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書けないものへのリスペクト

私は、作家、とりわけ詩や純文学など、芸術性の高い作品を書く人へのリスペクトがある。
自分にはない才能だからこそ、強く憧れる。

私自身も文章を量産しているが、書いているのは批評を中心とした論考やコラム、エッセイである。
詩や小説のような芸術性の高い文章には憧れるものの、私には書けない。

テーマを決め、構想を考え、作品の骨格を作るところまでは、毎日書いている文章と大きく変わらない。
そこまでは、おそらく私にもできる。
圧倒的に不足しているのは、表現力である。

noteを読んでいると、私から見れば異次元の表現力を持つ作家さんに、ときどき出会う。
発想の異次元さには対抗心が生まれることもあるが、表現力の異次元さには脱帽するしかない。

同じ眼や耳で世界を感じ取っているとは思えない。
おそらく、世界を受け取る解像度が違うのだろう。

無数の言葉の中から、意外でありながら的確な言葉を選び、それを説得力のある表現に変えてしまう。
世界を高い解像度で捉えているからこそ、ありふれた言葉ではなく、捉えたものに最もふさわしい言葉を選べるのだと思う。

これは、経験だけでどうにかなる領域ではない。
センスの圧倒的な違い、すなわち才能の差ではないかと思う。
音感や絵心と同じように、文学的感性にも、経験だけでは埋めきれない差があるのだと思う。
その差は、小説や詩の表現に、はっきりと表れる。

毎日文章を読み、毎日文章を書きながら、最近はそんなことを感じている。

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