僕の使命
ある日、僕の事務所に見知らぬ男が現れた。つばが広くて明らかにカッコよすぎるハットを深めに被り、洗練された黒いロングコートに身を包んでいる。ハットを含めてすべてが黒で構成されたコーディネートだったが、あまりに決まりすぎていて、目立ちたいのか目立ちたくないのかよくわからなかった。
「この辺りに数ページのノートをバラバラに切り裂いたものをばら撒いておいた。君が一つ一つ回収してそれを復元するんだ」
男はカジュアルすぎず深刻すぎない口調でそう言った。
「どうして?」
とりあえず聞いてみた。
「君の使命だからさ」
「使命?なんかすごく嫌だな」
本当に嫌だったのでそういう顔をしておいた。
「気に食わんのならなんでも好きなように解釈してくれていい。人間というのはどうでもいいことばかり気にする。とにかく頼むよ。君がこの人生でやらなきゃならんことはどうやらこれだけのようだからな」
男は少しめんどくさそうに言った。
「へえ。じゃあ受験勉強なんか頑張らなきゃよかったな」
気になるのはそこではなかったがそれしか言えなかった。
「それはそれとして大事にしまっておけばいいさ、思い出としてな。さあとっとと使命に取りかかれ。そのつまらん税理士ごっこはやめにしてな」
男は自分の手のひらを心底つまらなそうに眺めながら言った。
「ところであんた、人間そっくりだね」
僕は我慢できずに言ってしまった。
「君たちが俺らに似ているんだ」
そう言った男は気づけば真っ白になっていた。そして次の瞬間には消えていた。
先ほどの出来事はいったい何だったのだろう。僕がペースをつかむ前に物事は足早に通り過ぎていった。何から何までが必然性を欠いていて、論理が飛躍しすぎていた。
僕はとりあえず事務所の周りを軽く歩いてみることにした。この辺りは団地で、見ているだけで気が滅入るアパートたちと子どもが遊ぶには不気味すぎる公園くらいしかなかった。
僕は事務所から出て左に進み、ぐるっと一周まわって右の公園側から戻ってくることにした。
すると足を踏み出した瞬間に何かを踏んだ音がした。足を退けてみると、そこには紙切れらしきものが落ちていた。認めたくはないが、ノートの切れ端のようだった。拾い上げてよく見てみると何やら文字が書いてある。かろうじて「ようだが、むしろ」と書いてあるのがわかったが、かなり小さく刻まれているため、文章として読み取ることは難しかった。
これをすべて集めると考えると少々気の遠くなる思いだった。どう考えてもここでやめればいいのだが、それはそれで気が進まない。今日は来客の予定は入っていないし、ずっと事務所に閉じこもっておくのもあまり健康的ではない。切れ端集めを続けるかどうかはともかく、散歩は続けることにした。
道はまっすぐに続いていたので一度先までを見渡してみたが、紙切れらしきものがいくつも落ちているようには見えなかった。やはり見つけるには屈み込むなどして隈なく探していくしかないらしい。もちろん、僕にそこまでする理由はない。やはり切れ端探しはやめて散歩に集中するのがいい。僕は歩き出した。
しかし数歩歩くとまたもや足が何かを踏んだのがわかった。驚いて見てみるとまたもノートの切れ端だった。先ほど拾ったものと比べてみる。同じノート、同じ筆跡のように見えた。それはそうと、こんなもの落ちていただろうか? 先の方を見すぎて足元の確認が疎かだったのかもしれない。もう一度身の回りを見回す。やはり何も落ちていない。
僕はため息をつき、気にするまいと歩を進めた。しかし、それから数歩進むごとに僕は次々に紙切れを踏んだ。どう見ても目の前に紙切れはないのに、足を踏み出した途端に僕の足はそれを踏みつけていた。足元を見ながら歩いてみたりもしたが、紙切れは必ず僕が地面を踏んだ後に現れた。
何かしら常識的でない現象が起こっているのは明らかだった。まあそもそも事の発端がすでに常識離れしているのだ。そうと分かれば早急に事務所に帰ればいい。でもなぜだか、僕はどうしても散歩を続けたかった。僕の身体は適度な運動と新鮮な外気を求めていた。そして、ここまで来たら切れ端をすべて集めたくなってしまっている自分もいた。このノートにはいったいなにが書いてあるのだろうか。もしどうしようもない内容ならあの男に文句を言ってやらなければならない。
そして僕は歩き続けた。切れ端はまるで空中を歩く僕に足場を用意するように的確に僕の足元に現れた。初めは不気味に思っていた僕も次第にその感覚を楽しむようになっていた。
気づけば紙切れはノート1ページ分くらいは集まっているように見えた。そしてもう数歩歩いてみると、紙切れが現れなくなった。もう終わりなのかもしれない。事務所に戻ろう。
そして回れ右をして歩き出した瞬間、僕の顔に突然何かが張りついた。急いで剥がしてみるとこれまたノートの切れ端だった。どうやら作戦を変えてきたらしいが、先ほどのパターンと同様この紙切れはいったいどこから来ているのだろう? それにしてもやり方があまりに乱雑で腹立たしい。
僕は走って事務所に戻ることにした。ものすごい勢いで僕の顔に切れ端が次々に張りついてくる。それでも気にせず駆け抜けた。まさに吹雪のごとくだったが、不思議なことに風は全く吹いていない。切れ端がただ勢いよく顔に張り付いてくるだけだった。そんなことはあり得るのだろうか? 風に乗ってきていないとするなら、紙切れは何に運ばれてきているのだろうか? 残念ながらそれを不思議がっている余裕はなかった。
命からがら事務所に辿り着き、集めた切れ端を机に放り出した。ざっとノート2ページ分になりそうだった。何が憂鬱かと言えば、これを今から繋ぎ合わせないといけないことだった。
しかしやるにしても何もそれは今日でなくていいはずだ。今日はこれを集めただけで上出来のはず。頭の混乱と身体の疲れが思い思いのやり方で僕に負荷をかけていた。切れ端たちはそのままにして僕はそそくさとベッドに潜り込んだ。
しかし少々困ったことになった。眠れないのだ。どんなに目をつぶっても一向に意識が沈んでいかない。身体はどう考えても疲れている。十分な量と質の高い休息を求めている。しかしすごく深いところが興奮していた。交感神経が頑なに働き続けている。僕は今日で、いや、人生で一番深く長いため息をついた。身体の疲労と意識のミスマッチに苛立ちが抑えられなくなってきていた。そして怒りの矛先は今回の意味不明な一連の件に向かっていく。大体あの男はいったい何者なのだ?
あの男がいない今、すべての責任が復元したノートの内容に向かう。この内容次第では僕はあの男を許すわけにはいかない。
そして僕はパズルに取りかかった。この作業は先ほどの切れ端集めで使わなかったリソースを的確に消耗させた。これは使命というよりは僕のエネルギーを隅々まで搾り取ろうという何らかの陰謀のように思えた。
それでも僕は取り憑かれたようにパズルを進めた。できるだけ早くこのノートに何が書かれているのか確かめる必要があった。そうしなければ、なぜか僕の深いところにある興奮が収まらなかった。
そして僕は約5時間ほどをかけ、バラバラになったノートを復元させた。僕の見立て通り、ノートは2枚になった。
そこにはこう書いてあった。
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