飛び級を認めよう
みなさんこんにちは。本日はメンバーシップの日です。今回の話題は「飛び級を認めよう」です。今現在日本において大学を卒業するまで最低でも22歳にならなければならないというのが一般的です。別に大学を卒業する必要などないではないか、などと言ってしまうと話が進まないので、もし大学に行くとなると22年の歳月を要するという現実とその問題を考えてみたいと思います。またそれを解消するための方法として飛び級があると個人的には思うので、なぜ飛び級を認める必要があるのかも含めて考えてみたいと思います。
まず現状の把握ですが、日本においては22年の歳月がかかると言いましたが、厳密に言うと、就学までに6年、小学校を6年、中学校を3年、高等学校を3年、大学を4年で計算すると22年になります。教育においてはこれらの仕組みが出来上がっています。
しかし本当にこれほど時間が必要でしょうか?個人的にはそうは思えません。特に優秀な子供であれば22年の歳月をかけずとも、カリキュラムをこなすだけなら、15年もあれば達成できると思います。今でいう中学卒業時点で大学卒業と同等の学力を得ることは可能だということです。仮にここでは飛び級を認めて、小学校を5年、中学校を2年、高等学校を2年、大学を3年とするだけで、4年もの歳月を短縮することができます。18歳で大学を卒業し、社会に出られればそれだけ仕事を覚える機会も増える上に、早く収入を得ることもできるようになるし、その分就学期間が短くなることで、学費なども抑えることができるようになります。
これだけ考えればいいことだらけです。今現在ほとんどの業界で人手不足が深刻です。それも高度人材なども多く必要とされています。そんな状況にもかかわらず、相変わらず教育制度は変わらず、22年もかけてゆっくりしています。ただ知識を暗記するだけなら22年もかける必要はありません。それこそ早い人なら15年もあれば十分です。無理のないように進めたとしても18年もあればいいでしょう。成人年齢が18歳に引き下げられたことを考えても18歳で大卒なんてことがあっても別に問題ないのでは?と思えます。体力面や精神面で見ても18歳にもなれば十分成熟していると個人的には思います。これだけ考えても22年もかける必要はありません。
よくよく考えてみればわかりますが、15歳以上であれば社会に出て働くことだってできます。そのくらいで体だって出来上がります。それなのにいつまでも子供扱いしていて良いものでしょうか?そもそもが人間の成熟年齢を高く設定しすぎ、または成熟の程度を高く要求しすぎているのではないでしょうか?よく精神年齢なんて言い方されますが、少なくとも自分の子供を見ていると、同時期の自分なんかよりずっと精神年齢は高く感じます。かつての子供よりも今の子供の方がずっと精神的に成長できる環境が整っているとも言えます。
また違う角度からも見てみましょう。まず今の教育制度は明治時代に原型が作られました。では明治以前例えば江戸時代はどうだったかと言えば、15歳で働くなんてことは当たり前でした。というのも元服と呼ばれる習慣もあり、それが15,6歳で迎えることを考えれば、十分大人だと言えるからというのもあります。それにそれらの年代の人たちが分別がついていないと言えるでしょうか?もしついていないと感じるのならば、それは社会が要求する水準が高すぎるのではないか、と個人的には思います。そこまで要求せずとも十分大人として生活できると感じます。さらに現在の教育システムの問題として、学校を卒業したらもう勉強する必要がない、といった間違った思い込みがあるように思います。むしろ現実はその逆で、大学を卒業してからが本当の勉強です。大学までは答えのある問題ばかり解いていたと思いますが、現実社会には答えのない問題であったり、答えはあってもまだ発見されていないものを発見しなければならないなんて場面がありふれています。具体的に言うと、前者は政治思想、後者は高度な科学技術などがそれに当たるでしょうか。そう考えると学校で勉強できることなんてものすごく少ないとも言えます。問題解決能力なんてのは授業を受けてすぐに身に付くものでもありませんし。こう考えるとなおさら教育期間を16年も設けることに必要性が感じられなくなります。
さらに、今問題となっている少子化や晩婚化に焦点を当ててみましょう。飛び級により、教育期間が短くなれば、早く卒業し早く働くことができるようになります。それによって、先ほども申し上げた通り、学費も抑えることができるようになることができます。さらに結婚する機会も増えることでしょう。現在結婚できない大きな理由として収入が少ない、もしくはないことが挙げられます。大学に行くとなれば、バイトするにしても大した収入にはなりません。言ってみれば就業機会が失われているとも言えます。そうなれば貯金だってできないので結婚も遠ざかります。社会に出て得るスキルも得られないため、収入を増やす機会だって減ります。そうなるとますます晩婚化も進むことでしょう。もし18歳で大卒資格を得て社会に出ていたらどうでしょうか?おそらく結婚の意思がある人ならば、結婚できる確率も上がるかと思われます。さらに言うと、寿命も伸びて、見た目も若々しくなったとはいえ、生殖可能年齢は昔と変わっていません。生物学的な問題は何一つ解決されていないのです。こんな状態であるのに、相変わらず長い年月をかけなければ、大学を卒業できず、いろんな機会の損失をしているのが現在です。
では長くなって来たので、話をまとめます。大前提として、大学に行きたい、成績も優秀、早く働きたい、早く結婚したいという条件であったならば、22年もかけて教育する必要はないというのが、私の考えです。その解決策として提案したいのが、飛び級です。あと明治時代に作られた制度を未だに引きずっているというのも違和感を感じます。もちろん22年かけて教育を受けたいと思う人は受ければいいと思います。ただ、本当に勉強したいと考える人であったならば、そこまで時間をかけて悠長に勉強しようとはしないでしょう。また、人間の成熟に求める水準が高すぎることも問題であることは申し上げました。ひいてはそれが晩婚化や少子化につながっているのではないかという仮定もしました。これらすべてに共通するのは教育期間が長すぎることであり、そこの見直しが今後必要ではないかということで話をまとめたいと思います。
かねてから私は主張しているように、全員が全員同じ道を歩む必要はないと思います。それに明治以降の日本が日本の典型であるといったステレオタイプを持つことにも否定的です。日本には長い歴史があり、その時々で生き残るための選択をしてきました。現代の社会においても目まぐるしく変化しています。それなのに教育を何も変えなくてもよいでしょうか?決してそうではないと思います。今回私が提案したのは飛び級を認めようということでした。逆に教育期間を各学校で1年ずつ短縮して、18歳で大卒資格が得られるようにするというやり方を基準として、さらに勉強したい人のために、1年ずつ期間を延ばすといったやり方にしてもいいかもしれません。いずれにしても、現在の6334の教育年数が適切かも今後考えなければならないと思います。実はそれほど時間をかけなくても単に知識を得るだけであれば、もっと短くてもいいかもしれません。それに同じ年齢の人同士が学ぶことが当たり前になっている昨今、実は年齢の違う者同士が学んだ方がうまくいくのでは、なんて仮定もあっていいと思います。むしろ江戸時代などは寺子屋などで学びたい人が年齢関係なく学んでいました。もうそろそろ硬直化した教育から脱却する時期に来ているのかもしれません。
それでは、本日はこれにて。教育に関してご意見のある方はドシドシコメントください。今後メンバーシップでは政治の話だけではなく、こうした社会で当たり前になっていることが本当にそれでいいのか?ということを考える場を作りたいとも感じております。あまりにも硬直化した考え方は良くないと思う一心で、この記事を書きました。それではまた。
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