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二人の信仰者の方に学ぶYouTube「ノアの洪水」について

※この記事は異なる立場の人々を否定するものではなく、信仰の多様性を学ぶための整理でもあります。信教・思想・良心の自由を尊重します。

はじめに

今回取り上げるのは、あるYouTube動画を視聴して得た学びです。動画の内容を整理しつつ、そこから感じた点を自分なりにまとめてみたいと思います。ここで記すことは、あくまで動画を通して受け取った一つの視点であり、出演者のお二人の活動全体を全面的に同意するものではありません。しかし、多くのことを学ばせて頂いております。参考にさせて頂きます。


YouTube動画について

動画タイトル:【神話か史実か?】聖書に書いてあるノアの大洪水の真実
チャンネル:ともみん牧仕の会いに行く教会
動画出演者:ともみん(石川ともみ)さん、矢嵜風花さん
動画公開日:2025年9月18日


動画出演者であるお二人について

ともみん(石川ともみ)さん

動画概要欄の内容を抜粋させて頂きます。

牧師 / 会いに行くキリスト教会の牧仕
東北大学理学部卒業後、牧師になるために神学大学院へ進学。一般の教会の牧師を辞め、会いに行くキリスト教会を始める。作家。建物の教会堂を持たず、日本中どこにでも誰にでも無料で会いに行く活動をしている。年間500人以上の人に会いに行き続け、会いに行った延べ人数が3000人を超える。


矢嵜風花さん

概要欄にプロフィールは書かれてありませんでした。
クリスチャンであり、ゴスペルシンガーとして活動されているそうです。


動画内容の要約

この動画では「ノアの洪水は本当にあったのか」というテーマが語られていました。出演者のお二人は、聖書に記された出来事を事実として信じていると率直に述べています。その一方で、「創世記は神話である」とする立場のクリスチャンも存在することに触れていました。しかし、そのような立場の人に直接会ったことはなく、あくまでネット上などで意見を見かけた程度にとどまるという話も語られていました。

この点については、聖書の読み方や信じ方が異なると、信じ方の違いによって教会生活に隔たりが生まれるのではないかという点も取り上げられました。牧師が「創世記を信じない」と宣言する教会には入りにくいとし、結果的に立場ごとに“住み分け”が行われているのではないかと推測していました。

また、洪水の事実性をめぐっては、山地での海生化石など科学的に議論される余地があるとしつつも、「証拠があるから信じるのではなく、信仰によって受け入れる」という立場が強調されました。それは、聖書自体が「見えないものを信じること」を信仰と定義しているからであると語られていました。

さらに、ノアの洪水は終末論とのつながりでも語られていました。過去に「水による滅び」があったと信じるなら、未来に記された「世界の終わり」も同じく現実として受け止めるべきではないかという視点です。方舟に入ったわずか八人の物語は、「信じる者だけが救われる」という象徴として解釈されていました。

最後に二人は「信仰を持つ前には分からなかったことも、信じてから聖書が理解できるようになる」と語り、子どものようにシンプルに信じることの大切さを強調していました。


筆者による考察

今回取り上げさせて頂いた動画は、9月18日に公開されたばかりのもので、大変参考になる内容でした。旧約聖書には確かにノアと洪水の話が記されていますが、出演されたお二人は、聖書を中心とする信仰を持ち、その出来事を実際にあったものとして率直に信じている姿が印象的でした。

ノアの洪水を事実として信じるクリスチャンは少なくありません。一方で、自然科学の知見を踏まえ、歴史的事実としては捉えず、神話的・象徴的に読む立場の人もいます。神学的に見ると、この違いは「聖書の無誤性」をどう理解するかに関わります。聖書のすべてを誤りのない歴史的記録であるともみなす立場がある一方、文学的形式を考慮しながら、特定の文書を象徴的に読むことで信仰を保つ立場もあると考えられます。

動画では「ノアの洪水を事実ではないと語るクリスチャンに直接会ったことがない」という発言もありました。ただ実際には、そう考えていてもお互いの信仰や気持ちを尊重し、あえて明言しない人もいるのではないでしょうか。牧師であっても、信徒の多様な信仰を踏まえて断定を避けることがあるかもしれません。

今回の出演者のお二人は、聖書全体を歴史的にも誤りないと信じる立場に近いと考えられます。ある面において、その姿勢は潔く一貫しており、信仰の力強さを感じさせます。私自身もこの立場の信仰者が著した本を持っており、その誠実さに敬意を覚えています。

ただ、私自身は信仰の核心をキリストの贖罪と復活、そして使徒信条等に示される基本的信仰に見ています。そのため、聖書全体を歴史的に無誤とみなすことは必須条件ではないと考えています。むしろ、科学的知見と照らすと文字通りには受け取りにくい箇所もあるのではないかとも感じています。

もちろん、キリストの神性は揺らぐべきでなく、信仰と科学が正面から衝突することも望ましくないと思います。両者が補い合いながら理解を深める姿勢こそ、現代にふさわしい在り方ではないかとも考えています。

ノアの洪水をどう理解するかは、過去の出来事をどう見るかという問題を超え、聖書の読み方、信仰と科学の調和という大きなテーマにつながっているのだと改めて感じます。


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