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映画評26 怪傑作『チェンジリング』(下)

1  裁判と聴聞会

 「上」で触れたように、連続少年誘拐殺人犯、ゴードン・ノースコット/ジェイソン・バトラー・ハーナーの残虐な犯行ーー約20人の少年を誘拐・虐待・殺害ーーが明るみに出て、ウォルター失踪事件の捜査は急展開をみせる。

 映画の後半では、ブリーグレブ牧師/ジョン・マルコビッチが、ウォルターの母親であるクリスティン/アンジェリーナ・ジョリーを精神病院から救出し、またクリスティンが精神病院に不当に隔離されている女性たちを解放し、市警に対して訴訟を起こす経緯や、ゴードン・ノースコットの裁判、クリスティンとノースコットの息詰まる対峙、ロス市警の捜査ミスをめぐる聴聞会、さらにノースコットの死刑執行のシーンなどが、抑制された、しかしサスペンスフルなタッチで描かれる。

 大男のノースコットは裁判で、不意にヘラヘラ笑ったり、ウォルターを殺したのかという裁判官や弁護士の質問に対して、はぐらかすような、要領を得ない受け答えをするばかりだったが、彼が威嚇するようにクリスティンに近づき、意味不明のことを口にするところは、何かが起こるわけではないのに、ぞっとするような恐ろしさだ。

 (ノースコットは、警察によって「狂人」とみなされたクリスティンとは異なり、正真正銘の異常者であった。)

 さて、ノースコットの従弟であるクラーク少年の証言や、ヤバラ刑事/マイケル・ケリーが入手した有力な証拠により、ノースコットには死刑判決が宣告される。

 しかし、ノースコットはウォルター殺害については明言せず、養鶏場で発見された多くの人骨も個人の特定ができなかったので、クリスティンは息子の生存を信じて疑わなかった。

 いっぽう、ノースコットの裁判と同じ日に行われた、警察の捜査ミスをめぐる聴聞会では、硬骨漢の敏腕弁護士、ハーン(ジェフ・ピアソン)がクリスティンの心強い助っ人になる。

 ハーンはこう主張する。ーー最大の問題は、警察が令状もなくクリスティンを精神病院に監禁したことであり、そのあいだにウォルターが殺されてしまったことであり、それは警察の致命的な失策だ、と。

 そして、ハーンの主張が裁判の流れを決め、ジョーンズ警部/ジェフリー・ドノヴァンには無期停職の処分が下され、デイヴィス本部長/コルム・フィオールは解任を言い渡され、クライアー市長/リード・バーニーは選挙に再出馬することを断念する。

 こうして、ロス市警に横行する不正の、少なくとも何分の一かは除去されたのだが、同じ日に行われた裁判と聴聞会において、クリスティンは、腐敗した警察と凶悪な殺人鬼に対して、いわば二正面の闘いを挑み、見事に勝利したわけだ。心ある協力者と、自らの胆力によってである。

 (「上」で述べたように、本作では、ヒロインの闘いが2焦点的に描かれる。)

2 処刑とその後ーー

 しかし、クリスティンとノースコットの対峙は、その後も続く。
 
 ーー2年後の、ノースコットの死刑執行を2日後に控えた日、クリスティンは、ノースコットが彼女に面会を求めているという知らせを受け、カリフォルニアのサン・クエンティン州立刑務所におもむき、彼と対面する。

 クリスティンはノースコットに、ウォルターを殺したかを問い詰めるが、そこでも彼は言葉をはぐらかすばかりで、まともに答えようとはしない。

 翌日ノースコットは、クリスティンや犠牲者となった少年の遺族が見守るなかで、絞首刑に処せられる(この処刑シーンでは、「補説」で述べるように、イーストウッドの「作家性」が顕著に表れる)。

 そしてイーストウッドは、映画を周到に締めくくるべく、事件の7年後の興味深いエピソードの一連を、丁寧な手つきで綴っていく(この勘所はあえて伏せておく)。

 エンディングでは、例のぎりぎりまで彩度を落とした、モノクロに近い俯瞰ショットで撮られた街路を、ひとり遠ざかっていくクリスティンの姿が小さな点になって、やがて見えなくなると、彼女が生涯にわたって息子を探しつづけたことが、クレジットで示される。

