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孫のいたずらになぜか得意げな私

今日、わが家の玄関で、ある「事件」が起こりました。

犯人は、遊びに来ていた年長の孫娘です。 15時過ぎに彼女を自宅まで送り届け、帰宅して玄関を開けた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、無惨にも(あるいは情熱的に)解き明かされた、私のスニーカーサンダルの成れの果てでした。

きれいに結ばれていたはずの靴ひもが途中まで引き抜かれています。写真の通り、まるで検問を受けた後のような有様です。

犯行現場を見ていた妻によれば、彼女は悪びれる様子もなくこう答えたそうです。 「じいちゃんを驚かせようと思って、やってたの」

「困った」よりも「嬉しい」が勝った理由

普通なら、また一から紐を通し直す手間を考えて、溜息のひとつも出そうな場面です。 ところが、この惨状を前にして、私の中に湧き上がってきたのは怒りではありませんでした。 むしろ、なんとも言えない「得意げな気分」に包まれていたのです。

なぜだろうかと自分の心を分析してみると、一つの答えに辿り着きました。 それは、彼女が「驚かせる相手」として、迷わず私を選んでくれたという事実です。

「選ばれし者」としての満足感

こうした「いたずら」は、相手への全幅の信頼がなければ成立しません。 「じいちゃんなら、これをやっても大丈夫」 「じいちゃんなら、きっと面白がってくれる」

彼女にとって私は、単なる怖い大人ではなく、自分の突拍子もないアイデアを丸ごと受け止めてくれる、世界で一番安心できる存在として認定されているのでしょう。

「この子にこんなことをされるのは、私だけだろうな」

そう思った瞬間、私は自分が「孫に選ばれし者」であることに、深い満足感を覚えました。 彼女が一番自分らしく、自由な発想をぶつけられる相手に選ばれたことは、どんな褒め言葉をもらうよりも誇らしいことに感じられたのです。

靴ひもを通し直す、幸せな時間

さて、これからゆっくりと腰を据えて、このバラバラになった靴を直そうと思います。 一本ずつ紐を通しながら、彼女の小さな手が一生懸命に紐を引っこ抜いていた姿を想像するのは、案外幸せな時間になりそうです。

「選ばれた者」を実感しながら、私は今、心地よい余韻に浸っています。

※この年長の女の子は、下の記事で紹介した、私のことを「ジイ」と呼んでいた子です。最近では、なぜか再び「じいちゃん」と呼ぶようになりました。


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