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13-3 小説【鏡の中の宝石(仮題)】

ニーナをピントス兄弟に拉致された後、アエスラは誘拐犯どもどう交渉するか考えながらガリーラ遺跡公園を歩いていたら公園の社に辿り着く。するとそこにあの生意気な女子高校生が来た!……と思ったら……


第十三章 避難、誘拐、娼館、舞い注ぐ霧雨

  3

 アエスラはまた小雨が降り始めた空の下を歩いていた。
 雨が弱まった隙をついて市が立ち、頭と腹が同じくらいつるつるの例の親父が、アエスラのせいで見込みより利益が減った分を、後でバレて《かあちゃん》にどやされないように、素晴らしく丁寧な態度で少ない通りすがりの人たちに声をかけ、全商品を三割増しの高値で売りつけようとしていた。

 昨日よりは若干人通りのある市の街路を歩きながら、アエスラはピントスとの取引について考えていた。そんなものが通じる相手ではないことは重々承知しているはずなのに、彼は少しでもこちらに有、になるような駆け引きが出来ないかと考えていたのだ。
 しごとの依頼書、脅迫状、挑戦状。
 どれで受けようか検討中だったのだ。

 もちろん奴らが所望している首飾りを早々に《納品》することなど何でもないことだが、当然のことながら問題はそんなところにはない。相手はピントスであり、何をどうしようがニーナは惨殺されるだろうし、もちろんアエスラもタダではすまない。
 このときなぜか彼は、ニーナを《盗む》という方法を考えつかなかった。
 彼の本業中の本業にも関わらず、どうしたわけか、空にかかる薄雲の一片ほども頭に思い浮かばなかった。

 ふと気付いたらガリーラ遺跡公園の鎮守の社にいた。
 ピントスに家族を奪われて呆然としていたニーナに再会した場所である。
 枝ぶりの立派な木はもちろん健在で、紙垂もそのまま、ニーナがいつでもお世話になれるように待ち構えているが、あいにくニーナのほうがそのような方法を用いなくても、いつでも死ねる境遇にあった。そして彼はあのあずま屋で穴にもぐりそうなほど落ち込んでいたニーナに湯気の立つイカ焼きを持っていったことが遠い昔のことのようだった。

 また強く降り出した雨に濡れたあずま屋の屋根辺りを見つめて、アエスラは唇をゆがめた。辺境の街で知り合い、一緒に一稼ぎしようと仲良くなった女が闇を貫いて飛来した矢に射られて、こわばった沈黙ともにこの世からあっという間にいなくなった夜を思い出したのだ。
 明るく温かい声音と躍動で自分を包んでくれた女が、いきなり黒い渦に吸い込まれるように消滅し、突然自分の世界が空虚に凍った夜。

 ……しょうがねえヤツだ、と彼はつぶやいた。
 夕方だったが雨雲が黒く垂れ込め、空が重くなった。
 遠くで風が鳴るような音が響いた。
 彼はその音から逃れるようにあずま屋に入り、ベンチに腰掛けた。
 平日の雨の宵の口で、社にはもちろん、公園内にも人の行き来はほとんどなかった。

 雨の公園は、公園と知らなければただの荒野で、知っていても、心の中にまで直接吹き込んでくるような風のせいで、荒涼たる気持ちになってしまう。それほど広い公園だったのだが、しかし、盗賊は、そんな薄闇の風の中で雪の一片を見つけたように、立ち上がった。
「ん? あの時の女生徒じゃないか。こんなところで何やってるんだ?」アエスラはまるで微かに揺れる水面に映った月に向かって言うように、曖昧な口調で尋ねた。社に入ってきた少女は彼の前で立ち止まり、険しい目で彼を真っすぐ見つめた。

「あなたも間違うんですね。アエスラのくせに」少女は謎かけのように尋ねた。
「へ?」アエスラは、知己の女生徒が恐ろしくとげとげしい口調で応え、射貫くような目つきで対峙する様にびっくりしてしまい、しげしげと少女を眺め回した。そして、見知らぬ異郷の甘酸っぱい果実の香りを嗅いだように、そして、仄かに陶然としたように「ああ、あの絵のモデルか。はあん、なるほどな」とつぶやいた。

「絵?」リーミアはふとこの世界に焦点が合ったように、声に張りを作った。
「ああ。とある学生の部屋で絵を見た。あれはお前だ。あの女生徒じゃねえ。あの女生徒とは似ても似つかん。表情も、雰囲気も、目の色と力と、その、何と言うんかね、その違いは、こんな夕刻のこんな気持ちでないと気付かんかも知れんな」アエスラは刺すような視線で、自分の片目を見つめる少女をじッと見据えた。「ああ、その異常なまでの静寂さえもあの絵に描かれてたぞ。あの絵のモデルは、いま夜そのものを背負って立っているお前に違いない」

