モノからコトへ、そしてシンへ──日本型消費に現れる新しい豊かさ
消費は、時代ごとの豊かさの形を映している。
人が何に時間を使い、何にお金を払い、何を生活の中に置くかには、その時代の不足と関心が表れる。
モノが足りなかった時代には、モノを持つことが豊かさだった。
体験が求められる時代を経て、現代では、自分を整え、他者や自然や作品との関係を保つための消費が広がっている。
1. 消費に表れる豊かさの変化
戦後から高度経済成長期にかけて、日本人の消費は生活を満たす方向へ進んだ。
冷蔵庫、洗濯機、テレビ、自動車、住宅は、暮らしを便利にし、生活の水準を引き上げた。
モノを手に入れることが、そのまま豊かさの実感につながっていた。
やがてモノが行き渡ると、消費の中心は体験へ移った。
旅行、ライブ、スポーツ観戦、テーマパーク、外食、キャンプ、習い事などが、生活の楽しみを広げていった。
豊かさの中心は、商品を所有することから、体験した時間を持つことへ移っていった。
そして現代では、モノや体験だけで生活の感覚を満たしきれない場面が増えている。
人は、自分の心身を整えるもの、自分より大切に思えるもの、信じられる対象へ時間とお金を使うようになった。
そうした消費が、ここでいうシン消費である。
2. 所有と体験が語ってきた「私」
モノ消費の中心には、所有する豊かさがあった。
家電、自動車、住宅は生活を便利にし、ブランド品や高級車は社会的な位置を示した。
何を持っているかが、その人の暮らしぶりを語る時代だった。
モノは他者の目に触れる。
そのため、所有することは、自分を満たす行為であると同時に、自分を外へ示す行為にもなった。
便利さや快適さと並んで、承認されたい気持ちもそこに加わった。
コト消費では、豊かさの表示が所有から体験へ移った。
どこへ行ったか、何を見たか、誰と過ごしたか、どのような時間を経験したかが、その人の暮らしぶりを示すようになった。
旅行写真、ライブ会場の記録、話題の店で過ごした時間は、自分の充実を示す材料にもなった。
モノ消費が「持っている私」を示したとすれば、コト消費は「体験している私」を示した。
どちらも時代に合った豊かさだったが、そこには常に他者の視線があった。
消費は、生活を満たす行為であると同時に、自分を説明する行為にもなっていった。
3. シン消費は、自分と外との釣り合いを整える
シン消費とは、自分の心身を整え、信じられるものへ心を向ける消費である。
そこでは、自分を中心に置きすぎた状態を緩めることも含まれる。
ここでいうシンには、心、身、信の意味が含まれる。
現代の消費では、心を満たすこと、身体を整えること、信じられる対象へ向かうことが、同じ行為の中に含まれるようになっている。
具体例には、推し活、サウナ、ヨガ、温泉、散歩、香り、読書、音楽、神社仏閣巡り、自然体験などがある。
信頼できる作り手の商品を選ぶことも、この流れに含まれる。
これらは、モノとして買う部分もあり、体験として楽しむ部分もある。
しかし中心にあるのは、所有や体験そのものより、それによって自分の内側が整う感覚である。
ここでいう外には、人間関係に加えて、推し、作品、自然、場所、習慣も含まれる。
また、身体の感覚のように、意識が戻る場所も含まれる。
シン消費では、対象との関係を通じて、自分の状態を整えている。
サウナに通う人が得ているのは、入浴設備の利用にとどまらない。
温度、汗、呼吸、水風呂、休息を通じて、頭に偏った意識を身体へ戻している。
香りを選ぶ人も、商品としてのお香やアロマだけでなく、部屋の空気と自分の気分が整う時間を生活に入れている。
シン消費では、私を大きく見せることより、私の緊張を下げることが重視される。
その意味で、シン消費は、承認を得ることを主目的にしない消費である。
自分を外へ示すための消費から、自分と外との釣り合いを取り戻す消費へ移っている。
4. 自由な選択が「私」を重くした
現代では、消費の選択肢が大きく広がった。
何を着るか、どこへ行くか、何を食べるか、誰を応援するかが、その人らしさを示す材料になった。
自由な選択は、自分を表す手段にもなった。
西洋から入った個人主義は、人を家や地域や会社に先立つ一人の主体として扱った。
自分の人生を自分で選ぶことは、近代以降の日本人にとって重要な変化だった。
その一方で、自分で選ぶ社会では、選んだものによって自分を語る場面も増える。
SNSは、その構造を日常まで広げた。
何を持つか、どこへ行くか、何を選ぶか、何を語るかまでが、他者に見えるようになった。
消費は自由な選択であると同時に、自分を説明し続ける負担にもなった。
5. 推し活は、承認とは別の方向を向いている
日本型シン消費の特徴は、推し活に分かりやすく表れている。
グッズを買う、ライブへ行く、配信を見る、作品を追う、誕生日を祝う、活動が続くように応援する。
表面を見ると、モノ消費やコト消費の要素が多く含まれている。
推し活の中心には、自分を大きく見せる欲望とは別の心の向きがある。
自分が目立つためにお金を使うことと、推しの活動が続くことを願ってお金を使うことでは、心の向きが違う。
そこでは、自分の価値を高めることより、推しが見られ、語られ、続いていくことが大切になる。
