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そろそろいくよ(未完)

「そろそろいくよ」
「ああ。でも本当にいいんだね?あと3日待てば満月なのに」
「月は十分見たさ」

 僕と彼は深夜のファミレスで向かい合って座っていた。24時間営業のファミレスというのは、僕が思いつく限りではもっとも価値があるもののように思えた。少なくともテーブルが小さすぎるカフェよりは重要なはずだった。だから僕は最後にこのファミレスを選んだのだ。

「ちょっと待ってくれ」
 彼が遠慮気味に僕を呼び止めた。
「まだお前に聞いておかなくちゃならないことがある気がするんだ。言っておかなくちゃならないことも」
 彼は両手でバランスを取るようなしぐさをした。
「気のせいだよ。僕らはたくさん話をした。そして月も十分見たんだ」
「気のせいじゃないさ。思い出せないだけだ」
 僕は小さくため息をついて一度離れた席にまた座った。
「思い出せないなら、それはないのと同じじゃないか」
「そんなことはない。思い出せなくてもいいんだよ。思い出さなきゃならないことがあるとわかってさえいればな」
 彼はこういう男だった。彼には鋭いインスピレーションとそれを蓄えておくだけの豊かな素養があった。しかし、それが目に見える形で表現されることに執着もなければ、そもそも興味もなかった。僕は彼の奥底に潜む果てしない宇宙の存在を感じながらも、結局その輪郭を正確にとらえることはできなかった。
 彼の感覚はあらゆる歪みに敏感だった。例えばコミュニティ。その大小にかかわらず、この地球には存在しないはずの真球とのごくわずかなずれを彼は感じ取っていた。あまりにも極端なずれを認識すると彼は船酔いのような気分に襲われるようだった。あるスーパーのバイトでの出勤初日に彼は店長の太ももに向かって嘔吐した。相当な歪みだったらしい。しかしビリヤードやボウリングの玉の歪みは特に気にならないようだった。
 簡単に言えば、この世でうまく生きている人間とは真逆の感覚を持つ人間だったということだ。全体を俯瞰してみれば、まあ損をしてきた人生だったと思う。ただ、僕はそんな彼に少なからず憧れを抱いていた。また、そんな彼も僕に少なからず憧れを抱いていることもわかっていた。そしてその事実は、しばしば僕を苦しめた。彼にどう見えているかはわからないが、その本質がどれほど醜く、そして取るに足らないようなものなのか、自分が誰よりもわかっているからだ。


「俺はお前はまだ生きるべきだと思う」
 彼は感情の読めない表情で言った。嫌な顔ではなかった。
「面と向かってお前は死ぬべきだとは言わないもんだ」
「お前には現実を動かす力があるんだよ。それは俺にはできない種類のことなんだ。俺にできるのはおっさんのだらしない太ももにゲロをぶちまけることくらいだ」
「それは僕にはできないことだよ。人にはできることとできないことがそれぞれ平等にあるものだ。案ずることはない」
「よくわかってるじゃないか。向き不向きってやつだ。だから俺らが組めばなにかを大きく変えられると思わないか?」
「そのなにかっていうのは、たとえばなんだ?」
 僕はわざと意地の悪い質問をした。案の定、彼はうまく言葉が出てこないようだった。それが彼にとって大きな苦しみであることを僕は知っていた。
 彼はたびたび、自分の思いがうまく言葉にならないことをもどかしがった。ただそれは僕との会話においてのみだった。僕以外との会話は挨拶と、あとは車のエンジン音のようなものでしかなかった。会話というもの自体に彼は特段の価値を見出せないでいるようだった。
「なぜ、無理して僕と会話しようとする?」
「それが俺にとってもお前にとっても必要なことだと思うからだよ」
 確信に満ちた声で彼は言った。
「解せないね。君と話すことで僕の方は得難い刺激をもらってる。それは進んで認めよう。でも君の方はどうだ。僕から何を得られる?」
「お前は俺の物語を現実に落とし込める」
「どういう意味だ?」
「お前には才能があるという意味だ」
 彼は黙ってまっすぐ僕を見据えた。
「君が本気でそう思ってるならそれは見当違いだ。周りをよく見てみろ。僕より優秀な人間ばかりだ。そうじゃないのを見つける方が難しい」
「優秀な人間というのは目に見えるものしか信じられない」