「ああ、その子には昼前に会いましたよ。軍隊の葬儀で」
「へ?」
「軍隊の葬儀? 何でお前がそんなところに?」
「《送りの儀式》で《送り手》を頼まれたので」
「何だって?」
「あの子も出席してた。絵を持ってるから返してくれるそうです」

「その場に居合わせたかったものだな」アエスラは唇の端で笑った。「お前はピアノを弾くんだな? それも軍隊の儀式で弾くことが出来るほどの腕前なんだな。音楽院か専科学校の生徒なのか?……いや、そんなはずはねえな。お前が一般人なわけがない」
「どうしてそう思いますか?」
「さっき言っただろ? あの絵のモデルが異常なまでの静寂さえまとっていて、夜そのものを背負って立っているお前だとしたら、お前が一般人なはずがない」

「興味があるんですか?」
「そんなことに興味がない人間がいると思うのか?」
「そんなものですか」
 リーミアはくしゃみをした。
 その時、胸元から小さな透明な首飾りがぽろりと服の上に跳び出した。
「その首飾りは……」アエスラは彼女の首の付け根あたりで揺れる宝石を見て言った。

「え?」リーミアは軽く指先を石を触れながら、彼の言葉を待った。
「これとそっくりだな。ほれ」アエスラはポケットからプリフール商店のミニア研究室から盗み取った首飾りを出して彼女に見せた。「瓜二つじゃないか、その首飾りと。どうしてお前が持っているんだ? それはこの世にまたとない《知恵の実》に通ずる宝石だと言われているらしい」

「誰ですか、そんなたいそうなことを言っているのは?」
「とある学者先生さ、もうジジイだがな」
「ヌーラというおじいさん?」
「よく知ってるじゃねえか。それを探して世界中ほっつき歩いていたらしい。いい歳してよくやるぜ! 今でも探し回ってるらしいがな」アエスラは肩をすくめた。「で、それと同じものをお前のそっくりさんが持っている。持っていた、だな、今は」
「どうせあなたが盗んだのでしょう?」

「正確に言うとその子が預けていた先からだな。その子が鑑定に出した先が手に負えないからと別の鑑定士に依頼したんだろう。そこから失敬したのさ」
「同じことです」
「まあな。ところで何でお前がそれを持ってる?」

「前にいたところを逃げ出す時に持ってきたのです」
「前にいたところだって? そんなすごいものがあるところってどこなんだ?」
「ヴァイダルです」彼女は答えた。
「ヴァイダル?」アエスラは眉をひそめた。「ヴァイダルだって?」
「そんなに驚くことですか?」
「そんなに驚くことさ」アエスラは溜息のように答えた。
「八年くらいいましたよ。もうわたしの人生ですね」
「何だと?……」

 あそこにいたこと自体に驚くというより(いや充分驚きなのだが)、あそこで生き延びて今この〝シャバ〟にいることに驚いたのだ。その彼女が、あそこに八年いたと言うに及んで驚愕というより賛嘆に近い気持ちを抱いた。
 目の前の可憐に見える美少女があの悪魔の巣にいて八年間も生き延びたということは、その間にこの娘はあそこであらゆる《ヴァイダルの技》をそれなりの水準で仕込まれたということだ。

 そうでないと能無し、役立たずということで〝排除〟されただろう。この年頃で八年ということは、十代にかかる前のほとんどの年月を大人でも耐えられない苛烈な中で過ごしてきたことになる。
 少女は雨のせいで頬にはりついた髪の毛の先端を、唇の端から指でゆっくり払いのけた。
「あなたの言う絵も、この首飾りも、あそこから手に入れたものです。絵は取り上げられたものが、どういう運命を辿ってか、この街にやってきたのでしょう。じゃあ、さようなら」彼女は、日常の時間が音もなく誰にも気付かれることなく人々の合間を流れて行くように、彼の横を通り過ぎようとした。

「あの絵は」アエスラはそんな少女にはかない気持ちを抱きながら尋ねる。ここで別れたら二度と彼女に会えないばかりか、夜の霧のように、記憶からも消えてしまいそうだったのだ。少女は身体を半分だけひねって、アエスラの片目をひたと見据えた。「あの絵は誰が描いたんだ? いつどこで誰が?」
 彼はあの日ミース寮に忍び込んであの絵を見た時、非常に心を揺さぶられた。
 あれは素晴らしい才能と技術が生んだ描いた絵だ。
 一人の人間の存在のための設計図みたいなもので、それを空間の〝板〟から削り出し彫り出し整えて存在そのものを創り出す図表のように思えたのだ。あれがあるからいま目の前にいるこの少女が存在するのであり、創造の神が自分の天賦を駆使してこの肖像画の設計図を使いこなすのである。
 リーミアの目は相変わらず射貫くような厳しさだ。

 心の中の非常に大切なものに不用意に近付かれた気がしたのだ。
「三年ほど前、あのヴァイダルの砦の中でです。誰が描いたかですって? スパイが描いてくれたのですよ」ゆっくりと息を吐きながらリーミアは答えた。「しごとの合間にわたしの絵を描いてくれたのです。描き上げたものをわたしにくれた後、しばらくしてわたしたちの《家》は潰されました。それと同時にその人は他の人たちと一緒にいなくなりました」