推し活にも、比較や競争は生まれる。
グッズの量、現場に行った回数、応援歴の長さが、時に序列を作る。
それでも中心にあるのは、「自分を見てほしい」という気持ちより、「推しを見ていたい」「推しを応援したい」という向きである。
ここには、承認から離れる心の動きがある。
承認されたい自分を前に出すより、自分より大切に思える対象へ心を向ける。
その対象があることで、日々の生活に予定が生まれ、気持ちの置き場所が生まれ、生活の中に持続する意味が生まれる。
推し活が現代に広がる理由は、娯楽の多様化だけでは説明しきれない。
自分を語り続ける社会の中で、自分以外の存在を中心に置けることが、自己評価から離れる時間を作っている。
推しを見る時間は、自分がどう見られるかから離れ、他者の存在に心を合わせる時間にもなっている。
推し活では、対象の活動を見守り、応援し、距離を取りながら関わる必要がある。
そこには、対象を自分の承認の道具にしないための節度がある。
この節度が、推し活を単なる自己表現から、他者との調和へつなげている。
6. 整える行為は、評価される私から身体へ戻る
サウナ、ヨガ、散歩、温泉、香り、自然体験も、同じ流れの中にある。
これらは健康や美容のための行為として語られることが多いが、現代では、評価される私から離れ、身体の感覚へ戻る行為としての意味も持っている。
汗、呼吸、温度、姿勢、歩幅、疲れの抜け方に意識が向くとき、人は他者からどう見られるかという意識から少し離れる。
自然体験にも同じ働きがある。
山、海、川、森、空の下にいると、人は自分を説明し続ける必要から離れやすい。
自然は人を評価しないため、そこでは成果や見せ方より、自分がその場にいる感覚が前に出る。
身体の感覚を取り戻すことは、自分の限度を知ることでもある。
疲れ、緊張、呼吸、眠気、回復の遅さを知ることで、人は自分を過剰に押し出しにくくなる。
自分の限度を知ることは、他者や環境との釣り合いを取る出発点になる。
推し活が自分以外の対象へ心を向ける行為だとすれば、身体を整える行為は、評価される私から身体の感覚へ戻る行為である。
どちらも、自分を中心に置きすぎた状態を緩める。
シン消費は、心の向きと身体の感覚の両方から、承認競争の緊張を下げている。
7. 生活の信仰感覚が形を変えて戻る
日本型シン消費には、日本人の生活に長く残ってきた感覚が形を変えて現れている。
日本人にとって信仰は、教義よりも生活の所作として表れることが多かった。
神社に手を合わせ、初詣に行き、お守りを持ち、季節の行事や先祖や自然を大切にする。
それらは、生活の所作として続いてきた。
そこには、自分より大きなものへ心を向ける感覚があった。
人は自分の力で生きる一方で、自然、先祖、場所、季節、縁、運のようなものにも支えられている。
その感覚は、言葉で表明される思想よりも、生活の中の行為として保たれてきた。
近代化と個人主義は、人を共同体から解放した。
その過程で、家や地域や会社に支えられていた感覚も薄くなった。
同時に、自分より大きなものへ心を向ける習慣も、日常の中で目立ちにくくなった。
現代のシン消費は、その感覚が別の形で戻ってきたものとして読める。
推しに心を向ける、作品の世界に戻る、自然の中に身を置く、神社仏閣を訪れる、香りを焚く、身体を整える。
これらは現代の消費や習慣でありながら、自分だけで自分を支えようとする状態を緩める行為でもある。
生活の信仰感覚とは、自分を世界の中心に置きすぎない態度でもあった。
自然を畏れ、先祖を思い、季節に合わせ、場所を大切にすることは、自分を他者や環境との関係の中に置くことでもあった。
現代のシン消費は、その態度を推し、身体、自然、作品、習慣の中で取り戻している。
推し活が象徴的なのは、自分より大切に思える対象を生活の中心近くに置くからである。
その対象は、芸能人、作家、キャラクター、アスリート、作品、配信者など、現代的な姿を取る。
しかし、心を向け、応援し、活動が続くことを願い、その存在から日々を支えられる点では、古くから生活の中にあった信仰感覚とつながっている。
日本型シン消費は、生活に残っていた信仰感覚が、別の受け皿へ移ったものとして読める。
かつて受け皿になっていた家、地域、会社、寺社、年中行事の力が弱まり、その感覚は推し、身体、自然、作品、習慣へ移っている。
自分を中心に置き続ける個人主義の後で、人はもう一度、自分より外にあるものとの調和を求め始めている。
結び
モノ消費の豊かさは、所有する豊かさだった。
コト消費の豊かさは、体験する豊かさだった。
シン消費の豊かさは、自分を中心に置きすぎた状態を緩め、他者、自然、作品、身体との釣り合いを取り戻す豊かさである。
推し活、自分を整える行為、自然や香りや作品への没入は、それぞれ違う形を取りながら、承認より調和へ向かっている。
そこでは、私を強く見せることより、他者や環境との関係の中で私を整えることが大切になる。
モノからコトへ、そしてシンへという流れは、自分を見せる豊かさから、自分と他者との関係を整える豊かさへの移行である。
日本型消費に現れている新しい豊かさは、承認されることより、他者や自然や身体と調和して生きられることの中にある。
