20代女子たちがモンゴル行った話🇲🇳🐪【第6話】 VIVANTでも登場したモンゴルの建築物、実は日本人が建てた!?
おとめ:るりさん!VIVANTの1シーズン目を見返してたら、結構ウランバートルが出てましたよ✨
るり: 実は、VIVANTにも登場する建物の中で日本人が作ったものもあるんだよね!


おとめ: スフバートル広場と、オペラ劇場ですね!
モンゴルで通訳をしてくださったニンジンさんが教えてくれましたね。
「1940年代当時、ウランバートルは近代的な建物がほとんどなくて、周りはほぼゲル(移動式住居)が広がる地区だった。」
「そんな何もない状態から、スフバートル広場に敷く石を近くの採石場から運んで道路を整備したり、ウランバートルの中心地を近代化するインフラ作りを、当時の日本の20代、30代の若者たちが一から担っていた」って。

るり: うん、スフバートル広場の大きな建物である政府庁舎の奥の部分や、外務省、モンゴル国立大学、それに市役所庁舎(旧アルタイホテル)や証券取引所(旧映画館)といった、今のウランバートルを代表する主要な近代建築の多くに日本人が関わっていたんだって。



おとめ:政府庁舎や外務省などの建物は、日本人が1階や2階まで部分的に建設した後に、現地のモンゴル人やソ連が引き継いで完成させたものが多いんだけど、オペラ劇場だけはドイツ人が設計して、最初から最後まで完全に日本人が作り上げたって言われてましたね。
るり:しかも、当時のモンゴルは戦争直後で経済的にすごく貧しくて弱かった時期なのに、あえてオペラ劇場を建てようとした背景が素晴らしかった。
『たとえ食事が満足になくても、文化やクラシック音楽といった芸術があってこそ、人間は心豊かに発達していけるんだ』という信念を持って建設が決められたという……

おとめ:そんなモンゴルの建物が80年経った今でも一度も大規模な改修は行われていなくて、ただ外壁の色を塗り直しただけで今も現役で使われ続けているって。
当時、建設に携わった日本人は抑留された20代〜30代の若者で、十分な食事もなく働かされていたのに、丁寧に作られたからこそ今でもモンゴル人がとても誇りに思い、愛してる建物だっていうこともお聞きしました。
るり: 悲しい歴史の裏側に、こうして国境を越えて今も大切にされ、愛され続けている温かい絆が遺されていることを知れて、本当に良かったと思う!VIVANTを見てる多くの日本人にもぜひ知ってほしい!
