示させている作品は相当早い時期(18C初頭)からあったようです。
 それをまとめていけば、いろいろわかることがあるのかもしれませんが‥

 この乱自体は幕府の中枢を乗っ取ろうとしたクーデターですから、江戸時代では幕府を憚って暗示させるに止まったとの見方も出来るでしょう。
 けれども、結局は権力掌握の野望を近しい人間による「密告」によって阻まれるということが暗示されるに過ぎない題材のように思えます。
 興味は示すけれど、もともとあまり魅力的なモチーフとは言えなかったのではないかと私には思えます。

 それが今に残っているのは、ひとえに堀端の場の芝居と大立回りの場の面白さに尽きるのだろうと思います。

 堀端で石を投げて堀の深さを確かめるところは、文久元年<1861>大坂中の芝居上演の『倣花雪菊水(ナゾラエテユキノキクスイ)』を参考にし、立回りは文久2年<1862>江戸守田座における宮本武蔵の大立廻りを参考にしたと言われています。

 なかなか人気の出なかった初代市川左團次につきっきりで黙阿弥が指導をし、その甲斐あって左團次の出世作となったと伝えられており、それが今に伝わる要因でしょう。

 ですから作品自体のモチーフより役者の芝居を楽しむことが主眼の作品なのだと思います。
 今回、補填もしていらっしゃるようですが、本作の「世界」を私自身きちんと把握できていないのでコメントは差し控えます。

 堀端の場は、心理描写に傾きがちな今の役者さんにとって、芝居の味わいとまではまだ言い難いものがやはりあります。今後に期待です。

 立回りは、忠弥の尾上松緑丈をはじめ皆さんの奮闘が光ります。
 松緑丈は立回りの前半の舞台の大きさが目をひく分、スピードより「間」をもう一段階グレードアップしたタテが見たいものだと見物としては欲をかいてしまうのですが‥

 後半は、皆さんスピードを前面に押し出したタテを生き生きと、そしてさらに磨きをかけようとしているのが伝わる技を、文字通り身体を張って披露して下さいます。
 その懸命に魅せてくださる姿に感動せずにはいられませんでした。

 後進の方が自分もなさりたいと名乗りを上げられる魅力が確かにある作品であることは確かでしょう。

 芝浜革財布

 寺島しのぶ女史、梶原善氏という歌舞伎以外の役者さんを交えながら、出演者の相談により演出家をおかない芝居作りという試みでしょうか。
 チームワークの光る芝居でよくまとまっていてとても面白く拝見しました。

 政五郎の中村獅童丈が女房役にしのぶ女史を何故選ぶのか、それがとてもよくわかる舞台でした。

 獅童丈にとってはとてもやりやすい相方なのであることが十分伝わりました。情の通ったいい夫婦の関係性が細やかに描き出されていると思います。
 また、しのぶ女史が歌舞伎座の舞台で男優に囲まれながら違和感なく存在できるだけの実力を獲得している舞台女優さんであることを実感させられました。

 私は基本的に女優さんが女方にとってかわることは、体力的にも、歌舞伎という演劇の本質からいっても、その様式性からいっても無理があり、また必要性を感じられない、という考えに変わりはありません。
 特に歌舞伎座のような広い舞台では尚更です。

 ただ、今回のようにとてもいい芝居になっている舞台を否定しようとも決して思いません。

 その一方で、この近世的な夫婦像を男女で演じることにより、自然な人間模様として描き出されてしまう分、この作品世界に違和感をもってしまう見物が却って多くなってしまうのではないか、と私には危惧されます。

 女方が演じても、ダメンズのためそこまで献身的に尽くす女性像を是とする芝居に拒否反応を示す女性は、当然今の時代ですからいるでしょう。

 ただ女方が演じることにより、例えば落語を気楽に聞くのと同じように、ある時代の人間模様、生き方、価値観、美学、人情といったものを舞台として客観的に楽しんだり、味わうことが出来る。
 それが歌舞伎という「古典芸能」の今に息づく可能性であると私は思うのです。

 現状の受容状況を鑑みた場合、それが同じ古典芸能であっても、能や狂言、人形浄瑠璃、日本舞踊等々と異なる点であると私は考えています。

 長屋での酒盛りの場面は本作の見せ場の一つですが、面白く出来上がっていたと思います。
 この場面での取組みは役者の工夫により世話物を体得していくという点でも、歌舞伎の今後にとってとてもいい試みであると私には思えます。

 今回、ともすれば流れがちになってしまう世話の台詞でありながら、市川中車丈と市川猿弥丈の台詞がよく聞き取れました。
 こうした小さく思える工夫が芝居作りには如何に大きいかを実感いたしました。

 また、尾上菊三呂丈の金貸おかねがとてもいい味を出していたのが印象的です。

                  2025.12.21

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