評価は移ろう——歴史に見る「再評価」の連鎖
歴史とは、常に流動する評価の連鎖である。ある人物が生きた時代にどのように受け止められたか、その後の世においてどのように解釈されたかは、しばしば大きく隔たっている。ここに紹介する数名の人物は、その好例である。
織田信長
16世紀日本の戦国乱世において、中央集権化を推し進め、鉄砲の大量導入や楽市楽座の制度化など、革新的な政策を矢継ぎ早に展開した。
しかしその非情な性格と過激な手段の数々は、同時代人から畏怖と嫌悪を同時に呼び起こし、後世の徳川幕府においては「暴君」として矮小化される傾向にあった。
それでも明治以降、近代国家建設の観点からは、むしろ先駆者として称賛されるようになったのは興味深い。
西郷隆盛
維新の志士として明治政府の設立に尽力した後、士族の不満を背負って西南戦争を起こし、結果的に朝敵として命を落とす。
しかしその豪胆さと誠実な人格、庶民感情への共鳴力は、やがて美談として語られるようになり、逆賊は再び国民的英雄へと昇華された。
クレオパトラ
ローマ世界に抗した女王。長らく“妖婦”の代名詞とされた。これは主にローマ側の記録と、それをなぞった近代ヨーロッパのイメージ戦略の影響である。
だが近年の歴史学は、彼女が高度な知性と政治力を備えた国家指導者であり、自国の存続をかけて数々の外交策を講じたことを明らかにしつつある。
リチャード三世
悪の象徴としてのイングランド王。彼は長らくシェイクスピアの戯曲によって「せむしの悪王」の烙印を押されてきた。
しかし現代の学術はその仮面を剥ぎ取りつつあり、冷静な検証の末に浮かび上がるのは、むしろ混乱の中で秩序を保とうとした努力家の姿である。
出川哲朗
奇声を上げ、ヘルメットをかぶり、熱湯に飛び込むその姿は、長らく“消耗型バラエティ芸人”と揶揄され、知性や品格から最も遠い存在と見なされていた。
だが、彼が一貫して見せてきた「全力で笑われに行く勇気」、決して他人を傷つけず、己の身体と恥を差し出して笑いを成立させる姿勢。そこには、武士にも匹敵する覚悟と、王にも似た包容力があった。
今や彼は、老若男女に愛され、視聴率を支え、「現代のリアクション哲人」として、タレントたちの背中を静かに押す。
そして、押された側は、熱湯風呂に落ちる。
おあとがよろしいようで。
