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『幸せの設計図』 ── 人生の意味は「幸せになること」ではない

大きな困難を何度も繰り返してきたり、あるいは生死をさまようような大病を患っても奇跡的に助かったりすると、人はそれまで目を背けていた問いと真正面から向き合うことになる。

この世界は、厳しいことばかりだ。 こんなに辛い思いをしてまで、なぜ自分は生まれてきたのか? 自分の人生は、いったい何のためにあるのだろうか?

そう考え始めた人々は、やがて一つの答えに辿り着き、そこに心の安らぎを見出す。

「人は、幸せになるために生まれてきたのだ」と。

与えられた試練や困難を乗り越えさえすれば、いつか必ず幸せになれる。そう信じることで、人はさらなる生きる希望を見出していく。 確かにそれは美しい心の救いだ。しかし、厳しい現実を言えば、その段階ではまだ「不充分」であると言わざるを得ない。

では、そもそも「幸せ」とは一体何なのだろうか。そこから考えてみなくてはならない。

ある人は、他人より勝ることを見つけ、優越感に浸ることに幸せを感じる。しかし、そんなふうに誰かと比べて得る幸福など、極めて脆く、虚しいものだ。自分より上が現れた瞬間に、その幸せは容易く崩壊してしまう。

またある人は、美味しいものを食べることに幸せを見出す。 それも確かに幸福の一つの形かもしれない。しかし、その幸福感が持続するのは「食べているその瞬間」だけだ。いざ支払いの段になると、人は一気に冷酷な現実へと引き戻されることになる。

真に求められるべきは、一過性の快楽ではない。 まずは、「自分に合った、長続きする幸せ」を見つけること。誠にそうなるためにはどう行動したら良いのかを、全力を挙げて思考することだ。

人は、「幸せになるための“工夫”をする」ために生まれてきた。 これこそが、本当の人生の意味である。

しかし、「人生を工夫しろ」と口で言うのは簡単だが、実際にそれを行える人は極めて少ない。なぜなら、その工夫に辿り着くまでには、絶対に省略できない「段階(ステップ)」が存在するからだ。

工夫を凝らすための前段階として、まずは日常の振る舞いを変えていく必要がある。

第一に、誰に対しても笑顔で接すること。
困っている人が目の前にいれば、見返りを求めずそっと手を差し伸べること。
自分が持つ知識や智慧は、独り占めすることなく、惜しげもなく周囲に分け与えること。
そして社会のマナーやルールを徹底して守り、己を律するセルフコントロールと集中力を極限まで磨き上げること。

これらが努力せずとも「当たり前の習慣」として身についた時、人の脳にはある変化が起きる。 自分の力だけで考えていた範疇を超え、天から、あるいは内なる深淵から、本当の「智慧」が降りてくるのだ。

智慧を手に入れた人間は強い。 自分を取り巻く環境や、身体の固有の癖。さらには己が抱く煩悩の傾向や、無意識の思考パターンに至るまで、それらすべてを客観的に見つめ、自分自身に最適な「工夫」を施せるようになる。

このやり方は、人の数だけ存在する。 置かれた環境も、背負った宿命も、肉体の条件も全員が違うのだから、幸福への工夫の凝らし方は人それぞれで全く異なってくる。

だからこそ、これは他人が手取り足取り「教える」ことはできない。 あなただけの智慧の引き出し方は、あなた自身の正しい習慣の先にしか存在しないのだから。

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