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【この空を、わたしは選んだ】という話 『1票のラブレター』(2001/イラン、イタリア) 


むかし観た映画を、時を経てからもう一度観る。

それは、「あの頃の自分」に会いに行くようなもので、風の匂いや光の色までが、当時のまま鮮やかによみがえり、不思議な懐かしさに満ちていきます。


今日は、『1票のラブレター』という、イラン・イタリア制作映画を久しぶりに再見しました。

静かなユーモアに包まれた、美しい作品なんですよ。



30代のころ。
私は、日に5回「アザーン(اذان)」の声に包まれる町に住んでいました。

”アザーン”というのは、イスラム教の礼拝時間を知らせる、モスクからの呼びかけのことです。深く、響くような旋律で、私はどこか仏教のお経に似ているなぁと感じていました。

私は広い意味では「仏教徒」ですが、宗教心なんて日常で感じることのない、どちらかといえば「無宗教」の人間。むしろ、自分では「無神論者」だと思っています。それでも、この土地のモスクで聴いたアザーンには、なぜだか心落ち着くものを感じていました。


それ以前の私はというと──
イタリアで伊語を勉強していました。

この理由もまた、なかなかスゴかったのですが、思い立ったら絶対に行動せずにはいられない私は、仕事をしながら独学で猛勉強(半年間)→ イタリア語学校とプライベートレッスン(半年間)を経て、そのままさっさとイタリアへ行ってしまったのでした。

で、肩やらオヘソやら出しても全然気にしない生活から、なぜかこれも運命だったのか、今度は、肌も髪も隠す装いが一般的な、保守的なイスラム文化圏へ。

この行動力と適応力は「無謀」と言うのかな。
「若さ」だったのかな。

いや、
今でもやっちゃうかな。




地平線の向こうまで、オリーブ畑が広がる国。
そこで私は、地元の人たちと同じように暮らしていました。

朝は、新鮮な卵や野菜、ヨーグルトを使った料理をして。近所に住む子どもたちが、焼きたてふかふかのゴマパンをパン屋さんまで買いに行ってくれて。いつもいつも、淹れたての熱い紅茶を飲んで。

時々、近くのモスクでアラビア語の「クルアーン(القرآن  イスラム教の聖典)」を教えてもらって──そのあとには、甘〜いお菓子をちゃっかりご馳走になったりもして。

断食(ラマダン)にも挑戦しました。
日が暮れてから断食が解けるラマダン中の夕食(イフタール)は、まるで毎晩がお祝いみたいで、家族みんなで囲むご馳走が何よりの楽しみでした。




私が住んでいたのは、都会から離れた地方。

そこでは、大人の女性たちの多くが、髪をヒジャブ(スカーフ)で覆っていました。中には、真っ黒な布で目だけを出すニカーブ姿の人も時々見かけましたが、ほとんどはカラフルなスカーフ姿でした。

もちろん私も、ずっとスカーフ着用。

“ヒジャブ”って、素材や柄はもちろん、巻き方や留め方、覆い方にもさまざまなバリエーションがあるんです。都会では「今年はオレンジ系が流行るらしいわよ~」なんて女性同士で情報交換もしていました。いわゆる“流行”ってやつですね。

だから、男性陣が家を空けた時などは、皆でスカーフを外して大ファッション大会!

普段は絶対に見せないけれど、スカーフの下には、とびきりの髪飾りや、素敵に整えられたブロンドヘアが隠れていたりして。見えないおしゃれは、家庭の中でだけ見せる美しさ──そんな在り方も、彼女たちの美意識なんだと思いました。


確かに、宗教や伝統の名のもとに、女性の服装や教育の機会が制限されている地域が存在するのも事実です(それがすべてではありませんが)。

けれど、少なくとも私が暮らしていた地域の女性たちは、「私たちはムスリマである!」という堂々たる誇りと確固たるライフスタイルを持っていました。

迷いのない、強い人生。それでいて、したたかで──実は「カカァ天下」だったりもする。一見、夫を立てているように見えて、実は家庭を回しているのは完全に母ちゃんたち。

強いなあ、女の人って。




忘れられない出会いもありました。

ある観光地のモスクに行ったときのこと。

礼拝前に手や足を洗って清める「ウドゥ(الوضوء)」の洗い場で、人を待っていた私にかなりご年配の女性が声をかけてきました。これは本当によくあることだったのですが、私はどこに行っても「あなた中国人? 日本人?」と話しかけられることが多かったんです。

その時も、「日本から来たこと」「イスラム教やクルアーンについて少し教えてもらっていること」をお話ししました。そして、「でも私はイスラム教徒ではないんです」とも伝えました。ちょっと申し訳ないような気持ちで。