 「感動」などという言葉では到底言い表せない、鈍いカタルシスを放つ見事なラストだ。

3  アンジェリーナ・ジョリーの演技、および卓抜な光線設計について

 クリスティンに扮するアンジェリーナ・ジョリーは、全編を通じて、まれにしかナマの感情を表さない。

 ほとんどのシーンで、クリスティンは心の動きが読み取りにくい、無表情な、もしくは微かに怪訝そうな顔をしているが、裁判の場面でも彼女は、ノースコットの振る舞いを、何か不可解なモノを眺めるような目つきで眺める。

 (クロード・シャブロル監督(仏)の傑作スリラー、『肉屋』(1970)のステファーヌ・オードランのように、クリスティンが、すぐには相手の言動に反応せずに、やや間を置いてレスポンス(応答)するところもいい)。

 そして、そうしたイーストウッドの演技設計が功を奏して、クリスティン/アンジェリーナ・ジョリーの、アンバランスなほど目と唇が大きい顔は、不気味なオブジェのような質感を帯び、結果、この映画のもつ得体の知れなさを増幅している。

 また、アンジェリーナ・ジョリーは、ショックや驚きを、一度ならず、手で顔を覆うというアクションで表すが、それは叫んだり、表情筋を突っ張らせたりすることより、はるかに効果的な情動表現だ。

 そんなアンジェリーナ・ジョリーのユニークな演技に加えて、画面全体を濃い影で覆い尽くし、その一部分を薄明るい光で照らすという、これまたイーストウッドお得意の光線設計が冴えわたる。

 とりわけ、暗い室内に窓から差し込む軟調の自然光が、この奇妙な犯罪映画の雰囲気に見事にシンクロしているが、『陪審員2番』と同じく本作でも、内と外を境界づける、窓、扉、戸口、玄関、ポーチなどが、印象深くカメラに収められる。

 また、被写体にゆるやかに接近する、あるいは被写体からゆるやかに遠ざかる移動撮影にも、目を見張る。

 とりわけ、クリスティンがウォルターを残して外出するところで、カメラが、彼女の身体と同調するような後退移動で、窓辺に立ってこちらを見ているウォルターから遠ざかるショットの素晴らしさ!

 それはあたかも、母親と息子の最後の別れを示すシーンであるかのようだ。

●補説
  1  イーストウッドが、アルフレッド・ヒッチコックやドン・シーゲルら先輩監督に学んだ、【落下/垂直運動】のモチーフは、ゴードン・ノースコットの絞首刑のシーンで活写される。

 いや、「活写」というにはあまりにも禍々(まがまが)しい場面だが、いうまでもなく、首に縄をかけられたノースコットは、絞首台の踏み板が開くと落下し、およそ地面から30センチのところで宙吊りになる(直後、黒い革靴を履いた彼の両足がぴくぴくと痙攣(けいれん)し、数瞬後、動きを止める)。その一部始終を冷徹かつ克明に描いたイーストウッドには、西部劇の縛り首のシーンへの強いこだわりがあったに違いない。

 ちなみに、イーストウッド自作自演の監督デビュー作、『恐怖のメロディ』(1971)では、恋愛妄想に取り憑かれたサイコパスが、断崖から海に転落し、『ダーティハリー 4』(1983、シリーズ中、唯一のイーストウッド監督/主演作)では、遊園地の歩道橋から殺人犯が転落する。

 また、瞠目(どうもく)すべき山岳スパイ・アクション、『アイガー・サンクション』(1975)では、悪党の一人がビルの高層階から転落(死)するが、凄いのは、一瞬、落下する彼の視点/主観ショットが挿入され、地面に急接近する「転落」の臨場感が際立つ点だ。むろんヤマ場では、アイガーの絶壁における人物の滑落が、仰角/俯瞰ショットでスリリングに描かれる。

 さらに前記の傑作活劇『ガントレット』(1977)では、悪徳警官一味の操縦する巨大な昆虫のようなヘリコプターが高圧線に接触し、炎と黒煙を噴き上げながら墜落するところが、痛快さと戦慄が入り交じったタッチで描かれる。

 (『陪審員2番』における【落下】のモチーフについては、「映画評24」を参照されたい。)

 2 「取り替え子」の少年(アーサー)は何者だったのか? それについても、映画では一驚すべき種明かしがなされる。見てのお楽しみである。

 3 クリスティンは、裁判開始直前に控え室の【姿見/鏡】に自分の姿を映す。それは、自分が自分自身であるための、いわばアイデンティティーを賭けた闘いに臨むことを確認する、彼女の秘かな儀式であったに違いない。


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