Pしんぶん その21

昨日も銀座に行きました
何があってもなくても、目的があろうがなかろうが、銀座に足が向いてしまう。数寄屋橋公園の若い時計台が引っ込んでも、四丁目交差点のランドマーク、日産ギャラリーが建て直され、三愛ビルが消滅しても、銀座最古のデパート松坂屋が銀座シックスになっても、歌舞伎座が高層ビルの一部になっても、そういや数寄屋橋交差点なんか、丸ごと世代交代してたけど、気が付くと用もないのに有楽町駅を降りて銀座に向かう自分に呆れたりすることが少なくない。
元東急プラザ、元々数寄屋橋阪急、確かマツダビルっていうんだっけ?デパート部分に行った記憶は殆ど無く、リッカー美術館に通って浮世絵を見るか、隣のビルの旭屋書店に行くか以外の記憶がないけど、その先や裏には、子供時代はおろか、若い頃も余り近寄ったことがなかった。
多分月光荘や泰明庵に行くようになって、銀座通りとは違う古めな建物が肩を寄せ合うエリアだと知った。映画いに出てきそうな傾きそうな雑居ビルや、趣き深いタイル貼りビルが中小の道を囲う世界が面白くて、大通りよりも銀の輔が似合うなと歩き回った。飲食店続くコリドー街にある郵便局、その裏のタクシー会社に至る細い渓谷の如き急坂、グラブ街御用達の花屋等々、探検し甲斐のあるエリアだった。
だからって天下の銀座通りがピカイチなのは変わりなく、トジェニックな和光と小振りでもモダンなコアのウィンドアートの確認は外せないし、伊東屋の外観、三愛のマスコット、コイコリン、工事中もパネル展示を忘れない三越のライオンと、パトロール物件が尽きない王道だった。

芝居と映画と月光荘

初めて歌舞伎を見たのは小学六年、十二代目海老蔵の襲名披露興行。先代海老様の追っ掛けだった母親に連れられての観劇。中学辺りから一人で通うようになったので、銀座歩きはここいらが正式スタートだと思う。と言っても幕間に食べるパンをキムラヤで買うのがせいぜい。
大学生になると新橋演舞場にも行くようになり、歌舞伎座より小さいけど濃密感ある雰囲気が好きになった。忠臣蔵昼夜通しの時、「夜も見たいならいていいよ」と掃除のオバチャンに言われて、居続けもした。時折停まってる人力車が、両小屋掛け持ちの役者用と聞いて、江戸時代みたいってぼんやり眺めてたのもその頃だ。

学生時代にやってたバンドの友人にウステンノートを見せられた時の感動は、忘れられない。そこから銀座パトロールに月光荘が加わった。泰明小学校前の路地の入口、モダンな鰻の寝床的建物、真ん中辺りにいつもお爺さんが座ってて、訪問するたびに「8Bの鉛筆はいかがですか?」と勧められるのだ。
絵も描かないのにウステンノートを買い続け、日記帳代わりにずっと使ってた。ライター時代は取材メモにも利用した。お爺さんの昔話もよく伺った。バブルで店舗を明渡し、それから流浪の転居を繰り返し、その都度僕も追い掛けて、品出しや店番をしたこともあった。手伝いの新井さんとよく歌舞伎や展覧会の話もしたなぁ。

永井荷風にかぶれた時に並木座を知ったんだと思う。三州屋近くのビルの地下で豊田四郎の濹東綺譚が掛かるたびに、しつこく見に行ったんだ。川島雄三の多くの作品もここで見た。幕末太陽傳を最初に見たのも並木座で、フランキー堺のスラップスティックな演技もさることながら、冒頭の八ツ山の風景に惚れて、旧東海道品川宿界隈を何度も歩いた。
歌舞伎座に行く途中で見かけるシネパトスの看板は大抵スティーブン・セガールの沈黙シリーズで、なかなか階段を降りる機会がなかったけど、大魔神やガッパやガメラを盛んに上映するようになって、あの下水臭い地下街に通い出した。足元から地下鉄、頭上に晴海通りの振動と音を感じる予想外の臨場感を味わいながら、元ニュース映画館の黄昏時をマイナー映画と共に過ごした。
昼も夜も雨の日も