すると、その女性は、とても穏やかな表情でこう言ったんです。

「あなたは優しい子なのね」
(私、30過ぎてました……)

「あなたが日本人でも仏教徒でも、私たちは何も変わらないのよ。きっと神様もあなたを見ていて、守ってくださいますよ」


……私は、言葉に詰まりました。

すごい衝撃だったんです。
たぶん、親鸞聖人に「悪人正機説」を説かれて回心した盗人とか、銀の食器を盗んで逃げたジャン・バルジャンが許された時、みたいな──そんな気持ち。

オ、オレも救っていただけますのかー!という。

いや、正直なところ私は神さまに救っていただかなくても結構なのですが。でも、まだ若かった私にとって、「宗教」という、時に排他的・攻撃的に語られるものが、一方では個人の心のあり方によっては、こんなにも深い包容力を持ちうるのだということが…どこか”ショック”だったのです。


私は、彼らと同じ生き方はできません。
何しろ「ダーウィンの進化論」を当たり前に学んで育った人間ですので、”神さまが土から人間を作ったんだ”と今さら言われても、戸惑ってしまうのが正直な気持ちなのです。

が、それでも。
彼らの「信じている」という尊い姿を見るたび、何か心の中にある純粋な部分を揺さぶられるような思いがしたものでした。




空がね。
青い空が。
見えている世界の、ほとんどが空だったんです。

風に吹きつけられて、遥か高く、真っ白な雲を浮かべる広大な空の下で、私は毎日思っていました。「地球って、空ばっかりだったんだなぁ」と。こんなに広い場所、今まで知らなかった。見たこともなかった。見えていなかったんだ、と。

その日。
ひとり、丘の上に立っていた私は、たくさんの羊の群れが点のように無数に散らばっているのを見ていました。乾いた草の匂いを乗せた風が、ずっと、ずっと遠くから心地よく吹いてきて、私はスカーフを外し、その風の中に、ただ身を任せていました。

自由になった髪が好きなように風にそよいでいて、それがとても気持ちよかった。

どこまでも、どこまでも続く青い空を眺めながら、「私は、これからどこへ向かっていくんだろう」──そんなことを、ぼんやりと思っていました。



かつて暮らしていたその町は、ISとの戦闘地域になってしまい、以降、訪れることはありませんでした。あの空の下に立つことも、二度とないでしょう。けれど、その町で過ごした日々が映画の中の風景と重なって見えることが、時々あるのです。



『1票のラブレター』は、イスラムの伝統的な島を舞台に、民主主義の実現のため健気に投票を促す選挙管理委員の女の子と、そのお供をすることになった、ちょっと呑気な警備兵との一日を、シュールでユーモラスに綴ったイラン映画です。

選挙管理委員の彼女が、警備兵の彼とジープに乗って口喧嘩をしたり、それでも一緒に手を洗ってゴハンを食べたり。途中、コンパクトミラーを出して身だしなみを整えたり──そんなささやかな仕草のひとつひとつが、とても愛おしく描かれています。

人が人を想う気持ち。
その営みは、どこの国でも変わらないのだということ。


確かに【中東映画】という枠で見れば、遠い国の話なのかもしれません。

宗教や伝統が強く根づく土地で、西洋的な民主主義が直面する難しさ。あるいは、政治制度と信仰のあいだで揺れる現実。そんな複雑なテーマも、この映画には込められているのでしょう。

けれど、私の胸に真っ直ぐに飛び込んできたのは、もっと別のものでした。


砂漠の真ん中で、彼女が風に吹かれるシーン。

その一瞬が、私の中にあった風景を照らすようによみがえらせたのです。


空の広さ。
乾いた空気。
人々のまなざし。
静かな祈りの時間。

ふいに込み上げてくる、名前のつけられないような懐かしさと、痛み。


それは、あの頃の空の匂いや、風の手ざわりによく似ている気がしました。


忘れていた風景。
けれど、確かに私の中に残っているもの。
もう戻れない、二度と見ることのない景色。




もし、これが映画や小説のラストだったなら、

「あの広い空を、またいつか、見ることはあるのでしょうか。」

なーんて、美しい言葉でしめるのかもしれません。


でも、これは、私の物語。

私は今、
電線が五線譜のように横切り、電柱とビルと家々のあいだから、ようやく顔をのぞかせる、小さな空の下で暮らしています。


小さくても、風が吹き、季節がめぐる。
もうすぐ夏の雲を連れてくる。
なんて、なんて愛おしい空。

この空を、私は選んだ。


あの日の空はね、
今までずーーーーーっと
ここに繋がってきたと思うんです。

何も、無駄にはならなかった。
何も、間違ってはいなかった。


今、この瞬間のために。

まっすぐに。




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