あのこになりたい
自分らしく輝きながら生きる、それだけで妬まれることもある。
成功や賞賛を得る、幸せを掴み取る、人気があり他者と円滑な交流を楽しむ、その様子が面白くないのだと。
何か狡い手を使っているのだ裏のある人間なのだとコソコソ探るも何も出てこない。それもそのはずそんな事実はないのだから。
悔しくて相手にとって不利なでっちあげの嘘を広める。
気付かれるとまたコソコソと逃げる。それにも気付かれて慌てて誤魔化す為の嘘を重ねていく。
そんな人にこれまで何回か出会ってきた。
彼等彼女等に共通することは、自分の人生に満足していないということ。
自分の価値や幸せを他者に委ね、自己の確立がとても不安定であること。
嫉妬の感情を抱くこと自体は実に人間らしく悪いこととは思わない。
その熱いエネルギーを自分を上げる為にではなく、他人を落とす為に使うこと。
そんなことをしても自分の魂のレベルが下がるだけで余計に自分が惨めになるよと。
そんな私も荒れた家庭内でサバイブしてきたので学生時代、見た目より才能より何より家族仲が良い友達がたまらなく羨ましかった。
だからといって意地悪してやろうとか不幸になれとは思わないが、ただただ自分が何の価値もない人間に思えて悲しくなるのだった。
私、愛されて育ったあのこになりたい。
でも仲が深くなるにつれ、そんな光そのもののような彼女たちも悩みや傷や影を抱えて生きているのだということを知る。
私が持っていないものを彼女たちが持っているように、その逆もあるのだということも。
それに愛は生まれ育った家庭でのみ注がれるわけではない。
外の世界も過酷ではあったが、自分に価値はあるのだと教えてくれる愛に満ちたものだった。
私を宝物のように大切にしてくれる人に出会い、自分自身を大切に扱う方法も覚えていった。
そうして生きるうちに気付く。荒れた家庭なりにもらった愛情が確かに在ったのだと。
溢れてしまっていたそれらを時間をかけて拾い集めてきた。
時々、眺めてみる。
あぁ……こんなにたくさんもらっていたんだ。
よく見ると不純物も混じっているけど、そのままでいいや。
だから私はもう大丈夫。
羨ましい、の感情の後に
「素敵だな。ああなりたい。よし!そこに届くように頑張ろう。」
どうしても無理だな、という時は
「自分にできること、やるべきことをちゃんとやろう。」
そう思える。
嫉妬に狂って誰かを陥れたりする前に、自分自身をよく確かめてみて。
あなたも誰かの「あのこになりたい」かもしれないよ。