クリスマスが近づくと、よく銀座に出掛けた。まだそこら中でイルミネーションなんかやってない頃、ここにくれば華やかでムード満点なクリスマス気分が味わえた。他の盛り場でも派手な飾り付けをしてたかも知れないけど、僕は銀座のクリスマスが見たかった、子供の頃から。まぁ和光と3つのデパートのウインド見たら気が済む、お手軽なマニアだけど。
早朝の人気のない風景も癖になる。通勤の人たちもまだいないし、搬入トラックも来てない。あれはなんだったのか、妙にカラスが多い時代があったっけ。雀も鳩もいないけど、カラスだけは喧しかった記憶がある。そういや野良猫も少なかったなぁ。でかい鼠は見かけたけど。

雪が降ったら、仕事を放り出して、銀の輔と一緒に銀座に行ってた。なるべく朝早くね。銀座通りは除雪作業が早いんで、あっという間にきれいになるから、その前に行かないと雪景色が撮れない。最初の頃は銀座通りだけで満足してたけど、段々脇道に逸れるようになって、雪の銀座のバリエーションは格段に広がっていった。
見慣れてるはずの街並みの全く違う顔が現れるのが楽しかった。歌舞伎座も幻想的だったけど、三原小路の雪模様は別格だ。あの石畳の細道に雪が積もると、時代感覚が完全に麻痺する。平成なのか昭和なのか、もっと前なのか…。そんな風景にまた出会えるだろうか?

夜の銀座を撮るには三脚が必要だったので、銀の輔の出番はあまりなかった。
今ならスマホで簡単に撮れるけど、撮影知識ゼロなんで、露出やシャッタースピードを駆使して撮ることも出来ず、結局は三脚の出番になる。バブル崩壊後のせいか、週末も平日も夜はガランとしてて、それがまた良かった。クラブひしめく七丁目界隈で人気が無い、客待ちタクシーもいない、ありえない夜の銀座だった。
結局朝昼晩いつでもいいんだ。晴れても雨でも雪でもいい、この街にくれば、必ずいつもと違う風景に出会えるからね。
銀座は銀の輔

銀の輔は銀座生まれ。とある店のディスプレイ用品を払い下げて貰い、数年はコレクションとして家に居ました。うちに出入りの建具屋しげちゃんからレオタックスという、遠目にはライカに見えるカメラを貰ってから、僕の路上ペンギン写真が始まったって訳です。それが三十数年前。
フィルム充填が難しいレオタックスは諦め、普通の一眼レフやコンパクトカメラで撮り歩くうちにカメラはデジタルになり、東京は激変し、銀の輔もお化粧直しやオーバーホールを繰り返し、ふたりでお邪魔した頃の風景の多くが写真と思い出だけのものになりました。
新生ソニービルで銀座とソニーの歴史展をやってましてね、この街に最初に出来たデパートは松坂屋だったんだとか、ホコ天は上野まで続いてたなとか思い出した時、唐突に銀座特集を拵えたくなったって寸法です。写真はフィルムカメラ時代に撮りためた数百本のネガから見繕ったものです。
松坂屋の地下の万惣のフルーツポンチが好きだったなぁ、二丁目辺りにあったタイガー食堂によく行ったっけ、日本人離れしたご主人が作るフライが美味しかった、月光荘のお爺さんが亡くなった時、好物だった薄皮饅頭を頂いたな、歌舞伎座三階のカレーコーナーで開演前にコーヒー頼むと森永ビスケットが付いてたこと、テアトル東京でスターウォーズ第一作を初日に見たこと等々、順不同に浮かぶ思い出が、書いてても湧いてきます。
十年ほど前から、銀の輔と銀座を撮る時は、子供の頃に使ってたみたいなハーフサイズカメラを持ち歩くようになりました。もしかしたらフィルムカメラ全盛期の銀座に会えるかも?と途方もない妄想を抱きつつ、今日も銀座へ行かなくちゃ!

編集後記の・ようなもの
前号の江東区特集に味をしめての銀座特集です。間隔空き過ぎたので、次はもうちょい早めに出せるよう努めます!
毎度お馴染み、山手線各駅の歌を作って歌うウクレレブラザースと、上方噺家・桂しん吉さんのバンドとジョイントライブしますんで、よろしくね~。

大感謝配布協力店
池之端・古書ほうろう、雑司が谷・旅猫雑貨店、法善寺横丁・洋酒の店 路、目黒・ふげん社、浅草・珈琲アロマ、神宮前・シーモアグラス、大塚・山下書店、深川・エンミチ文庫、浅草橋・かみふく書房、西早稲田・古書現世