 ファミレスには店員が二人と僕ら以外に客が二組ほどいた。店員二人は学生らしき男と中年の女という組み合わせだった。二人とも魂をどこかに置いてきて、抜け殻である身体のみを職場に持ってきて動かしているという印象を受けた。そうでなければ説明がつかないほど生気が欠乏していた。
 二組の客はカップルと親子。カップルの方はこの店内でもっとも健康的な印象を受けたが、一般的な若いカップルに比べれば正のエネルギーがいささか不足しているように見えた。彼氏の方がいくぶん年下に見える。カップルを包む負のオーラは彼女の方が率先して醸し出しているようだった。彼氏の方の悲哀の浅さがそのテーブルの秩序を保っていた。二人ともスマートフォンに視線を向けて操作しているが、彼女の方がそれに夢中になっているのに対し彼氏の方は時折彼女に視線をやっていた。彼らのテーブルにはドリンクのグラスだけが置いてあり、どことなく居心地の悪そうな印象を受けた。
 もう一組は高校生くらいの少年とその母親だった。少年はハンバーグプレートを、母親はトマト系のパスタを食べていた。一見しておかしなところは見当たらない。普通の親子が向かい合って食事をしているだけだ。しかし、彼らには何かしら普通じゃないものを感じた。あるいは時間帯が深夜であることが関係しているのかもしれないが、それはあまり本質的なことではない気がした。
「なあ、あの親子をどう思う?」
 僕は向かいに座る彼に聞いてみた。
「普通じゃない」と彼は答えた。
「どこが普通じゃない?」
「あれは言葉にはできないタイプの普通じゃなさだ。気になるのか?普通じゃないことは別に悪いことじゃない。少し面倒が増えるだけだ」
「その少しの面倒が多くの人間に死を選ばせてる」
 彼は険しい顔をした。
「それを減らすためにお前は生きるべきだと言ってるんだ。お前が死んでどうする」
「何を言っても僕の気持ちは変わらないよ。僕は今日死ぬんだ」
 彼は大きくため息をついた。彼にしては珍しくあきらめを含んだため息だった。
「じゃあ最後にここのポテトを食っていけよ。あれを食えばそのバカげた考えも消えるかもしれん」
 彼は難病患者に一か八かの治療法を提案するように言った。悪くない提案だった。
「最後に食っておくよ。未練が残っても困る」

 僕は呼び鈴を鳴らして店員を呼んだ。来たのは若い男の方だった。彼は今日覚えたばかりのような口調で注文を取った。しかし表情や振る舞いには新人のような危なっかしさは少しもなかった。彼の態度には、彼の人生に他のもっと大事なことがあるということをほのめかすようなところがあった。だから接客は棒読みでいいのだ。そういう確信に満ちた棒読みだった。もっとも、深夜のファミレスで働く店員に抑揚に富んだ接客を求める客がどれほどいるだろうか。そういう意味では彼は実に深夜のファミレス店員的接客を身につけていると言える。僕は自然と彼に好感を持った。

 ここでふと、僕は今日死ぬつもりだというのに他人のことばかり考えていることに気が付いた。自分の人生が残り少ないというのに他人の人生に想像を膨らませていた。ここまでくるともう性分なのだろうと思う。僕は今まで自分のことにしか興味がないのだと思っていた。自分が傷つくことを徹底的に避け、他人の目を気にしすぎることで、結果的に他人のことばかり考えているのだと。そういう面も確かにあるだろう。でも実際は自分のことにあまり興味がないのかもしれなかった。自分が本当はどういう人間なのかということより、自分がこの場でどういう役割を果たすべきかを考えてきたのだ。そこに自分らしさというものは必要ない。そこに戦士がいなければ戦士になるし、魔法使いがいなければ魔法使いになるのだ。それは今思えば、不誠実なことだった。世の中には本物の戦士や魔法使いがいる。僕が小手先で彼らの代わりをこなしたように見せかけ、その空白を埋めたところでそれに何の意味があるのだろう?本物を求める場は本物を知らないまま過ごすことになるし、活躍の場を求める本物たちはそれにありつけなくなる。僕は自分を含めて多くの人をだましてきたのだ。自分の居場所やその場しのぎの自己肯定を求めて。たまたま空いている空間に合わせて自分の形をうまく変化させ、さも自分がそのポジションに適しているかのように振舞ってきたのだ。そのようにしているうちに次第に自分の形は曖昧になり、ついには本来の形が分からなくなってしまった。そしてすり減った精神は、もう一度自分の形を定めそれに適合する場を探し出す気力を致命的に失っていた。
 若い男の店員は自分の形をしっかりと維持しているように見えた。僕の向かいに座る彼もそうだ。だからこそ僕は彼らに同じ種類の憧れを抱いた。そんな彼らに比べて、すでに自分の形を失ってしまった僕の人生には大した意味などないような気がした。彼は誰の人生にも大した意味はないと言うだろう。あるいはそうなのかもしれない。しかし、もう終わりなのだ。彼らには自分の形がある。僕にはない。そう気づいてしまったら、もう前に進むことはできない。ピースがあればそれがぴったりとハマる場所が必ずある。しかしピースの形がはっきりしていなければ、お互いを見つけ出すことができない。

