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生きて、そこにいてくれるだけでありがたい、ということに気づきたい

先日は、中3の娘の特別支援学校の運動会があり、
行ってきました。

私、何年も前から、
特別支援学校の参観日や運動会、
学芸会の雰囲気がとても好きです。

そこにいると、体がゆるむのです。
心もふわっとするのです。

私は、

重度の知的障害を伴うダウン症の女の子と、

不登校やら五月雨登校やら
学校には馴染まないながら、
まあ普通の範疇には入るであろう
男の子の母なので、

これまで、なかなかに個性的な育児に奮闘してきたと思います。

そんな中、思うことの一つ。

あー、
健常児(この表現は好きではありませんが)の子育ても、
障がいのある娘と同じようにすれば良かったのだ、
ということです。

人は一人として同じ人はいないはずなのに、
同じ地域の、同じ一年に生まれた子どもたちが集められたこの健常児たちの集団で、

いつしか、
特に小学校に入学した頃からでしょうか、
点数やら順位やらがやたらと気になるようになって、
あの子のほうがうちの子よりできる、
あの子は英検◯級を持っているらしい、
◯歳までになになにをやらないと手遅れになるらしい⋯、
などと、比較したり、焦ったり、情報に溺れそうになったり、

どこからどう見ても、
障がいのある娘のほうが、
なんにもできないし大変なのに、
普通の息子の育児のほうが、
なんか苦しかったのです。

一方、例えば、娘の参観日の雰囲気ですが、
まず、そこに集まるママ友の雰囲気がまあ柔らかい。
みんな、純粋にそれぞれの子の成長を喜び合い、称え合い、
半年前よりも姿勢がしっかりしたね!
ちゃんと集中して見られるようになってるね!
すごいなあ、〇〇ちゃん!

と、先ほども触れたように、
やはり、心ゆるむ時間なのです。

もちろん、うちの場合は、
食事や入浴など日常生活の世話には
手間がとてもかかっているのですが、
気分的には、なんか楽なのです。

そう、
娘の場合、こう言っちゃあなんですが、

存在そのものを愛し、
かわいく思い、
それ以上のことはなんにも望んでいないのです。
ただただ、健康でいてくれればいい。
本当にそれだけなのです。


息子も、健康に生まれてくれたのだから、
それで満足すれば良かったのに、
つい欲張って、
出来れば良い学校に行ってほしい、
運動も人並みにはできてほしい⋯、
と、子どもに望むものが次から次と出てきて、
また、打てば響くものだから、
さらに欲が出て⋯、と、
これが窮屈な苦しい育児に繋がっていた面もあると思います。

不登校の子の気持ちなど学び、
少しずつ時間をかけて
様々なことを手放してきた今、
だいぶん楽で、
鎖が解けたような毎日を
送れるようになりつつあるのですが、

話しは最初の方に戻ると、
究極、

何ができなくても、
親の望むような生き方でなくても、
生きていられて、
家族で笑っていられて。
 
それでいいじゃないか、
それがいいじゃないか、
と思うのです。









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