「三年前ってこたぁ《南方の閃光作戦》か。スパイが絵描きとはねえ。軍人なんぞにしとくのはもったいねえな……」もともと絵の才能があった男が厳しい訓練の末に、その才能を一気に花開かせた、ということか。あの連中の訓練メニューには似顔絵描きもあるのである。「しかし、ヴァイダルが全滅した後、逃れたのはピントス三兄弟だけだと思っていたが」

「わたしが残ってますよ」
「ガキの頃に誘拐されてそこにいざる得なかったんだろう?」
「よくわかりますね」白い少女は身体を完全にこちらに向けた。
「あの連中が全盛の頃はあちこちで村が焼き打ちにあって子供たちが誘拐されていた。半分は殺されて見つかったが、もう半分は連れ去られた。誘拐された子供が奴らに育てられて、自分の村を襲って両親を殺したという話だってあるくらいだからな……よほど優秀な教育システムがあるんだろうよ」
「その通りです。たいていの子は一年くらいで人を殺すことを覚えます。同じ孤児院からさらわれて来た子たちもそうなりましたよ。わたしも含めてね」

 アエスラは、少女が淡々と言うのを聞いていた。
 彼女の話は不幸ではあったが、特段不幸というわけではない。
 ありふれているとは言わないが、この《業界》では珍しいことではない。
 しかし、目の前の何となく靄がかかっているような白い服を着た少女の口からそのことを聞くのはつらかった。彼女の飄々たる物言いも荒野の乾いた風のようで、胸を空しく叩くのである。

 雨足が更に強まった。
「ところで、そのピントスが首都にいるんだが、もちろん知っているよな?」
「あんな汚水溜めに何か用事があるのですか?」
「弟子がその《汚水溜め》に誘拐されたんだ。返して欲しければこの首飾りを持って来いとさ。あいつら、これを狙ってるんだろう、どうせ。たいそうな資産になるからな」

「じゃあこれもあげますから、渡してその弟子を取り戻したらいいですよ。二つあれば恐れ入ってのしを付けて解放くれますよ、きっと」リーミアは再び胸元を開けて、首飾りを取り出そうとした。アエスラは止めた。
「皮肉にもなってねえな。お前さんのほうが奴らのやり口を知ってるだろうがよ」
「あなた、アエスラさんなのでしょう? その弟子を盗めばよくありませんか? あなたが一番盗りたいものを盗れずに世界最高の盗賊だなんて、よくも言えたものですね」

 アエスラはしばらく考えて、我に返ったように、ふうッと息を吐いた。
 またあの砂の町の夜に突然現れた巨大な虚無を口の中に感じた。
「その通りだ」彼は唇を歪めて微笑んだ。
「ところでアエスラさんって孤高の盗賊だと聞いていますが、弟子を取るんですか?」
「え? ああ……まあ浮世の義理というものがあるからな」

「そのために頭の回転が遅くなっているように思います。なまくらになりましたか?」
 確かにそうだ。
 あの連中相手に交渉しようとしていたなんて馬鹿げ過ぎている。
「あそこ《ヴァイダル》の生き残りは手厳しいな……」アエスラは苦笑した。
「わたしの連れの人があの連中の近くにいると思います」
「お前さんこそ孤高が似合うんだがな……で、その連れの人は何をしておいでなんだ、あの《汚水溜め》の近くで?」

「暗殺の下見、いえ、タレコミの情報収集かな? 善良な一般市民の通報者を目指すそうです。昨日の夕方から出掛けてあちこち歩き回っているみたいですよ」
「あの男は捜し物のプロだからな。それでお前は?」
「《送りの儀式》を済ませた後に帰ったんですけど暇なのでこうして散歩しています」
「こんな天気の日にか?」
「雨だっていい天気ですよ」
「それもそうだな」
「その人を見かけたら早くしごとを済ませて帰ってきてと伝えてくださいますか?」
「会えたらな。ところでその連れって何者なんだ?」
「そのスパイですよ。わたしの絵を描いてくれたスパイです」

 アエスラは頭が混乱しかけていた。
 今ヴァイダル内で絵を描いたスパイと一緒にいるだと? 山賊を壊滅させた立役者の中の立役者と、その山賊の生き残りがどこで出会い、どのように年月を過ごしたのか。興味津々どころか神秘的な恐怖さえ感じるのだった。
「今この街では何がどうなってるんだ?……」アエスラはつぶやいた。
「成功を祈ります」
「ありがとよ」
 アエスラは手を振っただけで答えると、リーミアは立ち去った。
 アエスラは、すぐに見えなくなった後ろ姿を追いながら不思議に思った。
 現れる時は少しばかり離れていても近付いて来るのがわかったのに、消える時はあッという間だったのだ。


13-3 了 

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

次回は8月21日(金)19:00にアップいたいします。
引き続きよしなに願います!

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