「もうすぐポテトが来るんだ。もう少し楽しそうな顔をしろよ」
 彼は病み上がりのような笑顔で言った。
「まさか死ぬのが怖いのか?」
「生きるのがどんなに苦しいか熱弁してたのさ」
「呆れたな。世界中を回ってやってこいよ。かなりの人間が死ぬのをやめるぜ」

 ポテトフライはもう一人の中年の女店員が持ってきた。実に一般的な接客態度だったが、顔には憎しみや質の低い闇がしわやたるみといった形をとって深く刻み込まれているように見えた。どことなく、生きることは何もかもを憎むことだとでも言いたげな顔だった。
 この店のポテトフライはよくあるスティック状ではなくサイコロ状にカットされている。そのおかげかどうかはわからないが、どこのポテトフライよりもカリカリに揚げられていた。どの店もサイコロ状にカットすればいいのだ。しかしどこのポテトもサイコロ状でカリカリに揚げられていたら、僕はこのポテトフライを特別に好きになっていただろうか?他とは違うから好きになったのではないか?しかしそんなことはどうでもいい。どうでもいいことばかり考えすぎるから死にたくなどなるのだ。死ぬ当日にまで自分にうんざりする思いだった。もっとも自分にうんざりしているから死にたいのだが。


 自分の人生を終わらせることを思いついたときに、死にたいと思う、あるいはそう意思表示した人間に対して世間がどういう反応を示しているか気になってgoogleで検索してみた。
 まず検索結果のトップに現れたのは厚生労働省のこころの健康相談統一ダイヤルだった。何よりも大きく太い文字で電話番号が書かれていた。当たり前だが、ここに電話してみようという気にはなれなかった。なんとなく事態がより悪い方向へと進んでいくような気がした。あくまで勘のようなものだ。そこでどんなやり取りが行われるのかまったく想像できなかった。
 その電話番号の下からは、精神科医による死にたいと考える人間についての分析のような記事が続いていた。どの記事も読む気が起きなかった。あるいはそれらの記事を読むことで死ぬ気が失せてしまうのが怖かったのかもしれない。所詮その程度のものなのだ。僕の希死念慮など。本当は生きたい人間が何らかの理不尽な力によってその気力を徹底的に奪われてしまったり、絶望的に高い壁に囲まれて八方ふさがりになってしまったのとはわけが違うのだ。僕を取り囲むものは何一つとして存在しないし、踏み出そうとする足を掴む者もいない。そんな目に遭うほど大した人間でもないのだ。僕が前に進めなくなったのはひとえに自分のせいだった。確かに視界良好とは言えず、進むべき道を見失ってはいるのかもしれない。しかしそれは足を踏み出して手探りで進めばすぐに見つかるのかもしれなかった。
 こうして何も読むことなく絶望的な気分になった僕はスマートフォンを見るのをやめた。


(未完)
※2024年7月ごろに執筆。


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悠生りんね いつのまにか、回転寿司でイクラを注文するのを躊躇うようになっていました。しかし、みなさんから応援をいただけたとしたら、僕はもう一度イクラに手を伸ばすことができるかもしれません。ぜひよろしくお願いします。

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