言語学の敗北 【詩】
横暴な言葉たちを
調教せねばなるまい
狼藉をコイテイタ連中も
(もはやこれまでか)
センジュナマコたちが
うごめきつづける
「チョムスキーの敗北が
決定的となりつつありますね」
そ の と き
流れ星がひと筋 すーっと
ドクターたちの亡骸が
ただよっておりますね 星空
南無阿弥陀 南無阿弥陀
解説(あるいは遅れて到着しなかった理論)
本詩における「敗北」とは、特定の理論の誤りを指摘するものではない。むしろ、言語を統御可能な対象として前提する態度そのものの限界が露呈した場面である。
ノーム・チョムスキー に代表される生成文法は、言語を規則体系として記述しうるという信念に基づいていた。この立場においては、言語は本来、秩序だった構造として存在し、それを記述する理論は、その潜在的秩序を顕在化させる営みであった。
しかしながら、本詩の冒頭に現れる「横暴な言葉たち」は、すでにその前提を逸脱している。言葉は調教される対象ではなく、むしろ調教の試みを撹乱する側にある。
ここで、「センジュナマコ」という語が導入される。
この語は意味を持たない。
しかし、読者はそれを何かとして受け取る。
そのとき、何が起きているのか。
言語理解とは、規則の適用ではなく、
文脈に基づく推測の連鎖であると――
センジュナマコが うごめきつづける
(ここで理論は一度中断される)
近年のAIによる言語生成は、この推測の過程を統計的に再現するものであり、明示的な文法規則を前提としない。それにもかかわらず、自然言語は生成される。
したがって、「チョムスキーの敗北」とは、理論の消滅ではなく、その特権的地位の――
ただよっておりますね 星空
理論は、説明しようとした対象の中に沈んでいく。
あるいは最初から、その中にしか存在しなかったのかもしれない。
センジュナマコは
まだ説明されていない
にもかかわらず
すでに説明されてしまっている
南無阿弥陀 南無阿弥陀
(以上で解説は終了するはずであったが、終了していない)
